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「神秘学遊戯団」は1991年スタート。シュタイナーのほか、諸テーマを横断。 HP ht…

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「神秘学遊戯団」は1991年スタート。シュタイナーのほか、諸テーマを横断。 HP https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/    Facebook https://www.facebook.com/kazenotopos

マガジン

  • 神秘学ポエジー【風遊戯】photopos

    神秘学的な内容を写真と言葉で、「遊戯」していくシリーズ。

  • 神秘学ポエジー【風遊戯】mediopos

    本を中心としたメディアを神秘学的な視点で読みながら「遊戯」していくシリーズ。

最近の記事

コンポジションはむずかしい

☆photopos-3610(2024.7.27) こんなにも ことばは あふれているのに コンポジションはむずかしい 言葉の犇めき流れる河から どんな物語をつかまえるか どんな言葉を掬いとるか どんな響きを奏でさせるか どんなリズムを刻ませるか コンポジションするための型はあるか 型を生かす技はあるか 技を演じる心はあるか 心をひらく自由はあるか 型は形を超えねばならない 技は型を超えねばなたない 心は技を超えねばならない こんなにも コンポジションは あふれてい

    • 岸本佐知子「本の名刺 『わからない』」(『群像』)/岸本佐知子『わからない』『気になる部分』

      ☆mediopos3540(2024.7.27) 岸本佐知子のエッセイは 最初の一行で読者をつかみ 話にひきこみ そこから思いがけない展開があり そして最後に笑えるオチがつく ツボを決して外さない 極上の落語をきいているようだ 自著について紹介する 『群像』の記事「本の名刺」によれば 最新エッセイ集『わからない』は 最初のエッセイ集『気になる部分』の 編集者Sさんが担当だという 『翻訳の世界』という雑誌に 連載されていたエッセイを 「ぜひ本にしましょう」と提案したのが

      • わかるということ

        ☆photopos-3609(2024.7.26) わかるということ それは ジグソーのピースを 埋めていくことではない わかるためには 切りはなされなければならないが それは 混沌に 穴をあけるようなもの 穴をあけられた 混沌は死を迎えるが その死が 再生へと向かうには ばらばらになった断片が あらたなコスモスへと 生成されなおさなければならない 混沌とは 時間とはなにかと 問われるまえに 時間とともにあるようなもの 問われると わからなくなり みずからを失っ

        • 岡崎乾二郎『而今而後─批評のあとさき (岡崎乾二郎批評選集 vol.2) 』/ユング、パウリ『自然現象と心の構造/非因果的連関の原理』/『論語』

          ☆mediopos3539(2024.7.26) 岡崎乾二郎批評選集vol.1 『感覚のエデン』(2021年)に続き vol.2『而今而後(ジコンジゴ)』が刊行された そのなかから冒頭に収められ 標題ともなっている「而今而後」をとりあげる 「而今而後」とは 「いまから後、ずっと先も」の意味で 『論語』の「泰伯第八」から引かれている 内容は以下の通り 曾子が病気にかかったとき門人たちをよんで云った 「詩経には「おそれつ戒めつ、深き淵をのぞむごと、 薄き氷をふむがごと。」

        コンポジションはむずかしい

        • 岸本佐知子「本の名刺 『わからない』」(『群像』)/岸本佐知子『わからない』『気になる部分』

        • わかるということ

        • 岡崎乾二郎『而今而後─批評のあとさき (岡崎乾二郎批評選集 vol.2) 』/ユング、パウリ『自然現象と心の構造/非因果的連関の原理』/『論語』

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        • 神秘学ポエジー【風遊戯】photopos
          1,303本
        • 神秘学ポエジー【風遊戯】mediopos
          1,303本

        記事

          生と死でせかいは裏返る

          ☆photopos-3608(2024.7.25) 生まれてくるとき せかいは裏返る 外にあったものが 内になり 内にあったものが 外になる なにも 失われることなく ただすべてを 忘れて 生まれるまえのせかいが わたしになり わたしは謎のような わたしのせかいを生きてゆく 死んでゆくときもまた せかいは裏返る 外にあったものが 内になり 内にあったものが 外になる なにも 失われることなく すべてを 思いだして わたしの生きたせかいが わたしになり わたしは

          生と死でせかいは裏返る

          シュタイナー『人智学指導原則』『聖杯の探求』『バガヴァット・ギータとパウロ書簡』/ヘルマン・ベック『秘儀の世界から』

          ☆mediopos3538(2024.7.25) シュタイナーは『人智学指導原則』のなかで 「人智学はグノーシスの改新ではありえない」 と示唆しているが この視点は グノーシスと人智学を 『バガヴァット・ギータとパウロ書簡』における クリシュナとキリストの違いと比べてみると理解しやすい たとえば典型的な例として 唯物論と唯心論があり物心二元論がある 極論あるいは典型をいえば 科学は唯物論的であり宗教は唯心論的であり 哲学においてもその二極および二元論がある 霊的世界

          シュタイナー『人智学指導原則』『聖杯の探求』『バガヴァット・ギータとパウロ書簡』/ヘルマン・ベック『秘儀の世界から』

          同じ世界を生きているひとをさがして

          ☆photopos-3607(2024.7.24) わたしの見ている その色は わたしにしか 見えない色 それが 同じ名で呼ばれていたとしても 同じ色に見えているかどうか それはわからない わたしは どこかでいつも 同じ色を見ているひとを さがしている その眸の光を わたしの使っている この言葉は わたしにしか わからない言葉 それが 同じ言葉とされているとしても 同じ意味が抱かれているかどうか それはわからない わたしは どこかでいつも 同じ意味を抱いているひ

          同じ世界を生きているひとをさがして

          保坂和志「連載小説72 鉄の胡蝶は夢は記憶を歳月は彫るか」(『群像』)/デヴィッド・グレーバー『万物の黎明/人類史を根本からくつがえす』

          ☆mediopos3537(2024.7.24) デヴィッド・グレーバーの『万物の黎明』を 最初にとりあげたのはmediopos3256(2023.10.17)だが 保坂和志の「鉄の胡蝶は夢は記憶を歳月は彫るか」 (『群像』で連載中の連載小説)のなかで語られた 『万物の黎明』の訳者・酒井隆史との対談予定についての話は mediopos3281(2023.11.11)と mediopos3463(2024.5.11)でとりあげている ちなみに当初2023年11月18日に行

          保坂和志「連載小説72 鉄の胡蝶は夢は記憶を歳月は彫るか」(『群像』)/デヴィッド・グレーバー『万物の黎明/人類史を根本からくつがえす』

          わからなくなるところからひらかれる

          ☆photopos-3606(2024.7.23) わからなくなる そこからしか わかることの外へは ひらかれない わかることを いくら繰り返しても わかることが 閉じられていくばかりだ できなくなる そのことからしか できることの外へと 向かうことはできない できることを いくら繰り返しても できることが 閉じられていくばかりだ 理論化できなくなる そこからしか 理論の外にあるものは 見られない 理論を強固にし それもとに考え続けても 理論の壺が 閉じられ

          わからなくなるところからひらかれる

          三木那由他「言葉の展望台㊱呼び掛ける言葉(最終回)」(『群像』)/三木 那由他『言葉の展望台』

          ☆mediopos3536(2024.7.23) 三木那由他「言葉の展望台」の連載が最終回を迎えた 「㊱呼び掛ける言葉」である(『群像』) この連載に関しては 書籍化された三木 那由他『言葉の展望台』 についてとりあげたmediopos2806(2022.7.24)のほか mediopos2703(2022.4.11)とmediopos-3131(2023.6.14)でも 連載記事をとりあげたことがあるが 最終回では連載のいちばん最初に話題にされた 「学生からの「先生」

          三木那由他「言葉の展望台㊱呼び掛ける言葉(最終回)」(『群像』)/三木 那由他『言葉の展望台』

          未知のものへの衝迫

          ☆photopos-3605(2024.7.22) 呼び声がする いや声ではない やむにやまれぬ衝迫が 私を世の外へと向かわせる それが何なのか 名づけることはできない 私のなかにいる何者かが 私を促してやまないのだが どこに向かっているのかはわからない 何を求めているのか それさえわからないのだが 目的地を持たないことこそ 目的なのかもしれない 未知のものへの衝迫が 私を世の外へと向かわせるのだ *愛媛県久万高原町・古岩屋にて

          未知のものへの衝迫

          目崎徳衛『漂泊』/近藤祐『漂泊者の身体/ポール・リクールで読み解く 西行・芭蕉・放哉』/『尾崎放哉全句集』/三木清『人生論ノート』/國分功一郎『スピノザ エチカ』

          ☆mediopos3535(2024.7.22) 芭蕉は『奥の細道』をこんな言葉ではじめている  月日は百代の過客にして、  行かふ年も又旅人也。 そうしてひとは「漂泊」を事とする 実際に「旅を栖とす」ることがなくとも 「得体の知れないある奥底からの衝動」から 漂泊に駆り立てられる 『漂泊』の著者・目崎徳衛は その衝動を「デーモン」の促しだとするが 日本の思想史には三つの類型があるという 第一の類型は「神・仏・キリストなど、ある絶対者に帰依して 解脱・救済を求め

          目崎徳衛『漂泊』/近藤祐『漂泊者の身体/ポール・リクールで読み解く 西行・芭蕉・放哉』/『尾崎放哉全句集』/三木清『人生論ノート』/國分功一郎『スピノザ エチカ』

          もののけはどこにでもいる

          ☆photopos-3604(2024.7.21) もののけは 妖怪変化のような お話のなかの存在ではない どこにでもいる 科学というもののけがいる まさにものに憑いて 科学的であることを 至上の価値と思いこませる メディアというもののけがいる 霊媒として 神の声だと称しながら さまざまなお告げをもたらす お金というもののけがいる なんでも買えて 意のままにできると思い込み ほかの価値がみえなくなる ものに こころに ことばに もののけは憑く 気づかないでい

          もののけはどこにでもいる

          別役実『もののけづくし』/柴田宵曲『完本 妖異博物館』

          ☆mediopos3534(2024.7.21) 夏はお化け・怪談の季節でもあるが この類の話は季節を問わず面白い しかも役に立つ話ではないのがいい なまじ役に立つ話はどこか教育的で けっきょくのところ消費される類の話になりがちだが 今回とりあげる「もののけ」や「妖異」の話は 想像力に働きかけてくれるだけに むしろ魂のどこかに滋養として残ったりもする 別役実『もののけづくし』は 『虫づくし』『道具づくし』を含む三部作の一冊だが 本書において別役実は 「「近代科学」はこ

          別役実『もののけづくし』/柴田宵曲『完本 妖異博物館』

          わたしの思いは言葉にはならない

          ☆photopos-3603  2024.7.20 わたしの思いは 言葉にはならない 思いはどこからか訪れ 言葉にしようとしても 言葉は言葉でしかないから 言葉を覚え 言葉を使うとしても 言葉を使うことで 言葉に使われている そして言葉は思いを生み その思いもまた変わり 言葉にならない思いは 行方不明になってゆく わたしの言葉は 文字にはならない 言葉はどこからか訪れ 文字にしようとしても 文字は文字でしかないから 文字を覚え 文字を読み わたしは書くとしても

          わたしの思いは言葉にはならない

          吉岡乾「連載 ゲは言語学のゲ⑬癒着する言語と文字」(『群像』)

          ☆mediopos3533(2024.7.20) 言語学者・吉岡乾の『群像』での連載「ゲは言語学のゲ」 第13回目は「癒着する言語と文字」 吉岡乾は国立民族学博物館に勤めているそうだが 博物館での言語に関する展示は難題だという 「言語はヒトにしかない社会的道具立て」なので 「民俗学の博物館で言語を紹介するのは、的外れではない」のだが 「音声言語には目に見える姿形がない」 文字を展示してもおかしくはないのだが 視覚的に訴えかける文化人類学的な資料に対し 「圧倒的に訴求力

          吉岡乾「連載 ゲは言語学のゲ⑬癒着する言語と文字」(『群像』)