KAZE

「神秘学遊戯団」は1991年スタート。シュタイナーのほか、諸テーマを横断。 HP ht…

KAZE

「神秘学遊戯団」は1991年スタート。シュタイナーのほか、諸テーマを横断。 HP https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/    Facebook https://www.facebook.com/kazenotopos

マガジン

  • 神秘学ポエジー【風遊戯】photopos

    神秘学的な内容を写真と言葉で、「遊戯」していくシリーズ。

  • 神秘学ポエジー【風遊戯】mediopos

    本を中心としたメディアを神秘学的な視点で読みながら「遊戯」していくシリーズ。

  • photopos/mediopos ブックレット版

    photopos/medioposをそれぞれ時系列でブックレット化(25項目で「一集」)していきます。

最近の記事

言葉になるまえの世界へ

☆photopos-3675(2024.10.2) 言葉の 外へと 向かうために 言葉になる まえの世界へ 戻るのではなく さらに 歩を進める 言葉の つくりあげていた 現実 その世界に 亀裂をいれ 外へ出る 笑いながら 問いと 答えの 矛盾を超える そこで 生まれる 言葉とともに 自由に生きる *愛媛県内子町・小田深山渓谷にて

    • 長谷川櫂『俳句の誕生』/大岡信『現代詩人論/詩人の設計図』

      ☆mediopos3605(2024.10.2) 長谷川櫂『俳句の誕生』については mediopos-2373(2021.5.16)及び mediopos3521(2024.7.8)でとりあげたが その際には主に 子規〜虚子の俳句における「写生」について そして大衆化によって内部崩壊し 「批評」が喪失してしまっている現状 それは俳句だけではなく あらゆる文化に及んでいることについてふれた 今回はその観点からではなく 俳句という表現形式の成立における禅の思想の影響 そして

      • 言葉を言葉にしている歌はきこえているか

        ☆photopos-3674(2024.10.1) 声を 文字にし 意味を 文字にし 声と意味を 重ねながら 新たな文字にし わたしたちは 文字とともに生きているが 文字にならない声 文字にならない意味を 忘れてはいないか 美という文字を覚えることで 美しさを見失ってはいないか 自由というという文字を覚えることで 自由を見失ってはいないか 言葉を 言葉にしているもの その深みで捧げられている ほんとうの歌はきこえているか *愛媛県内子町・小田深山渓谷にて

        • 石川九楊『ひらがなの世界──文字が生む美意識』/「ひらがな語のスタイル──『ひらがなの世界』あとがきのあと」

          ☆mediopos3604(2024.10.1) 「日本語を書記するために、 漢字、ひらがな、カタカナの三種の文字があるのではない。 三種の文字とともにある言葉が日本語をつくっている」 このもっとも基本的な日本語理解に基づきながら 石川九楊『ひらがなの世界』は書かれている 『万葉集』はすべて漢字(万葉仮名)で書かれた歌であり その万葉仮名から平安時代中期九〇〇年頃 「ひらがな=女手」は生まれ 九〇五年に編纂された『古今和歌集』は その新生のひらがなで書かれた 『万葉

        言葉になるまえの世界へ

        • 長谷川櫂『俳句の誕生』/大岡信『現代詩人論/詩人の設計図』

        • 言葉を言葉にしている歌はきこえているか

        • 石川九楊『ひらがなの世界──文字が生む美意識』/「ひらがな語のスタイル──『ひらがなの世界』あとがきのあと」

        マガジン

        • 神秘学ポエジー【風遊戯】photopos
          1,368本
        • 神秘学ポエジー【風遊戯】mediopos
          1,368本
        • photopos/mediopos ブックレット版
          10本

        記事

          反転する双面の合わせ鏡

          ☆photopos-3673(2024.9.30) 表は 裏を産み 外は 内を産み 光は 影を産み 善は 悪を産み 真は 偽を産み 聖は 俗を産み 生は 死を産み ときに 双面は反転し 合わせ鏡の如く 照らし合う *愛媛県内子町・小田深山渓谷にて

          反転する双面の合わせ鏡

          岩野卓司「ケアの贈与論 連載第6回・第7回」/最首悟『こんなときだから 希望は胸に高鳴ってくる』『いのちの言の葉』/立岩真也『弱くある自由へ』/フロイト『不気味なもの』

          ☆mediopos3603(2024.9.30) 岩野卓司の『贈与論』 およびそれに関連した「ケア」の考え方については mediopos-1776(2019.9.26) 岩野卓司『贈与論/資本主義を突き抜けるための哲学』 mediopos3479(2024.5.27) 岩野卓司「ケアの贈与論」 連載第1回・第2回(法政大学出版局 別館(note)) mediopos3546(2024.8.2) 岩野卓司「ケアの贈与論」 連載第3回・第4回・第5回(同上) さらにmedio

          岩野卓司「ケアの贈与論 連載第6回・第7回」/最首悟『こんなときだから 希望は胸に高鳴ってくる』『いのちの言の葉』/立岩真也『弱くある自由へ』/フロイト『不気味なもの』

          ほんとうにいきるためのたべもの

          ☆photopos-3672(2024.9.29) ほんとうにいきるために わたしたちは なにをたべればいいのだろう たべものが わたしたちのからだを こわしてしまうことがある たべものが わたしたちのこころを だめにしてしまうことがある たべるということは どういうことなのだろう いきるということは どういうことなのだろう わたしたちの ほんとうのからだを つくってくれるたべものとは わたしたちの ほんとうのこころを そだててくれるたべものとは・・・ わたし

          ほんとうにいきるためのたべもの

          坪井貴司『「腸と脳」の科学/脳と体を整える、腸の知られざるはたらき』

          ☆mediopos3602(2024.9.29) 「腹をくくる」「腹を割って話す」「腑に落ちる」「太っ腹」 あるいは「腹が立つ」「腹の虫が治まらない」「腹黒い」など 脳と腸を結びつけるともいえる言葉があるが 現在では腸は「第二の脳」といわれるようになっているように 脳と腸は相互に情報やりとりをしながら影響を及ぼしあい 身心の状態を調節していることがわかっている そのしくみは「脳腸相関」と呼ばれ (腸から脳へ情報を伝えるしくみは腸脳相関) それが分子および細胞レベルで明ら

          坪井貴司『「腸と脳」の科学/脳と体を整える、腸の知られざるはたらき』

          見えないなにかに支えられている

          ☆photopos-3671(2024.9.28) 存在は 無に 支えられている 音が 間に 支えられ 現実が 想像に 支えられ 言葉が 沈黙に 支えられているように そして 私は 他者に 支えられながら 私という謎を生きている *愛媛県内子町・小田深山渓谷にて

          見えないなにかに支えられている

          松田行正「素(しろ)」(『和力(わぢから) 日本を象る』)

          ☆mediopos3601(2024.9.28) 松田行正『和力(わぢから)』(2008)は 日本文化を象徴する以下の24のテーマ(かたち)を 漢字一文字に集約させ象徴的に読み解く 発想の缶詰のような一冊  籠(ろっかく)・×(バツ)・似(にている)・方(ほう)  律(リズム)・字(かな)・蔓(からくさ)・紙(かみ)  余(よはく)・包(つつむ)・月(つき)・波(なみ)  旋(らせん)・結(むすぶ)・丸(まる)・格(こうし)  起(てりむくり)・朱(あか)・軸(アシンメト

          松田行正「素(しろ)」(『和力(わぢから) 日本を象る』)

          あらたに言葉を甦らせるために

          ☆photopos-3670(2024.9.27) 言葉は 言葉ではないものとの 境域から生まれてくる 言葉は そのいのちを失うとき 境域へと還ってゆく 言葉を あらたな言葉として 甦らせるために ひとはその だれのものでもない言葉の 器にならねばならない 詩(うた)は 詩ではないものとの 境域から生まれてくる 詩は そのいのちを失うとき 境域へと還ってゆく 詩を あらたな詩として 甦らせるために ひとはその だれのものでもない詩の 器にならねばならない *愛媛

          あらたに言葉を甦らせるために

          時里二郎「『石目』から『名井島』へ」・峯澤典子「果てしない洞からコトカタへ」(『現代詩手帖』2024年7月号)/『時里二郎詩集』/『入沢康夫詩集』

          ☆mediopos3600(2024.9.27) 『時里二郎詩集』が 思潮社の現代詩文庫(252)として 今年の五月に刊行されている 折良く『現代詩手帖』の七月号で 「散文詩の自由」という特集が組まれ そこに時里二郎自身による論考および その詩に関する峯澤典子のそれが掲載されていた 今回はそのふたつの論考から・・・ 『時里二郎詩集』には 『胚種譚』(1983)『採訪記』(1988) 『星痕を巡る七つの異文』(1991)『ジパング』(1995) 『翅の伝記』(2003)

          時里二郎「『石目』から『名井島』へ」・峯澤典子「果てしない洞からコトカタへ」(『現代詩手帖』2024年7月号)/『時里二郎詩集』/『入沢康夫詩集』

          うたはうたかた されど

          ☆photopos-3669(2024.9.26) うたは うたかた されど うたは 言祝ぎ ひとを 讃え うたは 寄り添い ひとを 癒やす うたは 生まれ うたは 継がれ 忘れられた うたが 甦るとき ひとは そのいのちに ふれ うたかたを 永遠へと 変える *愛媛県久万高原町・古岩屋にて

          うたはうたかた されど

          『吟遊詩人の世界』/川瀬慈『エチオピア高原の吟遊詩人』

          ☆mediopos3599(2024.9.26) 前回のmediopos3598(2024.9.25)に続いて 『吟遊詩人の世界』から その編集者でもある川瀬慈の 「エチオピア高原の吟遊詩人」をとりあげる 川瀬氏には同名の著書(2020年)があり 解説書のテキストはその著作から 一部改変されながら使われているように 川瀬氏はエチオピアで長年フィールドワークを行い 音楽を職能として生きる 吟遊詩人のコミュニティに入り込み 研究者と被調査者という図式を超えながら その活動や

          『吟遊詩人の世界』/川瀬慈『エチオピア高原の吟遊詩人』

          音の源から

          ☆photopos-3668(2024.9.25) 文字になるまえに 声があり 声になるまえに 音の源がある 音の源から 森羅万象 宇宙は生まれくる 音の源 音の郷へと溯り 弦となりつつ ともに響くとき 音は生まれ 声となり 歌が紡がれ やがて文字は描かれる 文字から 声が 響きが 失われるとき 言葉はもう なにも歌えなくなる からっぽの言葉は なにも容れることのできない 貧しく悲しいからっぽな器になる *愛媛県久万高原町・古岩屋にて

          音の源から

          国立民族学博物館 (監修)・川瀬慈 (編集) 『吟遊詩人の世界』〜矢野原佑史「第6章 うたが生まれる心の小道」(志人)

          ☆mediopos3598(2024.9.25) 国立民族学博物館50周年記念 特別展『吟遊詩人の世界』が 9月19日から開催されている(12月10日まで) 詩歌を歌い語る吟遊詩人は 中世ヨーロッパだけではなく古代から各地に存在した この特別展示では吟遊詩人を 「詩歌の歌い語りを通して世界を異化する存在」 としてとらえ エチオピア高原の吟遊詩人(川瀬慈) タール砂漠の芸能世界(小西広大) ベンガルの吟遊行者と絵語り(岡田絵美) ネパールの旅する楽師(南真木人) 瞽女(

          国立民族学博物館 (監修)・川瀬慈 (編集) 『吟遊詩人の世界』〜矢野原佑史「第6章 うたが生まれる心の小道」(志人)