KAZE
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私以外の私をじぶんのなかに住まわせる
☆photopos-3529 2024.5.7
私とは
だれだろう
私といえるのは
私以外にはいない
と単純にはいえない
私は書く
と書かれている
文字を読むとき
私は私は書くと読む
といえるのだが
じっさいに書いたのが
ほかの私でも
ほかならぬこの私でも
私は私は書くと読む
のである
馬鹿げているように見える問いだが
私は私は書くと読む
ことができるからこそ
私は私
出口顯『声と文字の人類学』
☆mediopos3459 2024.5.7
文字が登場したのは
今から五〜六千年前といわれているが
それまでの人類は無文字時代だった
そのことから
常識であるかのように
はじめに声があり
その後に文字が生まれ
そのことで文明が発展したのだ
という
「声から文字へ」という考え方が生まれた
つまり「文字が人間の認識に変容をもたらし、
論理的思考と科学の発展につながったり、
視覚を特権化する
井筒俊彦英文著作翻訳コレクション『老子道徳教』
☆mediopos3458 2024.5.6
井筒俊彦に『老子』の翻訳があることを知り
小躍りしたことを思いだす
なんといっても『老子』は
ぼくにとっては半世紀前からの
変わらぬバイブルのようなもので
それを井筒俊彦ヴァージョンとして読めるのだから
翻訳といっても英語への翻訳である
それが英文著作翻訳コレクション『老子道徳教』
として出版されたのは二〇一七年のこと
井筒俊彦の英語への翻
阿部謹也『「教養」とは何か』/ダリアン・リーダー『HANDS 手の精神史』/シュタイナー『人間生活の運命を形成するカルマ』
☆mediopos3456 2024.5.4
教養とは何か
Wikipediaによれば
「個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと」とある
そして「一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる
一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、
古典文学や芸術などの文化に対する幅広い造詣が、
品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に
結びついている状態を指す」とされ
「伝統的に
丸山俊一「ハザマの思考8 表象と実際のハザマで」(群像)/ロラン・バルト『表徴の帝国』/河合隼雄『中空構造日本の深層』
☆mediopos3455 2024.5.3
丸山俊一の連載「ハザマの思考」(群像)
第8回目は「表象と実際のハザマで」
主にロラン・バルト『表徴の帝国』と
河合隼雄『中空構造日本の深層』を主なガイドとしながら
加藤周一『雑種文化』小林秀雄『学生との対話』なども
あわせてとりあげられているが
ここではロラン・バルトと河合隼雄の視点を中心に・・・
丸山氏は「日本」をテーマとした議論の場で
「
現代詩手帖 2024年5月号 特集 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く
☆mediopos3454 2024.5.2
『現代詩手帖 2024年5月号』の特集は
「パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く」
現在ガザは
イスラエルによる大量虐殺下にある
この特集では
パレスチナという経験を共有する
来歴も世代も異なった12名の詩人の声が
詩とプロフィールそして解題のかたちで
わたしたちに届けられている
最初に紹介されているのは
ガザを代表する詩人のひとり
若い
せかいの外へ わたしの外へ
☆photopos-3523 2024.5.1
外へとひらかれる
不安のために
とじてしまうとき
見えないでいるものは
もっと見えなくなる
せかいの外へ
わたしの外へ
そのときなにが
見えてくるだろう
わからないでいる
焦りのために
わかりやすい答えだけを
求めてしまうとき
考えられないでいることは
もっと考えられなくなる
わからないせかいへ
わからないわたしへ
そこでなにを
問う
じぶんという謎を味わうために
☆photopos-3522 2024.4.30
たとえ
どんな大きな声で
求められても
どんな強い手で
たしなめられても
白にも
黒にも
灰色にも
染まることなく
冷たすぎも
熱すぎもしないように
ゆっくりと
たしかな熱を加えながら
ひとから
認められるためにでも
あらかじめ決められた結果を
求めるためにでもなく
じぶんという謎を
しずかな足どりで
味わってゆけますように
*愛媛
堀江敏幸『バン・マリーへの手紙』
☆mediopos3452 2024.4.30
堀江敏幸に「バン・マリーへの手紙」という
連作のエッセイがある
二〇年前の二〇〇四年四月に「図書」に掲載されはじめ
連載となったものが二〇〇七年に刊行されている
「バン・マリー」は人名ではなく
フランス語で「湯煎(ユセン)」のこと
「鍋で湯を沸かし、中に小さな鍋を浮かべて
ゆるやかな温度で調理したり、
ソースやポタージュを保温したりすること」