KAZE
記事一覧
忘れてはならない大切なものは
☆photopos-3667(2024.9.24)
政(まつりごと)が
歌を忘れるとき
失われる大切なものがある
歌はいまでも
みつかるだろうか
現が
夢を忘れるとき
失われる大切なものがある
夢はいまでも
みつかるだろうか
生きることが
自由を忘れるとき
失われる大切なものがある
自由はいまでも
みつかるだろうか
考えることが
感じることを忘れるとき
失われる大切なもの
内なる宇宙とともに世界と呼吸する
☆photopos-3666(2024.9.23)
機械のからだを得て
永遠に生きていこうと
銀河を旅する物語があるが
考えることを
AIに肩代わりさせ
からだの部品も代替品に代え
生きようとするとき
そこに内なる宇宙は
残っているだろうか
内なる宇宙だけで
生きてはいけないけれど
内なる宇宙を
失ってしまったとき
わたしはいったい
何者になっているのだろうか
わたしは
与えられた意味
村澤真保呂「「身体のアレンジメント」を読む 田中泯と「分子革命」」(ユリイカ2022年2月号)/フェリックス・ガタリ+田中泯『光速と禅炎』
☆mediopos3596(2024.9.23)
mediopos3592(2024.9.19)で
現代思想 2013年6月号の
特集「フェリックス・ガタリ」に掲載されている
田中泯へのガタリについてのインタビューをとりあげた際
ガタリと田中泯の対談本『光速と禅炎』についての
村澤真保呂「「身体のアレンジメント」を読む」という
ユリイカ 2022年2月号(特集「田中泯」)の記事にふれたが
「ガ
村澤和多里・村澤真保呂『異界の歩き方――ガタリ・中井久夫・当事者研究』/フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』
☆mediopos3595(2024.9.22)
澤和多里・村澤真保呂
『異界の歩き方』の概略についての
mediopos3585(2024.9.12)に続き
mediopos3593(2024.9.20)では
R・D・レインの「反精神医学」についてとりあげたが
今回はそれに続きフェリックス・ガタリについて
「第8章 精神、文化、自然」の概略をまとめておきたい
ガタリは
「反精神医学とディープ
鷲田清一『〈ひと〉の現象学』〜「9 ヒューマン 「人間的」であるということ」
☆mediopos3594(2024.9.21)
数年前に文庫化されている
鷲田清一『〈ひと〉の現象学』の
第9章「ヒューマン」をガイドに
「人間的であること」
「普通であること」について
「人間主義」とも訳される「ヒューマニズム」は
「人間」というものに、他の何とも替えることのできない
固有の「尊厳」を見出す思想」だが
「人間的」という概念は
「アプリオリに存立しているのではなく、
アプリ
村澤和多里・村澤真保呂『中井久夫との対話』『異界の歩き方』/R.D.レイン『引き裂かれた自己』
☆mediopos3593(2024.9.20)
澤和多里・村澤真保呂
『異界の歩き方』をとりあげた
mediopos3585(2024.9.12)では
精神科医R・D・レインについて
ふれることができなかったので
同著者による『中井久夫との対話』からの紹介も含めながら
その「反精神医学」についてとりあげておくことにしたい
「反精神医学」は
「一言でいえば、伝統的正統的主流的精神医学の
狂気
おもしろいことをしよう
☆photopos-3662(2024.9.19)
おもしろいことをしよう
そうしていきていければ
なんとうれしいことか
きめられたとおりに
かんがえるだけの
わたしはつまらない
おしえられたことを
おしえられたようにおぼえる
わたしはつまらない
みとめられるために
みとめられることをする
わたしはつまらない
わたしのなかにいる
わたしでないわたしたちのことを
わすれたままだとつまらな
田中泯「時代と添い寝しないカラダ」(現代思想 2013年6月号 特集「フェリックス・ガタリ」)/フェリックス・ガタリ+田中泯『光速と禅炎』
☆mediopos3592(2024.9.19)
これまではドゥルーズ=ガタリの
ドゥルーズのほうに関心をもってきたが
mediopos3585(2024.9.12)でとりあげた
『異界の歩き方』を読んで以来
精神分析家のガタリに注目するようになった
そのなかで偶然のように
現代思想 2013年6月号の
特集「フェリックス・ガタリ」に掲載されている
ガタリについての田中泯へのインタビューを見つ
バーツラフ・シュミル『SIZE(サイズ) 世界の真実は「大きさ」でわかる』/『老子道徳経』/本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』
☆mediopos3591(2024.9.18)
日常生活において
サイズは重要な意味をもっている
服のサイズや道具や機械のサイズなど
意識的に選択されているサイズもあれば
実際に使ってみて
あるいはその場所に行ってはじめて
そのサイズが半ば無意識に予想していたものと
異なっていることに気づくサイズもある
「好むと好まざるとにかかわらず、
私たちは細かくサイズが定められた空間を動きまわってい
くりかえしはじめてかんがえる
☆photopos-3660(2024.9.17)
なんどでも
なんどでも
かんがえる
おなじことのようでも
おなじことは
けっしてないから
くりかえし
かんがえる
なんどでも
なんどでも
いまここで
くりかえし
はじめて
かんがえる
かんがえることは
いつもあたらしい
かんがえは
いつもうまれたばかり
かんがえて
かんがえて
かんがえることで
そこに
うまれてくるものと
ともにいきる
武田砂鉄「誰もわかってくれない—なぜ書くのか 第8回ハウ・ツー」/保坂和志「鉄の胡蝶は歳月は夢は記憶に彫るか 連載小説74」 (群像2024年10月号)
☆mediopos3590(2024.9.17)
「群像」で連載されている
武田砂鉄「誰もわかってくれない」
保坂和志「鉄の胡蝶は歳月は夢は記憶に彫るか」
その二〇二四年一〇月号の記事をガイドに
(二つの記事は直接関係してはいないが)
「書く」ことと「考える」こと
そしてその背景にたしかにあるにもかかわらず
見えなくさせられている
いってみれば半ば無意識なまでに働いている
「自動化」あるいは「