yuri

理学療法士(呼吸循環/心不全療養指導士)、ヨガインストラクター、療育。 文系ヨギーニ。…

yuri

理学療法士(呼吸循環/心不全療養指導士)、ヨガインストラクター、療育。 文系ヨギーニ。 https://www.instagram.com/socca.yoga_yuri?igsh=MWw5NmYzNHVhdzdmaQ%3D%3D&utm_source=qr

最近の記事

議事録とカツアゲ

会議の議事録を作る。という仕事に対しての問題点。 書いている人はメモに必死で意見をだしにくい→貴重な意見が埋もれる 聞き漏れがでる→共有できない 議事録を作るというストレス→業務効率が落ちる もちろん議事録をつくる良いところもありますが、文明の恩恵を積極的に享受する。という選択肢を検討するのも大切なことだし、その精神は嫌いじゃないです。 とりあえずトライアル!と文字起こしと要約AIのアプリを使ってみました。 普段わたしが議事録担当であることが多いので、なんとなくパソコンが

    • 雨と頭痛

      カレンダーを一枚めくって雨降りの7月、起きてきた息子の様子がおかしい。 それでも時間は進むから準備を進め、トイレに入ると扉の向こうから蚊の鳴くような声が聞こえてくる。 声の主である息子を迎え入れると「頭が痛いから休みたい」と泣きだす始末‥ 時計を見ると息子の出発とわたしの出勤まであと10分、旦那が車で送るにしてもあと15分。 熱を測るも平熱。何を尋ねても「頭が痛い」と泣いてうずくまる息子に、話が決まらなくてイライラする旦那、お兄ちゃん休むのズルイと怒りだす娘。 最高にカオ

      • 人生とヨガ

        がんばる方ががんばらないより簡単。 がんばるのが当たり前の人にとって、がんばらないのは難しい。 がんばらない=リラックス このリラックスができている人ってどのくらいいるんだろう…というのが(多分)何百人と人の身体をみてきたわたしが正直に思うことです。 自分の本当の静かな状態(リラックス)を知らなければ、最大のパフォーマンスがだせない。 がんばる自分、がんばらない自分。 双方の状態を知ることで、初めて自分の快適な場所を知ることができると思うのです。 数年前の記録に走り書きし

        • 7月の真理

          心が愛にあふれているとき、わたしは生きるペースを落とすことができると気づく。 話すペースも落ち着き、思考の展開速度や広がり方もセーブできる。 だとすると、わたしのマインドフルネスの最高の材料は愛だ。 愛って自給自足できるんだっけ‥? それをできるようになるのがヨガやマインドフルネスなのか‥ という当たり前の普遍的な真理に触れる7月。 皆さま雨の被害はありませんでしたでしょうか。 愛ある平和な日常が、飽きるほどに続きますように‥

        議事録とカツアゲ

          ラッキースケベの性善説

          最近、圧倒的にインプットが足りていないことに気づく。 全くないわけではない、でもすぐに使えるインプットしかできてないので、蓄積できている感覚がなくて、コップの水はたまりにくい。 インプットした瞬間、飲み干してしまってる。 こういう時の自分の状況としては、器用にこなしているようにみせているだけの黄色信号。 できない自分でもよい。 でも求められてる自分に寄せて動いてしまうから、無意識に要不要を要領よく選別してしまう。 どうでもいいインプットをしたい。 生身の人間を通して、本

          ラッキースケベの性善説

          いまでも雨宿り

          雨宿りってモラトリアムのイメージがあって、思春期から青年期のある種無責任な、それでいてサイコーにバカができる時期を思い出します。 安定も不安定もどっちでも楽しくて、自分という人間がどんな存在なのか分からないから、何にでもなれる!という無限の可能性が今はとてもまぶしく感じます。 雨宿りができるのも、自分の礎となる場所があるからこそ。 そのありがたさに気づくのって、雨宿りから遠く離れた場所にきてから… 次は自分が誰かの雨宿りの場所を作るために行動せねばならないという使命感もあり

          いまでも雨宿り

          好きの終わり

          子どもたちは大好きだったアンパンマンからいつの間にか卒業したけれど、それって嫌いになったわけではなくて、アンパンマンを「なう」で必要としなくなったから。身体の中には確実にアンパンマンワールドがあって、ふとした時にアンパンマンのことを思い出したりすると今でも言います。 高校生の時大好きだった人。 これだって嫌いになったわけではなくて(当時の揺れ動きは別として)ふと似たような香水のにおいがしたら「きゅん」と思い出す。もう会えない・会わない、思い出すことが少なくなった…としても嫌

          好きの終わり

          ネガティブの性格

          ネガティブという感情にも性格があるそうで、反芻しやすく残りやすい。来る日も来る日も些細なことで見え隠れして、それはそれはねばっこく身体にまとわりつく。 別れた後も未練残しちゃって、枕を濡らすわ。みたいな人格。 もちろんそれだって意義があることなんだけど。 そう思うと、ネガティブが身体か ら離れていかないのって別に自分の責任じゃなくて、ネガティブがそういう人格だから仕方ないと自分以外の要素を考えることができる。 相手を知ることって確かに最高の防衛だ!と攻めること以外の防御

          ネガティブの性格

          身体の目標は人生の目標

          今日はパーソナルトレーニングの予約が3本入っていて、ありがたいことに頭が忙しい一日だった。 運動って一回で劇的な変化はでない。 小さな運動の積み重ねが、やがて身体に還り生活に生きてくるものだと思っている。 それなりの価格を支払うパーソナルトレーニングの世界では、もしかしたらそんなこと言っちゃいけないのかもしれないけれど。 わたしは身体の目標を人生の目標としてとらえたい。 痛みが取りたいじゃなくて、もっとその先。 おばあちゃんになっても歩いてトイレに行きたい。 体調を気に

          身体の目標は人生の目標

          五感

          いつものスーパーに行き、変わり映えのない買い物をして、ドラマチックでもなんでもないレジに並び、懐を痛める‥ なんだ、と思う前に心臓を掴まれた。 わたしの心臓へのボディイメージは、鋼のものだというのに。 理由を探すまでもなく、心臓を掴んで離さないのはブルガリプールオム。むかーし昔死ぬほど好きだった人がつけていた匂い。 40前の大人になっても嗅覚を通してわたしの心臓を盗んでいくその威力にびっくりだ! その人に似ても似つかぬレジのお兄さんにお金を払いながら、早く廃盤になればい

          好きに寄り添う

          好きに寄り添う なんだかんだ、わたしは人が何かを好きと思う気持ちや、それを表現すること。深めたいと思うこと。 その行為や過程がだいすきです。 めちゃくちゃ沼にハマって語り明かす人を見つめるのは楽しい。 〇〇が好き、得意。という人に対して、ならばこういう脈絡で⬜︎⬜︎も好き・得意だと思う。と推測して提案することは最高にワクワクします。 導きたいわけではなく、その好きに寄り添いたい。 最近その気持ちに気づいて、好きでも嫌いでもない自分のことを少しだけ好きだと思ったし誇らしい気

          好きに寄り添う

          おしえる

          最近の娘の目標は、マット運動の後ろ回りができるようになることです。 動きを分析すると、内転筋の出力が弱く体幹屈曲方向に入りにくいこと、殿筋がうまく作用せず蹴り出しが弱いことが挙げられます。 足の間にヨガブロックを挟んでセツヴァンダサルヴァンガアーサナにハラアーサナを練習していたらできるようになると思ったのですが、親子ってうまくいかないものですね。 ヨガの生徒さんには優しく教えられるし、療育の子どもたちには根気強く相手に合わせて運動を組み立てることができます。 わが子にはどう

          おしえる

          マインドフルネスプラクティス

          朝のマインドフルネスプラクティス。 すごく集中できる日ほど、力みを感じない。 前のめりでもない。 ちょっとしんどいな‥と思う日の方が身体と床が一体化する。 身体は眠ってしまっているような感覚で、心は目覚めている。 1秒ごとに移りゆく自分の感覚を繊細にかんじられている。 覚醒と睡眠の間のこの感覚は一体なんだろう‥ 慣れない瞑想に遊んでもらいながら、マインドフルネスプラクティス後の1日はおどろくほどにおだやかにおわる。

          マインドフルネスプラクティス

          昨夜の話

          息子は眠るのが苦手で、夜はゆっくりお話しする時間があります。 ゆっくりお話しと表現できた昨夜は、わたしの心にも余裕があって。 マッサージしたりとりとめもない話をして、夜の時間を楽しみました。 ふと息子が「お母さん土曜日もいる方がいい」といいだしました。 転職前のわたしは土日祝日休みで、土曜は旦那も午前中は仕事。 土曜の午前中は子どもたちと宿題を終えてしまえば一緒にホットケーキを焼いたり庭や公園で遊んだり、昼ごはんは特別にテレビを見ながら食べてもいいというルールを作ったり‥

          昨夜の話

          日常とヨガ

          お仕事で子どもたちとヨガをやってみてもらいたい、というお話しをちょこちょこいただくようになりました。 わたしにとってヨガはイベントではなく生活の一部なので、その場限りのお付き合いではなく、日常の延長線上にヨガをできることが嬉しくてならない。 そしてそれが一番ヨガや身体を楽しむことができる方法だと思っている。 子どもたちが呼吸を楽しめるようになるまで、まだまだまだまだ時間はかかるのだろうけれど、折に触れてやってみると、意外な子どもが隣でポーズをとっていたりする。 そうそう

          日常とヨガ

          さいきんのよろこび

          療育に携わり、正解のない世界をわたしなりの方法で泳いでいます。 とはいえ。 わたしが自信を持って相談なしに理解できる観察項目は運動のみ。 運動の良さや課題を見つめながら、できそうなことを遊びに盛りこんだりわざと課題としてやってみたりします。 そしてわたし最大の強みは、それをじっくり待てること。 結果は10年後くらいにでるものだと思っているので、今はひたすら種を蒔いて可能性を広げて深めるだけ。 入ってまだ2ヶ月半ですが、その間ずっと身体の使い方がうまくいかない子どもと、シー

          さいきんのよろこび