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aizulover
好きの終わり
子どもたちは大好きだったアンパンマンからいつの間にか卒業したけれど、それって嫌いになったわけではなくて、アンパンマンを「なう」で必要としなくなったから。身体の中には確実にアンパンマンワールドがあって、ふとした時にアンパンマンのことを思い出したりすると今でも言います。
高校生の時大好きだった人。
これだって嫌いになったわけではなくて(当時の揺れ動きは別として)ふと似たような香水のにおいがしたら「きゅん」と思い出す。もう会えない・会わない、思い出すことが少なくなった…としても嫌いになったからさようならという感覚は今でもありません。
その中で、好きに終わりがあるという概念と最近出会いました。それに結構な衝撃を受けて、
好きという気持ちは蓄積し、身体に取りこんでいくものだという認識を自分が持っていることに気づきました。
嫌いになって終わることと、好きを終えることって同義じゃないのかもしれないから、自分で気持ちに幕引きができるという潔さも選択肢としてはありなのかもしれません。
好きの終わりって明確に意識していますか?
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