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写真家になったと思ったら、シャッターが押せなかった話〜ネガティブ・セルフトーク その2

前回の続き)
ということで、ネガティブ・セルフトークの発動に対処するため、僕は色々と方法を模索し始めました。

最初に白状しておくと、僕は最初、自分がシャッターを押せないことをカメラのせいにしていました。ごめんよ、GR3x。好きなカメラに違いはないのだけれども、写真家になっている僕のイメージの中で持っているカメラは、GR3xではなかったんです。

ゴール側にいる僕が持っている*1のは、あらゆるカメラの購入理由を消し去るほどの「もう一生これでいい」感を持たせてくれる唯一無二のブランド、ライカ*2だったのです。このように書くと、何やら崇高な目的の一環のようにも聞こえますね。言い方を変えてみましょう。「やっぱカメラはライカやろ〜、あーほしいなあー、あ、そうや!このカメラじゃないから勇気が出ないということにして、買ってしまおう!これなら奥さんもOKやろ!!(しらんけど)」
むしろ、こちらが正のような気がしてならないのですが、一方で写真家として伝説になっている自分*3が持っているカメラは当然ライカ、というふうに目に見えるくらいにくっきりとイメージもできていて、どちらも正しいということになります。よくわかりませんが、喧嘩両成敗*4ということにしておきます。

さて、こうしてようやく念願のライカを手にして街に繰り出すことができるようになりました。被写体はもう目の前にあります。さあ、きちんと人目を気にせず撮れたでしょうか、、、?



撮れました!


はじめから何の問題もなかったのように、撮れました。ライカを持っている自分は写真家なんだ、という謎の自信*5によって僕のシャッター押せない問題は解決したのです。。。。



と、言いたいところではあるのですが、完全に拭いきれてはいませんでした。まだ、人通りの多いところでは少し躊躇してしまうのです。何かが自分にブレーキをかけてくるような感覚です。ネガティブセルフトークはなかなか手ごわいです。

「自分は引っ込み思案である」
「人前で目立ってはいけない」

このネガティブ・セルフトークは僕の行動を長い期間にわたって制御してきました。おかげさまで、僕はこれまで小学校から大学、職場など集団の中で人前であまり目立たなかったと思います。

また、目立たない位置にいることによって、自然とその場の熱量や考え方から一歩引いて全体を見渡すこともできるようになっていました。社会のしきたりや慣習、普通はこうするよねというパターンに敏感になっていたのです。

中学〜高校生の頃、友達とカラオケに行ったりしましたよね。僕も当然友達に誘われて、行くことはありました。しかし、そもそも流行の歌を知らない。興味がなかったから、自分から聞こうとしなかったのです。だから、みんなが歌っている歌を自分でも歌えるようにと、レンタルCD屋さんに行ってあまり気がすすまないまま借りてきた覚えがあります。そして聞いてみると、どの歌も同じようなパターンで展開していることに気がついたのです。イントロ、Aメロ、ブリッジ、サビとかいうパターンですね。そうすると、そのパターンを崩してほしいのに、崩してくれないことが不満になってしまいました。崩している風の曲があっても、結局は順番を入れ替えて最初にサビから入るとか、そういうアレンジのパターンも含めて結局は同じだ、と。

言いかえると、自分には自分の納得の行く表現方法が、いつの間にか自分の中にはあったのです。中高生の頃は世界には自分が想像もつかないほどに多種多様な音楽の種類があるということを知らなかったので、不満を持つことしかなかったのですが、後に大学生になると一気に音楽の世界の広がりを知り、自分が好きな音楽も見つかって楽しくて仕方がないものになっていきました。ちなみに僕が音楽を好きになるきっかけを与えてくれたのは、Dream Theater*6でした。

長くなりましたが、要するに、人前で目立たないような位置からその場を俯瞰しようとする性質は、自分にとって表現欲の源泉にもなっているのではないかということをお伝えしたかったのです。

そうすると、ネガティブ・セルフトークをどう扱えばいいのかについての方向性も分かってきます。このネガティブ・セルフトークのネガティブな側面ばかりを見ようとするのではなく、ポジティブな側面がこのネガティブな側面があるからこそ生まれるのだという理解の仕方をすることです。そういう観点で考え始めた時、扱い方が見えてきました。

つまり、こういうことです。
自分の表現欲と集団の中で目立たないようにすることとは、表裏一体で同じことの表と裏の関係にあります。そうしているときに自分の表現欲は開放され、きっといいものが出来上がります。


「引っ込み思案、目立ってはいけない、、、だからこそ、そんな自分にしか撮れない一瞬がある。」


単純かもしれませんが、こうしてネガティブ・セルフトークを書き換え、僕は街に出てひたすら撮りまくりました。

結果、何度か人前で撮ってみたら意外とあっさり開き直れてしまいました。「あ、多分いま見られてるわ、、いやいや、俺は写真家。そら、撮りまっせ。」という感じにしかなりませんでした。単に慣れの問題もあったのかもしれません。人が多く近づきたくないような場所は、撮りたければとればいいし、別に撮らなくてもいいのです。好きにすればいい、ただそれだけなのです。いちいち撮れなかったからといって、気落ちする必要はないのです。今撮られる瞬間ではなかった、というだけです。

いずれにせよ、僕は紆余曲折?を経て写真家としてのスタートがようやく切れたのです。そこで、前回に書いた内容、書いていない内容含めてこれまでの経緯を簡単にまとめてみました。これが全てではありませんが、コーチングが機能している様が少しでも見えれば幸いです。

  1. 写真家になるという現状の外のゴール設定をする

  2. エフィカシー上がる

  3. 8月に展示会を開くと宣言(エンドステートの設定)

  4. RASが発火*7し、今まで見えてなかった時間の使い方が見えるようになる

  5. 愛機GR3xを持って街に繰り出すも、引っ込み思案のネガティブ・セルフトークが行動にストップをかけ、ほとんど撮れずにショックを受ける

  6. 伝説の写真家として活動している自分が持っているカメラをイメージし、ライカQ2を購入、エフィカシーが上がる

  7. エフィカシー上がった状態で再度街に繰り出し、かなり撮れるようになるも、まだ人目を嫌がる自分がいることに気づく

  8. ネガティブ・セルフトークの書き換えを実行しつつ街に繰り出す回数を増やす

  9. 見られる回数が増える一方、意外と大丈夫なことに気づく

今日はここまでにします。順風満帆にスタートできたといえるでしょうか?撮れ始めたころは一瞬そう思いました。しかし、まだまだ壁は分厚いのです。実は、現状の外に出るということは、現状をよく知っていないと実はできません。僕はまだ、写真を撮るという最低限の行為かつ写真家でなくてもそもそも誰でもできることをしたに過ぎなかったのです。(つづく)


本論に関係あったりなかったりする脚注

*1 ゴール側にいる僕が持っている:ゴール側にいる自分をありありとイメージすることによって、脳はそれが現実だと理解する
*2 ライカ:言わずとしれたカメラ界のトップブランド。本社はドイツ
*3 写真家として伝説になっている自分:すでにゴールは実現したものとして、このように表現する
*4 喧嘩両成敗:喧嘩を売ったほうも買ったほうも両方とも罪があるとする原則。戦国時代の大名として、織田信長に桶狭間で破れたことであまりにも有名な今川氏が「今川仮名目録」で喧嘩両成敗を明確に規定している。この時代の喧嘩両成敗はいかなる理由があろうと当事者双方は原則として死罪。ちなみに本文の使用方法は参考にしてはいけない
*5 謎の自信:自分はライカを持ち伝説の写真家になっているという揺るぎない自身。エフィカシーともいう
*6 Dream Theater:1989年デビューの米国プログレッシヴ・メタル・バンド。変幻自在で先が読めない展開に当時はドキドキさせられました
*7 RASが発火:RASは、Reticular Activating Systemの略。網様体賦活系という。RASは感覚器官を通して脳に入ってきた情報のうち、自分にとって重要なもののみ意識に上げるように情報を取捨選択している。つまり、RASはあふれる情報を遮断して脳の負荷を下げるための門番のような存在。このRASが発火しているときは、情報を入れる前提となる重要性に変動が起こり、結果的に今までなら入ってこなかった情報が見えるようになる、という現象が起こる。

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