見出し画像

写真家になったと思ったら、シャッターが押せなかった話〜ネガティブ・セルフトークについて

シャッターが押せない??故障??どういうこと??ですね。

はじめて「世界(ザ・ワールド)」*1の能力を体験したポルナレフが吐いた名言*2風にいうと、「俺は被写体の前でカメラを構えたと思ったら、いつの間にか通り過ぎていた」になります。

写真家になると心に決め、いきりたって路上に繰り出した僕が手にしていたのは、RICOH GR3x*3という、スナップとしての用途に特化した、スナップシューターのために生まれたような、高級コンデジです。まさに、街に出てシャッターを気軽にパシャパシャ撮るために、電源オンしてから起動するまでの時間が0.8秒と群を抜いて早く、要するに「あ、撮りたい!」と思った瞬間から起算して1秒後にはシャッターが押せているというすぐれものです。カメラのスペックで最速と聞くと、たいていはオートフォーカスの性能のことをいいますよね。被写体が画面に入った状態でそこにピンとを合わせる速度のことです。調べによると世界最速はSONY α6400の0.02秒(出典はsony HP, 2019年6月13日発表プレスリリース)らしいのですが、GR3xはピントを合わせるスピードよりも起動時間の速さに特徴がある機体ということですね。正直、GR3xのAF速度はα6400ほどのスピードではありませんし、動く被写体の追従性もさほどではありません。

GRシリーズに共通する世界観は、カメラとしての万能感を出すというよりは捨てる部分は捨て、居合い抜きのようにパッと出してパッと撮る、そういう決定的瞬間*4を確実に逃さないようなカメラなんです。

そして、僕はそんな大好きなGR3xを握りしめて自分が撮りたいと思っている被写体の前に立ち、、、いや、立つかと思ったら、あろうことかその前を普通の通行人のごとく

「ファーーー」

と、通り過ぎていったのです。

はは〜ん、撮る勇気がないという話だな??と思ったあなた、「正解」です。そのとおりです。前回の話でしたように、僕は自分の子供の成長の記録を取り続けると言う目的で写真の世界に足を踏み入れたのですが、表現欲が家族写真を撮ると言う行為に限定することを許さず、ついに写真家になって自分の作品の価値を世に問うぞ!と心に決めたのでした。

ところが、自分の子供を撮っている分には「嬉しがって子供の写真を取っている父親」として自分で受け入れられていたのが、いざその文脈が存在しない中で、しかも一人でカメラを構えるという段になると、周りからどう見られているのかとか、コイツ一人でこんなところで何をしているんだ??とか思われるんじゃないかという恐怖心に負けてしまったのです。

なぜ、こんな事になったのでしょうか。家を出る前はウキウキしていたのに、いざ現場に来るとチキン野郎と化してお地蔵さんになってしまっている自分。キョロキョロして、逆に挙動不審で目立ってしまっている自分。結局その日は、人通りがほとんどないような場所で、誰にも会わないようにしてやっと2、3枚がとれただけだったのです。概ね1時間半はウロウロと歩きまわってこの結果だったのです。

こんな状態で、本当に3ヶ月後に展示会などできるのか??展示会をするなら30枚くらいはどういう形にするにせよ、用意したい。自分が納得のいく写真を30枚出そうとするとき、歩留り5%くらいの選定基準(20枚撮って1枚合格)にすると、600枚必要になります。さきほどのチキン野郎ペースだと、だいたい1時間に1枚撮れる計算になります。とすると、600枚写真を撮ろうと思ったら、600時間が必要ということになります。1日頑張って5時間撮るとするとそれでも120日必要になります。毎日やっても4ヶ月ですから、これでは到底8月初旬には間に合うわけがありません。チキン野郎ペースを大幅に脱却しなければ、展示会など夢物語となってしまう。極論すると歩留まり100%の設定にすれば、30時間で写真は撮れます。撮れるけども、最初からそんな妥協したらさすがにあかんやろ、、、、という自分の声がしました。自分の現在地点が、そもそも写真の品質云々以前のところで大きくコケてしまっていたのです。

多少ひと目が気になるかな、とは思っていたのですが、そこまでひどいとは想定していなかったので、はじめて写真家としてフィールドデビューした初日はとても悔しい思いでいっぱいになりました。

しかし、mindset coaching schoolで認知科学に基づくコーチングを学んでいる僕としては、この自分の状態には何かあるぞと気がつきました。気がついたというか、僕の無意識はすでに打開策を知っていたようです。自分の意識の上には上がってこないけれども、無意識下で自分が自分に語りかけている言葉ーーーーー

「目立ってはいけない」
「この子は引っ込み思案だから」

これです。

これは、いわゆる「ネガティブ・セルフトーク」*5です。セルフトークと言いましたが、上記の2個めの「この子は」と最初に言ったのはおそらく僕の母親です。小学生の頃、親子の3者面談かなにかで当時の担任に母親が僕のことをそう言っていたのです。言われた記憶がかすかに残っています。母に言われたこの言葉を僕は無防備に受け入れ、そのまま自分で自分にかけ続けてこれまで生きてきたのです。

さて、状況を理解した僕がつぎにやることは、ネガティブ・セルフトークをどのように料理すればいいか、ということです。

人間は1日30000~50000回近く、無意識下で自分自身に語りかけていると言われています。その昔、元読売ジャイアンツの桑田真澄氏はマウンド上でボールに向かって何かぶつぶつと話しかけていたと言われていますが、そのレベルではありません。1日50000回ということは、1日の秒数が86,400秒*6なので、ほぼ毎秒何かしら語りかけているという頻度なのです。毎秒ですよ、毎秒。そんなに喋ることないやん、という人、それは意識レベルの話であり、無意識はそんなことは気にしていません。しかも、セルフトークの中身はネガティブなものが多くを占めているらしいのです。そもそも、人間がネガティブなことを何も考えなければ、大洪水に備えて灌漑することもなかったし、台風に備えて家を補強もしませんし、もっと言えばいまだに狩猟生活で獲物にありつけたり、ありつけなかったりする日々を過ごしていることでしょう。ネガティブだからこそ人間は厳しい自然の中で繁栄してこれた面もあるのです。

きちんと人間の中で機能しているネガティブ・セルフトークなのですが、さすがに邪魔になるときもあります。今回の僕のケースがそうですね。そういう時、放置せずにきちんとこのセルフトークを成敗してあげないといけません。

今回のケースでは、僕は「目立ってはいけない」を料理しました。どうやって料理するのか??目立ちたいと思っているのか?いいえ、目立ちたいとは全然思っていません。その気持を変えるのは、さすがに違和感があります。でもこのままでは写真が撮れない。さて、どうしたものか、、、(つづく)

無責任な脚注:

*1 ザ・ワールド:「ジョジョの奇妙な冒険」初期の圧倒的存在感を放つ悪役、DIOのスタンド。時間を止める能力というのは当時のバトルものの漫画としては反則級で、ワクワクしながらも「これどうやって落とし前つけんの?」と子供ながらに思っていました。
*2 ポルナレフが吐いた名言:「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!俺は奴の前で階段を登っていたと思ったら、いつのまにか降りていた。な…何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。」
*3 RICOH GR3x:シリーズ初の40mm(以前は28mm)単焦点レンズを搭載したコンデジ。
*4 決定的瞬間:20世紀を代表する芸術家の一人、アンリ=カルティエ=ブレッソンが表現した、決定的瞬間をカメラが捉えたとする写真作品。代表作品「サン=ラザール駅裏」があまりにも有名
*5 ネガティブ・セルフトーク:自分自身が無意識下でかけている言葉。セルフトークが自己イメージを作り、自己イメージが行動を生む。そういう意味では、ネガティブ・セルフトークを見つけた場合は自分のwant toとダブルバインドしてしまって、ポジティブなものに変換してしまったほうが良い。
*6 1日の秒数が86,400秒:24時間x60分x60秒=86,400秒


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?