ブレヒト

ブレヒト① (9/9の日記)

ブレヒト① (9/9の日記)

 木曜日。くもり。  足がずきずきと痛む。  朝のニュース。  スマホを見ながら歩いていた女性が、踏切で電車にはねられて死んでしまったらしい。  NHKでは、どうやったら「歩きスマホ」をやめられるのか、と「歩きスマホ」という病理を強調していた。スマホ依存から脱却したエッセイストという人の紹介が出てきて、「亡くなった女性はスマホ依存を脱却できなかったのでしょう」とまとめていた。  しかし、素朴に考えて、誰か気づいて助けてあげる人はいなかったのか。女性は踏切内に数十秒、立ち止ま

スキ
3
【目印を見つけるノート】510. コピーしてホチキスどめでも

【目印を見つけるノート】510. コピーしてホチキスどめでも

太陽の光は少しだけ柔らかくなりましたが、たまらない暑さですね。寝付けなかったので、高千穂峡の動画を見て心を涼しくしていました。 きのうは1日ぼんやりしていました。 本当にぼんやり。 時間の感覚がどこかに飛んでしまうエア・ポケットに入ったようでした。そのような感覚は何度も経験したことがありますが、適切な過ごし方はなかなか習得できません。 きのうは小説の更新が遅れてしまいましたが、何とか未明で😅 詩もひとつ投稿してみましたが、 書くことに向かうというのは自分の場合有効なようです

スキ
30
『闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記』池内紀

『闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記』池内紀

 トーマス・マンの亡命中の日記を池内紀が解説したもの。マンは追放同然で亡命し、海外からナチス・ドイツを糾弾する行動をとり続けた。マンの日記を引用しつつ、同時代の人々に対する目線を池内が解説している所が面白かった。例えばレマルクに対して池内はこう書く。 「ころがりこんできた膨大な印税をレマルクは上手に運用した。スイスの銀行に預け、かたわら一九三一年、スイスの景勝地アスコーナ近傍に別荘を飼いこみ、地名から「ボルト・ロンコの家」と名づけて第二の住居にした。」  『西部戦線異状な

スキ
3
オペラとコンサートの記録:ベルリーナー・アンサンブル、ブレヒト&ワイル《三文オペラ》プレミエ(8月13日)
+20

オペラとコンサートの記録:ベルリーナー・アンサンブル、ブレヒト&ワイル《三文オペラ》プレミエ(8月13日)

8月13日、ベルリンのベルリーナー・アンサンブルで《3文オペラ》のプレミエを観ました。 劇場の前。 テントの中で、コロナの3G(geimpft=ワクチン2回接種後2週間以上経過、か、getestet=24時間以内の検査陰性証明、か、genesen=完治証明)チェックが行われています。 承認後、紙製の緑のバンドが渡され、腕に巻いておかなければなりません。 これが、腕輪です。 広場前、ブレヒト像。座っている人も緑の腕輪をしています。 劇場の中に入ったところ。 当日のキャ

スキ
8
風の歌208:ロッテ・レーニャ「スラバヤ・ジョニー(Surabaya Johnny)」
再生

風の歌208:ロッテ・レーニャ「スラバヤ・ジョニー(Surabaya Johnny)」

☆風の歌:My favorite songs208:ロッテ・レーニャ「スラバヤ・ジョニー(Surabaya Johnny)」 ふとクルト・ヴァイル(Kurt Weill、1900年3月2日 - 1950年4月3日)を思い出し、『三文オペラ』(ベルトルト・ブレヒトの戯曲)からの音楽を聴きたくなった。比較的よく聴くお気に入りはオッターのものだけれど、今回は当時のドイツ語での歌を。やはり英語に訳されたものではなく、もとのドイツ語の独特な響きが時代も感じさせてくれる。ドイツ語の歌詞があるのでご紹介しておきます。 クルト・ヴァイルと結婚したロッテ・レーニャ(Lotte Lenya/1898年10月18日 - 1981年11月27日)は、映画『三文オペラ』(1931年)のジェニー・タイヴァ役で歌っている。1920年代から1930年代にかけてドイツのミュージカル舞台で活躍した後のことは知らなかったが、1961年の『ローマの哀愁』の伯爵夫人役でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、1963年の『007 ロシアより愛をこめて』のローザ・クレッブ役だったとのこと。『三文オペラ』から「スラバヤ・ジョニー(Surabaya Johnny)」。 ちなみに、ベルトルト・ブレヒト台本、クルト・ワイル作曲《三文オペラ》ロッテ・レーニャ監修による全曲盤が、対訳字幕付きでYouTubeで視聴できる。 https://www.youtube.com/watch?v=SeK1b4q0RNk ◎Lotte Lenya - Surabaya Johnny https://www.youtube.com/watch?v=aSLTvKC-P3Y Lotte Lenya - Surabaya Johnny Ich war jung, Gott, erst sechzehn Jahre Du kamest von Birma herauf Und sagtest, ich solle mit dir gehen Du kämest für alles auf. Ich fragte nach deiner Stellung Du sagtest, so wahr ich hier steh Du hättest zu tun mit der Eisenbahn Und nichts zu tun mit der See. Du sagtest viel, Johnny Kein Wort war wahr, Johnny Du hast mich betrogen, Johnny, in der ersten Stund Ich hasse dich so, Johnny Wie du dastehst und grinst, Johnny Nimm die Pfeife aus dem Maul, du Hund. Surabaya-Johnny, warum bist du so roh? Surabaya-Johnny, mein Gott, ich liebe dich so. Surabaya-Johnny, warum bin ich nicht froh ? Du hast kein Herz, Johnny, und ich liebe dich so. Zuerst war es immer Sonntag So lang, bis ich mitging mit dir Aber schon nach zwei Wochen War dir nicht nichts mehr recht an mir. Hinauf und hinab durch den Pandschab Den Fluß entlang bis zur See: Ich sehe schon aus im Spiegel Wie eine Vierzigjährige. Du wolltest nicht Liebe, Johnny Du wolltest Geld, Johnny Ich aber sah, Johnny, nur auf deinen Mund. Du verlangtest alles, Johnny Ich gab dir mehr, Johnny Nimm die Pfeife aus dem Maul, du Hund. Surabaya-Johnny, warum bist du so roh ? Surabaya-Johnny, mein Gott, ich liebe dich so. Surabaya-Johnny, warum bin ich nicht froh ? Du hast kein Herz, Johnny, und ich liebe dich so. Ich hatte es nicht beachtet Warum du den Namen hast Aber an der ganzen langen Küste Warst du ein bekannter Gast. Eines morgens in einem Sixpencebett Werd ich donnern hören die See Und du gehst, ohne etwas zu sagen Und dein Schiff liegt unten am Kai. Du hast kein Herz, Johnny Du bist ein Schuft, Johnny Du gehst jetzt weg, Johnny, sag mir den Grund. Ich liebe dich doch, Johnny Wie am ersten Tag, Johnny Nimm die Pfeife aus dem Maul, du Hund. Surabaya-Johnny, warum bist du so roh ? Surabaya-Johnny, mein Gott, ich liebe dich so. Surabaya-Johnny, warum bin ich nicht froh ? Du hast kein Herz, Johnny, und ich liebe dich so.

スキ
23
今の日本に英雄は必要か

今の日本に英雄は必要か

アンドレアが「英雄のいない国は不幸だ!」と叫ぶと、ガリレイは返す。「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ」(ベルトルト・ブレヒト「ガリレイの生涯」第13場) ペリクレスの陰画のようなアルキビデアスの人生について、アリストファーネスは戯曲『蛙』で語る。「アテネでは、ライオンを育てるべきではなかった。だが、育ってしまったからには、アテネはライオンにやりたいようにやらせるしかない」(塩野七生『ギリシア人の物語Ⅱ:民主制の成熟と崩壊』)

「三文オペラ」の劇中歌の一節(フリーダ・カーロの日記#7)

「三文オペラ」の劇中歌の一節(フリーダ・カーロの日記#7)

Stamp from the former East Germany depicting Brecht and a scene from his Life of Galileo フリーダ・カーロは、日記の中で、ドイツ人劇作家ベルトルト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』にある劇中歌「マック・ザ・ナイフ」の歌詞の一部を、ドイツ語で書き写しています。 そうさ サメは するどい牙を むき出しにした 面がまえ ところで メッキーは ナイフ持ちだが そのナイフ だれも 見たことがな

スキ
58
【翻訳】ベルトルト・ブレヒト:終わりなき亡命の日々を思って

【翻訳】ベルトルト・ブレヒト:終わりなき亡命の日々を思って

Ⅰ 壁に釘など打ち付けるな 外套など椅子に投げかけておけ なぜ四日後の心配などする 明日にはおまえは帰れるのだ 苗木に水などやるな 木など何のために植える? 梢が二階に届く前に おまえはここから立ち去るのだ 誰かとすれ違う時は 帽子を目深にかぶれ! なぜ外国語の新聞などめくる? おまえを呼び戻す知らせは 慣れ親しんだ言葉で書かれているのに 梁からセメントがはがれるように (修復などするな!) 暴力の柵は朽ちるはずだ 境界に建てられたその柵は 正義に反するのだから Ⅱ

スキ
7
無国籍ではなく、”国を持っていない人”になってしまったクルト・ワイル

無国籍ではなく、”国を持っていない人”になってしまったクルト・ワイル

作曲家のクルト・ワイルは”国を持っていない人”になってしまった人だった。彼の妻、ドイツ人の歌手のロッテ・レンヤによると、彼はアメリカに渡って落ち着くと家でも全くドイツ語を話さなくなってしまった。 そして、ドイツ人の作曲家として、彼について書かれると、自分から文句の手紙を書くのだった。 1947年にアメリカのライフ・マガジンに次のように書いていた『私はドイツに生まれましたが、私はドイツの作曲家ではありません。ドイツも私をドイツ人の作曲家だと思っていないから、ドイツを去った。

スキ
2
[2021.03]【TOKIKOの 地球曼荼羅⑧】「三文オペラ」が生まれたドイツ黄金の20年代
〜ベルトルト・ブレヒト、クルト・ヴァイルの傑作

[2021.03]【TOKIKOの 地球曼荼羅⑧】「三文オペラ」が生まれたドイツ黄金の20年代 〜ベルトルト・ブレヒト、クルト・ヴァイルの傑作

文●加藤登紀子  歴史の中で記憶されなければならない、ひとつの日付けがあります。それは1933年2月28日、ヒトラーがドイツ文化の息の根を止めた日。  その日が来るまでの流れは、こうです。  1933年1月30日ヒトラー内閣発足、2日後に議会が解散され、3月5日が総選挙と決められました。2月27日の深夜、何者かが国会に火をつけ炎上。首相ヒトラーと警察権力を握ったゲーリングが共産主義者の犯行と断定。28日、共産党員などを法的手続きなしで逮捕できる大統領令を、ヒンデンブルグ大統

スキ
9