はらだたけひで原画展
絵本作家はらだだけひでさんの「「子どもの十字軍」版画+聖ピロスマニ展」が2024年3月4日(月)までクイントアートハウス煎茶器会館(東京都文京区本郷3-4-8 1-2階)で開催中だ。
2月29日に訪ねた。
2022年春、ロシア軍がウクライナを侵攻するなか、はらださんは「子どもたちの十字軍」(ベルトルド・ブレヒト原作:ひだまり舎)を描いた。
出版に寄せて、はらださんは書いた「この戦争という巨大な暴力に対して表現者として自分たちに何かできないだろうかと自問を繰り返していた」。
「部屋の本棚から・・・ブレヒトの「歴物語」を何気なく手にとった。久しぶりに開いたページの「子どもたちの十字軍」を読み、ウクライナだけではなく過酷な環境に置かれている世界中の子どもたちのことを思わずにはいられなかった」。
「歴史はくり返します。わたしは69歳ですがもはや戦争を知らない世代です。しかし、この時代の流れに対し、微力でも抗わなければならないと考え、ブレヒトの詩にあわせる絵を描き始めました」。
2022年春に書き始め、夏には完成。11月にひだまり舎の中村真純さんの目に留まり、出版につながっていった。
もうひとつの目玉はジョージアの国民的画家ニコ・ピロスマニをはらださんが描いた作品の数々である。
2022年の日本ジョージア国交樹立30周年を記念して、ジョージアの都市シグナギ、トビリシ、クタイシ、ズグディディ。クヴィシェヘティで巡回開催された「聖ピロスマニ展」。
2021年にまずプロローグがあり、翌年の1月末から1か月、トビリシのピロスマニが亡くなった場所近くのギャラリーでの展示があり、トビリシを皮切りに5都市の巡回展示が行われた。
コロナ禍やウクライナ戦争の影響で、はらださんは現地を訪れることはかなわなかったが、熱心にたくさんの人が訪れたという。
「百万本のバラ」の主人公聖ピロスマニ
放浪画家ピロスマニ(1862-1918)は貧しかった。そんななか、フランスの女優に恋をする。彼はかなわぬ恋ではあったが自分の気持ちを表さずにはいられなかった。なけなしのカネをはたいてたくさんのバラを買って贈った。しかし、彼女は町を出て行ってしまった。
その一途な恋を歌ったのが「百万本のバラ」という歌だ。もともとはラトビアの子守唄だったのがやがてロシアで大ヒットする曲に変身。80年代にその曲を知った加藤登紀子さんが自ら日本語詞をつけたのだ。
ピロスマニの作品は死後評価される。
パブロ・ピカソは「ジョージアには私の絵は要らないだろう。なぜならピロスマニがいるから」と話したと言われている。
今では国民的な画家として人気を集めている。
そのピロスマニだが日本での知名度はまだまだだ。
しかし、これまでに3回ピロスマニの作品が日本で展示された。
古くは1977年、国立近代美術館(東京・竹橋)で「素朴な画家たち展」で4点紹介され、「美智子さま(現皇太后)が見て印象に残ったと話されていました」とはらださんはいう。
次は1986年に渋谷の西武美術館でピロスマニの代表作がほぼすべて、計40-50点やってきたことがある。
最近では2008年にBunkamuraミュージアムでの展示があった。
もう一つ目をひいたのが未発表の「少女は七つの旅をした」(仮題)という作品たちだ。これはボブ・ディランの「激しい雨が降る」の一節「I met a young girl, she gave me a rainbow」に触発されて作った作品だという。
そして、「香港で闘っていた周庭さん、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんら若い女性たちを思いながら描いた」とはらださん。
開廊時間は午前11時から午後5時。作者は毎日会場にいる予定。
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