ブレヒト『アンティゴネ』翻訳ノート⑺:エクソドス
エクソドス (B1228-1300)
ソフォクレスでは、エクソドスで、召使が伝令として登場し、クレオンがポリュネイケスの埋葬を行ったのちに、アンティゴネを埋めた岩穴に向かうと、アンティゴネはすでに首を吊って自殺しており、ぶら下がった死体の下でハイモンが足に縋って泣いていた。息子に声をかけるが息子は黙って彼に切り掛かり、失敗すると腹に剣を刺して自害してしまったことを告げる。王妃エウリュディケがそれを聞いて、黙って館に戻って自殺する。アンティゴネとハイモンの遺体を伴って登場したクレオンは、その知らせを聞いて絶望する。
ブレヒト版ではエウリュディケは登場しない。ハイモンとアンティゴネの死を伝える伝令は婢女で、ポリュネイケスの埋葬には関わっておらず、伝聞の形でコロスに伝える。
婢女はポリュネイケスの死体が「野犬に食いちぎられていた」と述べている。そして下男たちは「黙って死体を洗い浄め」「それを若枝の上に置いた。それが残っている限り」と。この単数形のso viel übrig war(残っている限り)が指しているのはB1236のihnでポリュネイケス。遺体の放置場所周辺には「谷間の森」があるので枝には困らない。「残っている部分」とされるのは、ポリュネイケスの死体が食いちぎられ、犬が腹の中におさめてしまった部分もあるから。この記述はソフォクレスにもあり、視覚的に凄惨な場面を報告で語るのはギリシア悲劇の特徴の一つである。
ソフォクレスの "λούσαντες ἁγνὸν λουτρόν, ἐν νεοσπάσιν / θαλλοῖς ὃ δὴ λέλειπτο συγκατῄθομεν/ καὶ τύμβον ὀρθόκρανον οἰκείας χθονὸς/ χώσαντες"「浄めの水で濯ぎの式を行い、あの方を、つまりまだ残っている部分のことですが、折り取ったばかりの木の枝を集めた中において一緒に焼き、彼の方が生まれたこの国の土で高く盛った塚を作った」(S1120-23)をヘルダーリンは"Bereiten heilig Bad, und legen ihn In frische Zweige, so viel übrig war, Und einen Hügel mit geradem Haupt / Erbauten wir von heimatlicher Erde"と訳し「一緒に焼く(συγκατῄθομεν)」を取り除き、火葬ではなく土葬にしている。ブレヒトはさらに、「濯ぎの式を行う」を「黙って洗う」に、「高く盛った」を「小さな」に変更した。
ハイモンがクレオンに斬りかかる場面
こまかいけれど気づいたので…
クレオンが登場し、破滅を嘆く。
解釈の問題だけれど、クレオンのキャラからして、ハイモンが「若く死んだ」ことを悼んでいるのではなく、「剣として役立つ前に死んだ」ことを罵っているのだと思う。「剣を取りに行き、持ち帰れると思ったのに、あの小倅、儂の役に立つ前に死におった。」
そして最後のコロスの嘆き。ここでコロスの言葉は、基本的には舞台上の登場人物としてのもので、近づく破滅を受けての自己批判だが、スタシモンと同様の、外からの「語り」の側面も持つ。
クレオンはクレオンに従ったわけではないので、「我らもまた」と言われる例があるわけではない。auch はjetztを修飾している。「今もなお」「この期に及んでも」。コロスによる自己批判の始まり。
コロス≒民衆被害者論だと既訳のように理解したいのだろうけれど、-barは受動+可能なので「縛ることができる」「縛られるべき」。Unsは多分 abhauen+jm(人の与格)+et4(事物の対格)で「与から対を切り離す」。「縛られるべき手は、もう殴ることがないように、我らから切り落とされるだろう。」
C: "Our biddable hand ./ Never to strike again / Will be hacked off."
M: "Our violent hand shall now be cut off so that it shall not strike again."
daß…mehrは目的かしらね。
両訳とも、「悟りはしたが」「明察した彼女も」と、「全てを見通した」ことと「敵を助ける」ことがなぜか逆説的になっている。ここは順接。
B1298のsieは1297のZeitなので"hinzuleben"するには時間は十分ではないということ。前綴りのhin..は「 「そっちへ・向こうへ・消滅・なりゆきまかせ」などを意味する。」(小学館独和大辞典)だそうなのでhinlebenは成り行き任せに生きることかしら。Grimmには、weiter leben, verleben などの語義が出ている。
両訳ともhinlebenをundenkend und leicht(何も考えず安逸に)だけと関わらせ、「~たり、~たり」と例示と解しているが、これはテバイの長老たちの生き方そのものへの批判の言葉であって、「思慮なく安易に(邪悪の)黙認から邪悪(そのもの)へと成り行き任せに生き」「老いてから賢くなる」のに十分な時間などないということ。C:"never enough of time / To live on thoughtlessly and easily / From compliance to crime and / Become wise in old age"
以上、ブレヒトの『アンティゴネ』の二つの谷川訳、岩淵訳について、共通して私の解釈と異なる(間違っているないし不自然にみえる)箇所を列挙してみた。
序劇(1-93) は6箇所26行に
プロロゴス(1-105)は5箇所20行に
第一エ+ス(106-310)は9箇所31行
第二エ+スが(311-572)は10箇所51行
第三エ+ス(573-742)12箇所51行
第四エ+ス(744-883)8箇所33行
第五エ+ス(884-1227)14箇所40行
エクソドス(1128-1330)7箇所23行
間違い、あるいは解釈の大きな違いがある。
序劇93行、本文1330行のうち、私がおかしいと思ったのは71箇所、大体269行。これは二つくらいの例外があるが、谷川訳・岩淵訳に共通していて、私には間違いに思えるものである。それぞれだと1.5倍くらいはあるのかもしれない。
もちろん、かなり純粋に解釈に関わる問題もあるし、私の方の勘違いもあるのだろうけれど、日本のブレヒト研究の大御所二人の御翻訳の状況は、『アンティゴネ』に関してはそんな感じである。
一応、ある程度興味深い話かなと思って、ノートにすることにした。
少し前にブレヒトの『アンティゴネ』について某学会で発表したら、これはつまらない作品でしょ、という評価を演劇学の大家に言われたことがある。ある程度そうなのだけれど、ある程度、頻発する変な訳文のせいもあるのではないかと考えている。
参考文献
⑴~⑺まで共通。⑴の下部に書いた。