ブレヒト『アンティゴネ』の邦訳ノート⑴ 序劇と本編のプロロゴス
作成者:北野雅弘 群馬県立女子大学文学部名誉教授
序
2021年-2022年にかけて、ベルトルト・ブレヒトの、「ヘルダーリン訳によるソフォクレスのアンティゴネ」を翻訳して、群馬県立女子大学の紀要に掲載してもらった。ブレヒト版の『アンティゴネ』は、すでにいくつも邦訳があるが、文法的なものから解釈に関わるものまで、既訳は大体一致しているのに私の理解とは全くズレている箇所がいくつもあり驚いた。いくつかはTwitterで指摘し、Togetterで自分でまとめたのだけれど、原文と既訳との両方を文脈込みで見なければその時の私の感覚をきちんと再現できない気がする。また、TwitterもTogetterもXに変わったおかげで安定性が担保できなくなっているので、改めて、文脈をある程度明らかにしながら、(私の思う)間違い探し的なテキストを改めて残しておこうと思う。
私の翻訳にも間違いは沢山あるだろう。ブレヒトは大体そんな難しいドイツ語を書く人ではないが、『アンティゴネ』に関しては、ソフォクレスから外れない場所ではヘルダーリン訳をほぼそのまま、あるいは少しだけ改変して使っており、(ドイツ人にとってすら)分かりやすいドイツ語とはとても言えない。独自の部分もヘルダーリン部分と合わせた文体を用いている模様で、ヘルダーリンのドイツ語など私にはそのままでは歯が立たないが、ヘルダーリンはソフォクレスを彼流にだけれどかなり直訳的に訳しており、ソフォクレスの独訳として読んだ時に理解できる場合もある。また、ブレヒト版にはジュディス・マリーナとデイヴィッド・コンスタンティンによる英訳が二種類存在していて、マリーナはドイツ語ネイティブ話者だし、コンスタンティンはヘルダーリン全集の英訳で『アンティゴネ』を担当しているひとなのでかなり信頼できる。なお、このNoteで参照される私の訳は群馬県立女子大学紀要に投稿したものを用いたが、少し変えた箇所もある。
ブレヒトのオリジナルは、短い序劇のあとは最後まで幕や場の区切りなしにテクストがつながっているが、ここでは、ソフォクレス版に従って、いくつかの区別をつけた。ズーアカンプ版では行数が表示されているので、ブレヒト版の場所指定はその行数で行う。ソフォクレスを参照する時も一般的な行数指定を用いる。それぞれの使用テクストについては最後の「参照文献」に列記した。邦訳のペジネーションは指示しないが、両者から場所は分かるはず。略称としては、ソフォクレスをS、ヘルダーリン訳をH、ブレヒト版をB、コンスタンティン訳をC、マリーナ訳をM、谷川訳をT、岩淵役をIとして対応を記す。私の訳はKとして示す。
1. 序劇 (1945年ベルリン)
ブレヒトの『アンティゴネ』は、クレオンのテバイとヒトラーのドイツを重ね合わせるための序劇が置かれている。序劇の舞台は敗戦を目前にした1945年4月のベルリンで、二人の姉妹(姉妹1、姉妹2とされているが、以下姉・妹とする)がアパートで暮らしている。夜明け、姉妹は防空壕から戻り、家に誰かがベーコンとパンを置いていったのを見つける。ベーコンとパンを食べて、部屋で兄の軍服を見つけ、徴兵された兄が戻ってきたのを知り喜んでいると、外で叫び声が聞こえる。兄は親衛隊員に見つかりリンチされ吊るされていたのだった。妹はナイフを持ち、外に飛び出して兄を吊るすロープを切ろうとするが、そこに親衛隊員が現れ、何をしようとしているのか問う。姉の自問、B90-93「それで私は妹を見た。/ 妹は、死の苦しみにあうとしても、 /そのとき兄さんを救いに行くべきだったのか? /兄さんは死んでなかったかもしれない。」で序劇は終わる。
この序劇は、45年4月の姉妹の一人称的な対話(台詞)と、姉による三人称的な状況説明的な語りが継ぎはぎにされて構成されている。ブレヒトの戯曲では、この二種類の言葉は厳密に区別される。対話はお互いを見て、語りは観客に向けて語られていたのかもしれない。序劇の間違い(私から見ての:以下この補足は省略)の多くは「語り」と「台詞」の区別に関わるものだ。
兄が置いてあったパンとベーコンを姉妹が見つける場面。
B7-10は対話部分ではなく「語り」の台詞で、姉は「私たちは抱き合って喜んだ」と回顧的に語り、その理由を「戦争に行った兄さんが無事だったからだ。」と述べ、「私たちはベーコンを切り分けてパンを食べた。 私たちの飢えを満たすために兄さんが持ってきてくれたパンを。」と続ける。schnittenもaßenも省略されている主語は「私たち」である。「兄さんがパンを食べて残りを私たちのために持って来てくれた(のなら)」ではない。
兄が戻っていたことを知った妹が、兄は「いまはどこにいるんだろう?」と問いかける場面
B26の、Wir konnten aber keinen Schlachtlärm hören.は主語がWirで過去形なのでこれも姉による回想の語りで、「でも戦いの音は聞こえなかった」。姉妹の対話としては、妹「いまはどこにいるんだろう?姉「戦いのあるところ」妹「ああ…聞いてはいけなかったのね」。
B27 はdichが使われているので姉妹の対話では妹に「困らせるつもりじゃなかったの」と述べる。B28-29はwirと過去形なので再び語りになる。ここは谷川訳は私と同じ。
姉妹は外の出来事を見ようとも、それ以上食べようともせず、いつものように仕事に出かけようとする。
ここは「台詞か語りか」の間違いでだけはない。B36の「飯盒を持ってくる」。両訳共通だが、ここではnahm das Eßgeschirrは「皿を片付けた」の意味。独和辞典にEßgeschirrで「飯盒」とあるのをそのまま取って来たのだろう。「飯盒」って何?アルミのお弁当箱? なんで妹がここでそんなもの持ってくるのよと思った。また、飯盒という訳語の選択は、二つの訳の相関を示しているように見える。ブレヒトが「語り」であることを明示するためにmeine Schwesterとしているのに、「あなた」「妹のあんた」と訳される。語りと台詞の二分法から外れてた訳になっている。nahmは三人称単数。
ich /Erinnerte und trug des Bruders Sackはerrinnerteもtrugも一人称単数過去で、谷川が「あなたが」としているのはミス。「私」が、兄さんの麻袋のことを「思い出して」「抱えていった」のだろう。
姉は戸棚に兄の軍服が吊られているのをみて、兄が脱走したことを知る。兄が戦争からうまく逃げ出したと考えた二人は嬉しくて笑うが、そこに外で叫び声が聞こえる。誰が叫んでいるのかと問う妹に姉は、見に出ないように言い、二人はそのまま室内に留まる。姉の台詞。
この箇所も、姉のひとつながりの台詞の中で妹への対話的な語りかけやその時点での叫びと、回想の語りが入り混じっている。
B58 は姉による妹への対話の語りかけであり、59-62は回顧的な語り、B63-66は現在形での妹への呼びかけと叫びでB67-68「でも妹は外に出て見てしまい、大きな叫び声をあげた。」は再び回顧的な語りに戻る。
この箇所、両訳とも、最後二行以外を現在形で、対話部分として捉え、B59-62の過去形を無視する結果になったと思う。
岩淵訳はB68に注記して、「登場人物が突然事件を叙事的客観的に語るようになる。最初と最後のセリフも、劇中のセリフではなく、状況を説明する叙事的なセリフと読むべきである」と語るが、序劇全体が二種類の「セリフ」の混合になっていることは述べない。そのようには訳していないので当然ではあるのだが。
妹はナイフを取り出して兄を吊るすロープを切り離そうと言うが姉はもう手遅れだとしてそれを止める。そこに、SSが家に入って来て妹たちに問う。
SSは中に入ってきて、外に吊るされている兄について問うのだから、draußは「外に」ではないのかしら。その後、B83-85「あれが出て来たのはお前らの家の玄関だ/ということは、要するに、お前らあの売国奴を知っているってことだ」と続く。このSSの推論にB82は自然に繋がるのだけれど、「これは例のあいつだがお前らは何者だ?」は繋がらない。ただし、C: "We know who he is. Say who you are." M: "I know him, but who are you?"
序劇の「語り」は、もっぱら姉によってなされ、1945年の決定的な日付(自らのために軍を脱走しパンとベーコンを持ち帰って来た兄が殺された日)のことを一人称で回顧的に語っているのは「姉(姉妹1)」である。語り手としての彼女は「物語世界内的な語り手」であって、自らの兄妹に起きた事件について、証人として語る。
また、序劇の語りは客観的というより姉の主観的回顧的叙述であって、姉妹のうち姉だけが回顧的に語る。序劇は姉の回顧の枠組みに即して構成されている。妹による回顧がないことは、B91-92 "Sollt sie in eigner Todespein /Jetzt gehn, den Bruder zu befrein?" (「妹は、死の苦しみにあうとしても、 そのとき兄さんを救いに行くべきだったのか?」)との姉の回想で、妹が、「死の苦しみ」と引き換えに兄を救おうとし、そのために、のちになって回顧できるような立場にいないことを示唆しているように見える。この「語り」は、生き残りによる語りであって、それだけ、姉とイスメネのサバイバーとしての共通点を浮き彫りにもしているだろう。
2、プロロゴス
ブレヒトは、『アンティゴネ』本編を区切りなく出版しているが、以下ではソフォクレスの区切りに従い、プロロゴス、入場歌、各エペイソディオンとスタシモン(コロスの合唱歌)、コンモス、エクソドスに分ける。これは便宜上の区別。行数表示は1から数え直される。
序劇から本編に入ると、物語の道行が変わらない限りでは、ヘルダーリン訳の『アンティゴネ』のテキストが、若干の省略や語順の変更はあるものの、ほぼそのまま用いられる。しかし、物語の道行は最初から大きく逸脱する。
ブレヒト版でのソフォクレスからの最大の逸脱は、テバイがアルゴスからの侵略に耐えたのではなく、アルゴスを侵略して破壊し尽くしているという点である。
だから、ポリュネイケスは、テバイの王位簒奪者としてテバイ王エテオクレスと一騎討ちをして相打ちに終わるのではなく、クレオンの仕掛けたアルゴス侵略の戦争に倦み、戦死したエテオクレスの姿を見て逃げ出してテバイの近くまで来たところをクレオンによって殺されるのである。
アンティゴネは妹イスメネにテバイの状況を伝え、兄の埋葬を手伝うように求めるが拒絶される。
エテオクレスが戦死しポリュネイケスが脱走したことを告げた後のアンティゴネの言葉。ここはドイツ語も曖昧で事情もややこしいので間違いの指摘というより解釈の提示。
ポリュネイケスが「泣きながら戦場から逃れた」理由として挙げられるこの文は「戦さの神が正しい者に手をさしのべる」という意味になるだろうか?
この部分は、ソフォクレスのἄλλα δ' ἐπ' ἄλλοις ἐπενώμα στυφελί-/ζων μέγας Ἄρης δεξιόσειρος.「他の者どもは、頼りとなる助け、偉大なるアレス様が/打ちのめし、それぞれに違う死の定めを与えた」(S139-140)ヘルダーリンの翻訳をそのまま用いている。δεξιόσειροςは右(δεξιός)と引き馬(σειρά)の合成語で、四頭だての馬車レースの一番右側の引き馬に一番良い馬を当てることから「力強い」という意味になったのだが、ヘルダーリンはそれを、「右(δεξιός)」と「揺さぶる(σείω)」の合成語と誤解し、mit dem Rechten die Hand erschuttenという形に訳したとされる(Weisstein 1973:591)。なので「右手で(≒強く)揺さぶる」。ただし、ヘルダーリンのドイツ語自体曖昧で(mit dem Rechten die Hand)、直ちに分かるものではない。ブレヒトがこの訳文をそのまま用いたのは異化効果をもたらす"erhöhte Bühnensprache"のためだとWeissteinは述べている。
ソフォクレスの文脈では「他の者どもには違う死の定め」はゼウスの雷に打たれて死んだカパネウス以外のアルゴスの将軍の最期に関わり、ブレヒトの文脈では、「定めは人によって違う」はエテオクレスが戦死でポリュネイケスは処刑だったことを指すだろう。どちらの場合も、良い運命を与えるという含意はない。
そのことを知っているのか、またポリュネイケスがさらにどんな目に合うのかを知っているのかと問われたイスメネは次のように答える。
「広場には行かなかった」はブレヒトの補足だが、その後の三行はヘルダーリン訳を省略とわずかの変更を加えて用いている。イスメネは広場に行かなかったのだから誰とも会っていないし、エテオクレスの妹でもあるので、「親しかった人たちでさえ、もう誰も言葉なんぞかけてくれない」ような状況にいるわけでもない。このvon Liebenは「親しい人たちから」ではなく「親しい人たちについて」、具体的にはポリュネイケスとエテオクレスについて。イスメネは広場に行かず、それゆえ二人について何も聞いていないということ。
φίλοιは原義としては肉親を表し、拡張されて「愛しい人」を意味するが、ソフォクレスでは原義に近い。
アンティゴネはポリュネイケスの埋葬への手伝いを求めるが、イスメネは拒む。それに対するアンティゴネの罵りとイスメネの応答。
アンティゴネの言葉の棘は直訳する方がはっきりしているし、イスメネの言葉のwildeは、コンマもなく続く次の行のSchandeを修飾するだろう。ここでイスメネがアンティゴネに「ひどい人」とまで言う理由がない。ここはブレヒト独自のテクスト。ブレヒトでも、イスメネは作品全体を通じてアンティゴネを愛しているのだから。
イスメネが、人生の辛さも時と共に薄らぐと語るとアンティゴネはさらに苛立つ。
ここも独自。「穴だらけの前掛け」がどうやって嘆きを「消す」「掻き消す」のかがよく分からない。「減ってゆく悲しみの蓄えを持つ穴だらけのエプロン」は、エプロンに穴だらけのポケットがあって、そこに悲しみをしまい込むのでどんどんこぼれて減ってゆく感じだと考えた。Constantineは"shamelessly showing me /A lap of skirt full of holes and in it your / Dwindling stock of grief."
姉を気遣うイスメネに対するアンティゴネの次の言葉とともに、彼女は砂を入れた壺を抱えて退場する。
B100のMeines ehrenは「私の名誉」だろうか。この箇所はヘルダーリンにはないブレヒトの独自テクストである。私には、Meines(私のもの、私の身内(の遺体))をehrenする(名誉を守る)と言っているように見える。Constantine は"But let me do the very least and honour what is mine / Where it has been reviled"「私のものの名誉を守る」 Malina は "to honor those of us who have been shamed."「私たちの中の、名誉を汚された人たちの名誉を守る」。ブレヒトのテクスト。
後半部分はソフォクレスでは、「πείσομαι γὰρ οὐ τοσοῦτον οὐδὲν ὥστε μὴ οὐ καλῶς θανεῖν.」(S96-97)で、「美しく死ぬこともできないほどの酷い目にはあわないでしょう」の意味だったが、それをヘルダーリンはIch bin überall nicht so Empfindsam, daß ich sollt unschönen Todes sterben「見苦しい死を迎えることになるほど私は感傷的(Empfindsam)ではない」と訳し、 さらに、 ヘル ダーリンの soll(迎えることになる)をブレヒトは nicht könnt(迎えることができない)に変えた。ギリシア語のπείσομαιは受動的な経験(~の目に遭う)だが、ドイツ語のempfindsam(感傷的)は、英語の sentimental の訳語として導入された言葉で、経験する主体の感情のあり方を示す。ブレヒトはそれを「見苦しい死を死ぬことができないほどセンチメンタルではない」に反転し、hoff ich(そうありたい)を付け加えたので、処刑を「美しくない死」と捉えた上で、それを耐えられるだろうとアンティゴネに述べさせる。
ソフォクレスに戻ると、「美しく死ねないほどの酷い目には遭わないだろう」で、Jebb(1900)は「「死なねばならないとしても、少なくとも最悪ものをを受けはしない。それは死ではなく醜い死だ」と彼女は言っている」と注釈を加える。ソフォクレスでのアンティゴネの当初の物語プログラムは「美しく死ぬこと」であり、それを知ったクレオンの対抗プログラムは「美しく死なせないこと」である。アンティゴネは、埋葬を手伝わないイスメネに「どうとでも好きになさい。兄様は私が埋葬する。そうして死ぬなら私の誉れ(καλόν μοι τοῦτο ποιούσῃ θανεῖν.)」(S71-72)と告げる。彼女にとって、兄を埋葬した結果としての処刑による死は「誉れ=美しいこと(καλόν)」なのだ。叙事詩からギリシャ悲劇に至る、またとりわけこの箇所での「美しい死」については、吉武純夫(2018)が浩瀚で隙のない議論を提供している。
参照文献(⑴~⑺まで共通)
ブレヒトテクスト原文
Brecht, Bertolt, 'Antigonemodell 1948' in: Hecht (1988) (テキストに関してはB、それ以外はAM)
Brecht, Bertolt (1992):'Die Antigone des Sophokles nach der Hülderlinschen Übertragung für die Bühne bearbeitet', in Bertlot Brecht Werke, Große kommentierte Berliner und Frankfurter Ausgabe, Stücke 8.
Hecht, Werner(hrg) (1988): Brechts Antigone des Sophokles, Suhrkamp Taschenbuch Materialien
英訳、邦訳
Constantine, David (2003), ’The Antigone of Sophocles (1947) by Bertolt Brecht’ in Bertolt Brecht Collected Plays: Eight (Bloomsbury, London). C
Malina, Judith (1984) Sophocles' Antigone/ adapted by Bertolt Brecht, (Applause, New York). M
岩淵達治 (2001)「ソポクレスのアンティーゴネ:ヘルダーリンの翻訳を底本にした舞台用改作」、岩淵達治訳『ブレヒト戯曲全集別巻』所収、未来社。I
谷川道子( 2015 )『アンティゴネ:ソフォクレス原作・ヘルダーリン訳による舞台用改作』、光文 社。T
北野雅弘(2021)「ベルトルト・ブレヒト『アンティゴネ』:翻訳と注釈( 1 )」群馬県立女子大学紀要42号。K
北野雅弘(2022)「ベルトルト・ブレヒト『アンティゴネ』:翻訳と注釈( 2 )」群馬県立女子大学紀要43号。K
ソフォクレス
Dain, A and P. Mazon (1955), Sophocle, vol.1, vol.1, (Paris: Les Belles Lettres).基本的にはこちらを用いる。
Jebb, R. C. (1900), Sophocles: The Plays and Fragments, Part III. The Antigone,(University Press, Cambridge).
ソフォクレス『アンティゴネ』北野雅弘訳、西洋比較演劇研究会編『ベスト・プレイズ2』 2020 所 収。
ヘルダーリン
Hölderlin, Friedrich (1946-1952) ‘Sophokles Antigonae', in Sämtliche Werke, 5. Bd. Übersetzungen, herausugegeben von Friedrich Beissner, kleine Stuttgarter Ausgabe. (W. Kohlhammer, Stuttgart).
Constantine, David (2018) ‘Sophocles' Antigone' in Friedrich Hölderlin: Selected Poetry (Hexham: Bloodaxe Books Ltd.).
研究論文等
Flashar, Helmut (1988), 'Durchrationalisieren oder provozieren? Brechts Antigone, Hölderlin und Sophokles' in Ilse Nolting-Hauff und Joachim Schulze (hrg.): Das fremde Wort: Studien zur Interdependenz von Texten (Amsterdam).
Weisstein, Ulrich (1973), 'Imitation, Stylization, and Adaptation: The Language of Brecht's Antigone and Its Relation to Hölderlin's Version of Sophocles', German Quarterly, Vol. 46, No. 4, Bertolt Brecht: 75th Anniversary of His Birth.
吉武純夫(2018):ギリシア悲劇と「美しい死」(名古屋大学出版会)。