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理想の住まいとは?「沖縄~米軍住宅」

「理想の住宅」というものについて考えていると、必ず沖縄の米軍住宅にたどり着く。

「戦後の占領地の米国軍人家族の駐在用」という括りで言えば、代々木のワシントンハイツ(現存せず)や、福生、立川等々と同じ流れである。

代々木ワシントンハイツ(現・代々木公園)


皆さまご存じの通り、モダニズム建築の始まりは「生活困窮者への住宅供給」という社会的使命がベースとなっていた。

その理念を元に、ローコストによる大量生産と清潔な環境づくりのために「白い、簡素な、キューブ」という近代建築のデザイン・ヴォキャブラリーが生み出されたのである。

しかし、そのデザイン・ヴォキャブラリーがいつの間にかデザイン「フェティシズム」へと変わり、モダニズム建築は「資本主義の高級商品の一つ」へと寝返った。

そのきっかけの一つが、ヨーロッパ・モダニズムがアメリカに輸入された時の「インターナショナル・スタイル展」という「カテゴライズ」であった。

インターナショナル・スタイル展


一方、「生活困窮者の住宅」は、まったく逆の「困窮のイメージを隠蔽するためのキッチュな装飾」が主体となって行った。

「石張り風」「塗り壁風」のコーティングがなされた外壁材、
「漆喰風」な壁紙、表面に「木の薄紙」を貼り付けた床材等々、
貧相な構造を隠蔽する様にペタペタと「安手の素材イメージ」が貼り付けられていったのである。

現在の住宅はこの様に大きく二極化されている、
「ブルジョアのための高級モダニズム風」か「生活貧窮者のための表層イメージのハリボテ」か、である。

今や、大都市のほとんどの駅前に立ち並ぶ高層商業コンプレックス・ビルも「貧相な鉄骨造に安手のイメージが張り巡らされた」ものばかりであり、
その内部に立ち並ぶ「ブランド」商品も、そのイメージによって生活困窮者にいっ時の夢を見させる「ドラッグ」である。

そして現代日本の「郊外大型モールで買い物してフードコートで食事してハウスメーカーの家を借金して買う」人たちは、もちろん現代の生活困窮者である。

そんな中で、皮肉にも、モダニズムが生まれた理念が図らずも温存されてしまったのが、ローコスト大量生産の「戦後米軍住宅」なのである。

簡素な構造と構造をそのまま反映した内部空間は「建築の真実性」を体現している。

特に、沖縄の米軍住宅は、その気候的な要求からRC造でつくられる。すなわち構造そのものが内部化され、より「建築の真実性」の純度が上がっている。

さて、ここから、建築に変化が起きる。

その「簡素なコンクリの箱」に、人間が棲み着くことで「生物の匂い」がそこに発生するのである。

人間とは生物であり、それは「自然」の一部なのである。
なんというか、建築が「生物の巣」へと変容するのだ。

その、「建築と自然との化学反応」によって、米軍住宅は生き生きとした生命力を帯びて行く。

沖縄米軍ハウス


ちなみに、キューバも「モダニズム建築遺跡」の宝庫である。

ハバナの街中を現役バリバリに走る1950年代のアメリカ車同様、
1950年台アメリカン・モダニズム建築が朽ち果てながら人間の手によって「別の何か」に変わっていった様が街中で見られる。

キューバのモダニズム建築


近代建築正史の終焉において、現代の「建築家様」は「高級装飾家」となって建築商品を装飾して幻想価値を高める職能となり「モダニズムの理念」は幕を閉じた。

そして街には貧困者のための「建材メーカーの偽素材風味のハリボテ」が所狭しと立ち並ぶ。

そんな「近代建築史の終焉後」の世界で、少しでも善きものを求めていくと、「沖縄米軍住宅」の姿はひとつの「救い」に見える。

それが、設計者も居住者も全く意図しないところから生まれていることに魔法の秘密が隠されている。

完。

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