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「単調な日々」を信じない
ものを作って、確認を取る。
社会人になって、繰り返してきた
「ご確認の程よろしくお願いいたします」
の入力。
作っているものは、時々によって違うけれど、取るべき手順は同じ。
同じ入力を繰り返す。
でも、そこに私の意思が存在することは確信している。
昔からやってきたこと。
問題を解いて、人に見てもらい、評価を受ける。
いや、もっと前から。
何かを作って、大人に見てもらう。
「見て」。
家の中にだって発見がある
何年も住んだ家の中にも、自分の知らない角度がある。リビングでいつもとは反対の方向に寝転んでみる。引き出しに背を向けて立つ。頬を床につけ、キッチンのシンクの下から天井を見上げる。いつもの家具や照明、壁と天井の接線が作り出す遠近感が、ボタンの掛け違いのように普段とは違って見える。
室外機やサッシのような、掃除を怠けるために意識的に無視していた場所とは違い、自分がその場所にいながらも見えていなかった視
カフェインで冴えている日は酔ったように筆が進み、記憶と言葉が溢れる。だから、ノートという名のふちのない平たい器でこぼれ落ちないように受け止める。。。
冴えていると思う日は、言葉遊びが止まらない。自分が言い表したいことにぴたっと当てはまる言葉がすぐに思い浮かぶ。細部に意味とこだわりを込め、文章に手間暇をかけられる。世の人はそれを親父ギャグと呼ぶのかもしれない。制御が効かない様は似ているし、そう呼ばれても構わないと思う。そんな時はだいたい、半身を布団で覆っていても、足の裏は冷たく、うっすら汗をかいている。
カフェインで冴えている日は酔ったように筆が進み、記憶と言葉が溢れる。だから、ノートという名のふちのない平たい器でこぼれ落ちないように受け止める。。
夢が深層心理を表すなら、私はnoteで閲覧数20を獲得して喜んでいる夢を見たお調子者だ。自分のために書いておきながら、他の人からの評価もほしい。それもまた自分だなあ、と思う。
カフェインで冴えている日は酔ったように筆が進み、記憶と言葉が溢れる。だから、ノートという名のふちのない平たい器でこぼれ落ちないように受け止める。
感謝しているけれど、もうつながりが切れてしまった、過去に確かに知り合いよりも絆が強く、友人と言ってもよい時間を過ごした人たちがいる。
その人たちに「あなたの一言が私の人生大きく変えたんだよ」と伝えたい。そんな思いがたびたび湧き上がる。
感受性の変化について
村上春樹の小説が苦手だった。
やたらと比喩が多く、知らない音楽を引っ張り出しては物語のBGMにしている。よく分からない突飛な展開が始まる。高校時代に三冊読んで、もう人生で二度と開かない本の作者だと思った。
今、かの作者の本を読んでいる。夜、家を外と視覚的につなげている窓をカーテンで遮って、まるで自分の世界が今いる部屋だけのようにする。そして、ページを開くと、あれだけ嫌っていた比喩が、生き生きと情
人生の「あの瞬間」を思い出せないのは
何もせず、休日が終わる。でも、今までどうやって休日を過ごしていたのかも思い出せない。
今の私は過去の私の積み重ねであるはずなのに、過去の記憶があまり残っていない。人生の中で何回も決断をして、その副作用として自分の可能性を狭めてきた。今となっては、その選択がもたらしたかけがえのない時間の記憶と、選択によって失った可能性への後悔が、波のように交互に打ち寄せ、心が乱される。
でも、肝心の、その決断の
朝のひと手間
朝がめっぽう弱い。目が覚めてから、すぐ起き上がれない。無理に起き上がると、足は立たないし、目の前が真っ暗になって視界不良で危ない。
だから目覚めてから布団の中で10分待つ。頭の方に血がのぼっていくまで。どうして眠っている体勢と同じなのに、力強い血の流れをはっきりと感じるのかはわからない。自分の身体を自分で自然解凍している気分だ。
記憶を網のように張る
人の名前を覚えることに凝ったことがある。
意識するのは、名前に情報を紐づけること。
アベさん→首相
フナバシさん→駅
というように。
コツは検索でヒットすること。どの首相か思い出せなくても、日本の首相一覧を眺めればいい。どの駅か忘れても、路線図を眺めればいい。眺めてからしばらくして、記憶が戻ることに快感を覚えていた。
言葉が口から出るほんの少し前に浮かぶ懸念
わかりやすく話すにはどうしたら良いのか、毎日迷っている。誇張ではなく、日々悩んでいる。
相手がどれくらい前提知識を持っているか、考えを巡らせ、本題に入る前にイントロをつける。そこまでは頭が回る。
最近の悩みは、言葉の音。同音異義語を意識して「〇〇の意味の〜〜」と、解説を交え、意味の可能性を絞りながら話す。
時に、思考はそこまで及ばない。言葉を口にしてから、同じ音の言葉の存在に気づくと、後付けで