色づかいの考察

1時間遅い時間にすれば良かった。マクドナルドの広告に寄りかかりながら、ホームからの階段から押し寄せ、整然と改札を通り過ぎる通勤客の中に友人の姿を探す。ふと、スマホに目を落とし「南改札にいる」と打ち込んでいると、黒や紺のコートの中に、白いものがひょこひょこと階段を降りてくるのが目の端に写る。顔を上げると、白いTシャツを着た友人と目が合った。相変わらずの暑がりだ。うまく畳めず、丸まったダウンコートを片手に抱えている。冬らしい格好をしようと上着を着てきたものの、どこかの乗り換え駅で我慢できずに脱いできたのだろう。かと思えば改札を通る時、Tシャツの胸のところに黄色い字で「良い人」とプリントされているのが見えた。いくら常識的に振る舞おうとしても、結局自分の五感や感性に従ってしまう。呆れた目で見ていると、あいつは「気づいているなら手ぐらい振ってよ」と、満員電車で乱れた髪を結び直しながらやってきた。

黄色は膨張色だから、はっきりと見せたいところに使用するには不適と言われている。

でも、きっと文章の中では、白いTシャツに描かれた黄色い字は、作者に明示されていない限り、はっきりと、鮮烈に読者には写るのだろう。
その時、脳裏に浮かんだ文字の黄色は、概念的なものなのだろうか。それとも、黄色単体と白単体が組み合わさってできた複合的なイメージなのだろうか。

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