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#はじめて借りたあの部屋

#はじめて借りたあの部屋 の思い出をつづってみませんか?いい部屋ネットがnoteで投稿コンテストを開催します!

定番の記事一覧

最高に居心地のよかったアパートで、精神と肉体が少しずつやられていった頃の話

初めて自力で部屋を借りたのは、小説家としてデビューして数年経った頃。 デザインの専門学校を卒業後、なぜか小説家になって、そこそこ定期的に単行本も出してもらって、数年で「まあ、一人でもやって行けるだろう」と割と無計画に実家を出て上京した。 実家は埼玉で、一時間もあれば都内に出られるし、そもそも仕事の打ち合わせは電話がメインで、原稿は宅配とメールでやり取りできるし、いちいち編集者と会う用事もない。 でも家を出たくなったのは、小説家という仕事に対して父親の理解がさっぱりなかった

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私だけの頃合いで

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さよなら、正しい街

母は過保護だった。 月々のお小遣いは多くはなかったけど、遊びに行くときにはいつでも多めにお金をくれた。 少しでも天気が悪かったりすれば車を出して駅まで迎えに来たし、どんなに遅く帰っても寝ずに待っていて、私が夕飯を食べていなければキッチンに立った。 母は過干渉だった。 私が見覚えのない服やカバンを持っていると、すぐに「それいつ買ったの」と訊いてきた。休みの日にどこに行って、誰と会って、何時に帰ってくるのかをいつも申告しなければならなかった。二十歳を過ぎてからもそれが続くので

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内見で父がバグった話

私が東京でひとり暮らしをすることについて、賛成してくれたのは父だけだった。 母は真っ向から反対はしなかったものの、私とふたりきりになる度に「友達おらんと寂しいやろ」「〇〇ちゃんも△△ちゃんもみんな地元残るって」という切り口で説得を試みてきた。 私は、「〇〇ちゃんも△△ちゃんもみんな持ってるって言ってもゲームボーイ買ってくれなかったくせに」と反論した。18歳の私は結構クレバーだったのだ。 祖父母は、「東京には狼がおる、危ないからアカン」の一点張りだった。 私は「岐阜にも熊お

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東京で、生きてきた。

交差点。車たちが止まり、一呼吸置いて、人々が縦横無尽に歩き出す。これまで一度も見たことのなかった顔たちが、目の前を交差していく。話に夢中な人、考え事をしている人、カメラを構えて歩く人。他人になんて見向きもせず、皆、それぞれの自分だけの物語を歩いている。 コートの匂い。タバコの残り香。嗅ぎなれないスパイスの香り。甘い香水と汗の匂い。ボソボソ話す声、甲高い笑い声、妙に伸びる語尾。赤のタートルネック、薄っぺらいスカート、革のブーツ、汚れたスニーカー、いまにも落ちそうな財布。CMの

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東京に馴染む

男は2種類に分けられる。朝起きた時に「シャワーを貸してくれる男」と「貸してくれない男」だ。 飲み過ぎで頭が鈍く痛む朝、再生速度が2分の1くらいで動く数十分間で見分けられる。 「シャワー浴びてく?」 この質問が出るか出ないか。あまりにシンプルすぎるリトマス紙だけれど、それがすべてだ。 きっと目の前の青年は自分がリトマス紙を当てられてることも知らずに眠りから覚める。窓の外を見ると、青白い近未来的なタワーが見えた。 墨田区に立つ東京スカイツリーという新名所は、世界で一番高

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手のひら4つ分のキッチン。 #はじめて借りたあの部屋

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贅沢病とコインランドリー

多感な中学2年生の日々を奈良の片田舎で、椎名林檎の音楽と共に過ごした私は、いつか東京で一人暮らしするなら丸の内線沿いと決めていた。 関西で出会った東京出身の彼氏が転職することになったことがきっかけの安易な上京だったけれど、大学を卒業してフリーランスだった私は色々なツテを頼って業務委託の仕事をとりつけながら生きていくということで、それなりにビッグなプロジェクトだった。当時24歳、守ってくれる会社も後ろ盾もない上京にはそれなりに覚悟も必要で、だけどまあ死ぬことはないだろうという

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#はじめて借りたあの部屋 の思い出をつづってみませんか?いい部屋ネットがnoteで投稿コンテストを開催します!

【結果発表】 ・審査結果を発表しました。 【12月18日 更新】 ・お手本作品のかわいちひろさんのマンガ「私だけの頃合いで」を公開しました 【12月16日 更新】 ・お手本作品の夏生さえりさんの記事「東京で、生きてきた。」を公開しました 【12月3日 更新】 ・お手本作品の嘉島唯さんの記事「東京に馴染む」を公開しました 新作WEBムービー「ボクのいい部屋、いい暮らし。」の公開を記念して、「いい部屋ネット」と投稿コンテストを開催します。 ハッシュタグは「#はじめて借りたあの

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一目惚れした1Kに一目惚れした先輩を泊めた冬の話

社会人なりたての夏、初めての一人暮らしを始めたのと、長期戦になる恋が始まったのは、まったく同じ時期だった。 会社に一本で行けるという理由だけで選んだ、三田線沿線の駅近くの1K。独立洗面台、築浅、南向き、2口コンロ、オートロック、広めの部屋…。わがままな条件をすべてクリアした部屋に、一目惚れして即決した。 もう一つの一目惚れは、4つ上の、OJTの先輩。仕事ができて、面倒見が良くて、しっかりしてるけど仕事以外で見せる抜けているところが好きだった。人懐っこくて世渡り上手な後輩を

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いつか見たイメージを追い求めて   -創業します!

大学院時代に就職活動をしているときから、脳に1つのイメージがありました。私自身の就職活動は、リーマンショック直後の2009年夏ごろから2010年春(4月頃)までが本番で、1週間程度の外資系の投資銀行やコンサル、ベンチャーのインターンシップに足しげく通い、情報を得ていました。 当時はどこかの企業で働くことを前提に活動していましたが、自ずと脳裏にあったイメージは、小さなオフィスで、がむしゃらに働く姿で、人数は3名くらい、Tシャツやパーカーのラフな姿で、新規事業の検討を喧々諤々し

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初めて借りたあの部屋は、この街の夜がよく似合っていた。

私達が初めて借りたあの部屋は、非日常だった。 非日常と思えるぐらい、映画の中のような生活だった。 きっと、それは、私達が住んでいたから。 部屋は住んでいる人によって、世界を変える。 私達が出会ったのも、この街だった。 行きつけの居酒屋で仲良くなり、その流れで交際を始めた。 私も君も、この街の夜が大好きだった。 「この街って、夜が似合うよな」 君はベランダで煙草を蒸しながら、よくそんなことを呟いていた。 私達が初めて借りたあの部屋は、この街の夜がよく似

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毎月少しのこだわりを

社会人一年生となる春、3年間過ごした看護学生寮から引っ越しをした。ひとりをこよなく愛するタイプではあるが、4人部屋の寮生活は全く窮屈さを感じない快適な場所だった。 それでもやはり念願の初一人暮らしに浮き足立つ私。 インテリアが大好きなので、何が嬉しいって、これで思い通りの部屋が作れるってことだ。 白と茅色(かやいろ)をベースにしたナチュラルカントリーにしたいと意気込む。 実家暮らしの頃も個室だったが、まだ親が買ったものが断然多かった。それでもしょっちゅう模様替えをしたりお年

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個人的な麻薬への気持ち

私の今年一番スキを戴いた記事、というnoteからの報告であがってきたのはこれなんだけど 麻薬のアメリカ社会への浸透性はもう、どうしてとかなんで、とか言っても仕方ないのか、と絶望的に感じるところもある。で、そういえば、と思いだしたことがあります。 アメリカに住んで長くなってきたソルトレイクシティなのだが、最初に私達が借りたのはデュプレックスとよばれる「家2件がひとつの建物の中にある」家だった。斜面に立っていたその家は、大家さんの姪が下の階の(そして庭にアクセスできる)家に、

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全ては息子の一人暮らしから始まった

2014年の春、一人息子が京都の大学に進学した。 京都で息子が暮らす部屋は、合格が決まった時に大学が送ってくれた不動産屋のパンフレットを見て選んだ。実際に現地に行き、いろいろ見学させてもらい、大学に近くて、生活もしやすそうな所で決めた。 契約したマンションは、最上階に大家さん家族が住んでいるので安心だし、大通りから少し入ったところで静かだし、家賃もこの間取りでこの値段は東京なら倍はするだろう・・・という金額で、とてもありがたかった。さすが大学の街だけあって、アパートやマン

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いい部屋ネットとnoteで開催した、「#はじめて借りたあの部屋」投稿コンテストの審査結果を発表します!

2019年11月19日から約1ヶ月半の間、みなさんがはじめて借りた部屋についての思い出を語る「 #はじめて借りたあの部屋 」投稿コンテスト。期間中(11/19-12/31)には、852件もの作品をご応募いただきました!はじめての部屋のエピソードが詰まった素晴らしい作品を投稿いただき、ありがとうございます。 noteでの応募作品一覧は、こちらをご覧ください。 審査会にて、審査員である夏生さえりさん・かわいちひろさんの2名と、いい部屋ネット note担当 阿部将貴さんによる選

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一階の部屋とチャルメラ

今から25年ほど前、私たち夫婦が、はじめて借りたのは3階建てのアパートの1階の部屋だった。 いわゆる2DK、Lがないやつだ。4.5畳と6畳に名ばかりのキッチンが付いている。4.5畳と6畳の部屋は、ほんとうに畳の部屋で、間に押し入れが挟まっていて、互いの部屋のふすまを開けると通り抜けできた。 この部屋には、正方形のものが多かった。ドアを開けると、まず、玄関だ。もともとは、長方形だが、そこに下駄箱を置くとちょうど正方形になった。 玄関を上がると、キッチン。キッチンというより

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ヤシの木があるアパートで過ごした、うっすら憂鬱で幸福な日々のこと

「……何ばかなことを言ってるの」 「恋人ができたから一緒に暮らす」と告げた私に、電話の向こうの母は、怒りを押し殺した声で言った。平日の昼間、程よくにぎわったマクドナルドでのことだ。 我が家の家風を思えば、付き合ったばかりの、親にも紹介していない相手との同棲を許してもらえるはずはない。だけど、許してもらえなくてもいいと思っていた。自分の希望を言うことに意味がある。 23歳の冬。あれはダメ、こっちにしなさい、と縛りつける母への、これは遅い反抗だ。 東京がいいんじゃない。地

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おじさんと僕

おじさんと僕。それまでまるで、と言ったら語弊があるけど、あまり関わりの無い関係だった。普通の「おじさん」と「甥」。どこにでもある関係性だ。おじさんは遠くに住んでいたし、会うとしたら正月くらい。それに、変わった人だった。会社に勤めてはいるけれど、長期の休みを取っては海外(一般的な観光地ではなく、〜スタンとかが多かった)を放浪していた。そして、独特な画風の絵を交えて手記を書いてみたり、現地の植物や動物に異様に興味を持ち、図鑑を作ってみたりするのが趣味だった。そのどれも、クオリティ

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バリキャリと東京に憧れた私の、はじめての一人暮らし

バリキャリウーマンに憧れて、新卒で総合職の仕事に就いた。全国転勤のある会社で、当時神戸の実家に住んでいた私は東京で働くことを希望していたが、配属先は大阪。人事との面談でも「東京で営業をやりたいです」と伝えたのに、「大阪で内勤」という配属発表に悔しい思いをしたことを、私は今も覚えている。 (ただ、今となっては配属はこれで良かった、と思っている。やっぱり人事の人って見る目あるんだな・・・この話はまたいつか。) そんな私の父は営業職で、全国に営業所があったため転勤が度々発生した

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