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東京で、生きてきた。

交差点。車たちが止まり、一呼吸置いて、人々が縦横無尽に歩き出す。これまで一度も見たことのなかった顔たちが、目の前を交差していく。話に夢中な人、考え事をしている人、カメラを構えて歩く人。他人になんて見向きもせず、皆、それぞれの自分だけの物語を歩いている。

コートの匂い。タバコの残り香。嗅ぎなれないスパイスの香り。甘い香水と汗の匂い。ボソボソ話す声、甲高い笑い声、妙に伸びる語尾。赤のタートルネック、薄っぺらいスカート、革のブーツ、汚れたスニーカー、いまにも落ちそうな財布。CMの歌、知らないタレント、ぴかぴか光る電飾文字。情報が、暴力的なまでに降り注ぐ。

あれ。わたし、どこへ行こうとしていたんだっけ。

突然わからなくなって、知らない人の背中を追ってみる。いや、やっぱりこっちではないのかも。あたりを見渡し、前もよく見ず歩き続けると、誰かの大きな肩がぶつかる。「すみません」。しかしつぶやく頃には、その人はいない。おかしい、本当に、どこに行きたかったのか。あの、すみません、わたしはどこに行きたいのでしょうか。聞いてみたって、わかるわけがない。だんだんと現在地さえわからなくなってくる。

一度、立ち止まりたい、けれど、立ち止まれない。
人混みは、東京は、立ち止まることを許してはくれない。

無秩序に散らかる足音が聴こえる。
青信号が警告をはじめ、はやくはやくと急かす電子音も鳴りだす。でも未だ、行くべき場所がわからない。情報の渦の中で、東京の真ん中で、道を見失ったわたしは取り残され飲み込まれ、形を失っていく。

***

「もうここにしなさいよ」

はじめての借りた部屋は、母の一言で、しぶしぶ決めた。
山口県から東京へ出てきた大学生らしく1Kで、広さは8畳ほど。グレーのじゅうたんが張られた床、ぽつんと置かれた外付けのクローゼット。いかにも学生が住んでいそうなそのマンションは、東急田園都市線「南町田」の駅を降り、大通りを5分ほど歩いたあと、角をすこし曲がったところにある。窓から工場と線路が見える、ひどく無機質な部屋だった。

ぜんぜん気に入らない。
もっとちがう部屋がいい。
けれど、「なにが嫌なの?こんなに十分なのに」と母が言うと、たしかに十分な気がしてくるくらいに、わたしはなにも知らなかった。

「じゅうたん張りが嫌だ」とぽつりと意見すると、「じゃあフローリング風のビニールマットを敷こう」と母が言う。それで女ふたりで大きなマットを買ってきて、ハサミで切って敷き詰めた。おかげで一見するとフローリングに見えるようにはなったが、それはあくまでまがい物で、やがていろんな家具の重みでビニールマットがぶよぶよ歪むようになると、時空が歪んだダリの部屋みたいになった。

わたしはその部屋で、朝と昼と夜の境目がわからなくなる怠惰な暮らしをして、いつも時空をさまよっていた。

音のない部屋は息が詰まるから、ちいさなテレビを四六時中つけて、面白いバラエティも面白くないバラエティもとにかく見つめていた。そのうちなんでもかんでも割引になる通販番組がはじまって、やがて「おはようございます」とアナウンサーが告げるとき、ようやく朝を知る。そのせいで、というべきか、当たり前というべきか。時には3限や4限にさえも寝坊して、寝すぎたせいで再び夜をぼんやりすごしていた。

朝と夜、そして人混みの中で。
わたしは自分が、どこにいるのかわからなかった。

渦の中で、自分を助けてくれるなにかを探そうと、あんまりにもじたばたもがくものだから余計に息ができなくなって、東京の混沌に溺れていく。

とにかく、さみしかった。
さみしくて、さみしくて、苦しかった。

寂しさから救ってくれるかもと期待して付き合った彼氏とも、最初からうまくいかなかった。仲直りをしようとした一言でなぜか彼を激昂させてしまったり、逆に嫌味を言ったつもりが嬉しそうな顔をさせてしまったりするような、ちぐはぐで噛み合わない関係性。話し合いはいつも並行線。同じ言語を話しているはずなのに全くわかりあえない。けれどそれでもなかなか別れなかったのは、好きという気持ちが2割と、ひとりになりたくない気持ちが8割だったように思う。ひとりきりになるよりも喧嘩をしているほうが何倍も生き生きしていたし、面倒ごとのほうが虚無よりもマシだとさえ思っていた。

何度喧嘩しても、何度別れても、彼がマンションの前に車を停めて「ごめんね」と言ってくれることだけを願いながら、角を曲がっていたあの頃。車がありますように、車がありますように。切望しては裏切られ、やがてその「角」さえ憎むようになって、期待しないよう目をつぶって曲がるようになった。


春が過ぎ、夏が来て、冬を越す。おどろくことにそれを二度繰り返してもまださみしくて、ずっとずっと空っぽだった。
なにが好きで、なにが嫌いで、なにを許せて、なにを譲れず、なにが欲しくて、どうなりたくて、どこへ行きたくて、だれと生きたいのか。それらがひとつも分からずに、苛立ちと焦りとその先の無気力ばかりがわたしを包みこむ。

『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』

茨木のり子の詩のひとつでも知っていれば、すこしは違ったのだろうか? 残念ながら、なにも知らないわたしは、自分が「ばかもの」であることさえ、わからなかった。

寝転んだままツーッと涙が頰を伝って、浮いたビニールマットに落ちる。
その、やけに軽い音を聴きながら、心に誓った。

いつか引越しするときは、絶対フローリングの床にする。工場や線路よりも、木や人が見える窓がいい。窓がふたつある、角部屋だとなおいいし、その窓はできれば北以外を向いていてほしい。バイトも頑張って、お気に入りの家具も買う。

そんな願いが叶ったのは東京に来て3年目の春、キャンパスの移動のタイミングで、「明大前」駅に引越してからのことだった。本当は「南町田」から十分に通えたのに、両親に無理を言って引っ越しをした。

はじめての部屋を出て、彼氏と別れて、すこしずつ「好き」を見つけていった。心がときめくリボンの形をしたピンクのソファやレトロな雑貨を買い、そのうち「自由が丘」でシェアハウスに住んで、勢い余ってスペインにも住んだ。職を3回変え、恋人は何度か変わって、たまに依存したり依存されたりしながら、すこしずつすこしずつ、自分の形を知っていく日々。

誰かに寄りかかる比重を間違えたり、ひとりで立とうとしすぎて誰かの手を振り払ったり、見つけたり、見失ったりしながら。でも、ちゃんと歩いてきた。

***

「うん。ここにしよっか」

わたしが気に入った部屋に彼も同意してくれて、ふたりで借りるはじめての部屋が決まった。「風と光が、たくさん入る部屋がいい」とわたしが言い、彼は「コンロが3口ある部屋がいい」と言い、内覧を15軒以上重ねてやっと見つけたお気に入りの部屋。18畳以上のリビング、大きすぎるほどの窓。ひとりでは絶対に勇気が出ないようなデザイナーズマンションを選んだ。「収納が少ないんだよなあ」と彼はしきりに気にしていたけれど、「ふたりで工夫してがんばろう」と言い合って、その宣言通り、大きなクローゼットをIKEAで買い、えっちらおっちら運んでふたりで組み立てた。東京に来て、9年目の春のことだ。

リビングには、彼がどうしても使いたかったというお気に入りのコルクのテーブルを置いて、その上に、引越しの翌日に一目惚れしたピンクのチューリップを飾った。その瞬間に、気づいた。そうか。今日からはこうやって、それぞれの好きなものを集めた部屋ができていくのか。自分の好きなものと、彼の好きなもの。そしてふたりが好きなもので、この部屋は作られていくのだ。ひとりきりで「好き」を探してきたわたしにとってそれは嬉しい変化で、なにかひとつ進んだようにも思った。

言葉にはしていなくても、ふたりならではのルールもできた。
朝、わたしよりも先に彼が家を出ると、数秒後に開け放った窓の外から「チリン」と自転車のベルの音がする。これは、彼からの「いってきます」の合図。わたしは心で「いってらっしゃい」と返事をする。

彼と言い合う「おやすみ」と、彼が鳴らすこのベルは、夜とわたし、朝とわたしを、しっかりと結びつけてくれるガイドのような存在で、これさえあればもう二度と朝と夜の境目をさまよわずに済みそうだと思った。

彼が乗った自転車が、音を立てて走って行くのが聞こえる。次いで子供たちが走る足音がする。女性の大きな話し声、ぎゃははと誰かが笑う声。
脳裏に、外を歩いているであろう人の姿が浮かび上がる。彼らもまた、彼らなりの物語の最中を歩いているのだろう。

***

ばらばらばたばたと足音がなる交差点。弾む音もあれば、沈む音もある。あちらからこちらから、その音は鳴り続けている。

目の前の行き交う人を避けながら、歩き続ける。誰にもぶつからない。迷わない。不意に目の前の女性が立ち止まって、上手に交わしてから振り向くと、その人は何かを探しているようだった。不安そうに周りを見渡し、泣き出すまいと唇を固く閉じているが、その姿は、すぐに誰かの姿でかき消されていく。

もう、上京したばかりのわたしとは違う。行きたい場所はわかるし、好きなものだって知っている。なにが好きで、なにが嫌いで、なにを許せて、なにを譲れず、なにが欲しくて、どうなりたくて、どこへ行きたくて、そして、だれと生きたいのか。もう知っている。

ひとつひとつ知ってきた。だからもう、ひとりでしっかり歩いていける。
青信号がチカチカ光り、急かすような電子音が鳴って、慌てて走って渡りきる。
一呼吸置いて、車が一斉に走りだす。

その直後、手をぎゅっと握られた。

「いこうか」

繋いだ手の先にいるのは、夫となった彼だ。人混みで、手をつながなくても、離れ離れにならない夫。どれだけ人が多くても、どれだけ道を阻まれても、同じ場所に辿りついてくれる夫。

上京したときは18歳だったわたしも、来年30歳になる。
きちんと、生きてきたと思う。東京をきちんと、生きてきたと思う。



本記事は、#はじめて借りたあの部屋 の参考記事として執筆いたしました(詳細はこちら)。僭越ながら、コンテストの審査員もつとめております。たくさんのエントリーをお待ちしてますー!

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