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全ては息子の一人暮らしから始まった

2014年の春、一人息子が京都の大学に進学した。

京都で息子が暮らす部屋は、合格が決まった時に大学が送ってくれた不動産屋のパンフレットを見て選んだ。実際に現地に行き、いろいろ見学させてもらい、大学に近くて、生活もしやすそうな所で決めた。

契約したマンションは、最上階に大家さん家族が住んでいるので安心だし、大通りから少し入ったところで静かだし、家賃もこの間取りでこの値段は東京なら倍はするだろう・・・という金額で、とてもありがたかった。さすが大学の街だけあって、アパートやマンションは手頃な値段でいろいろあり、例えば京都ならではの珍しい所だと、銭湯屋さんがオーナーで近くの銭湯に自由に入れるアパートとか、お寺の中にある宿坊みたいなところで家賃は格安だけど境内の掃除やお勤めが必須・・・というところもあった。

こうして決まった部屋に、2014年の春、息子は引っ越した。

息子の引っ越しは、私と私の両親(息子からみたら母方の祖父母)で執り行った。夫はこの頃、仕事が激務でとても休めない状況であり、トラックを持っている私の父と母に頼むことになったのだ。

前もって準備した家具や布団や衣類や生活雑貨などを積み込み、朝早くに家を出発。高速道路を通って5時間ほどで京都のマンションに到着した。

大家さんへの手土産を持って挨拶したあと、荷物を運び込んで設置。そのうちに量販店に注文していた新品の家電が届いたので、届けられた三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)をセッティング。ガス屋さん等も来てくれて、どんどん準備が整う。

こうして住める状態になったところで、気がつくと夕方になった。

その晩は、両親に引っ越しの御礼&息子の新しい門出を祝し、京都市内の旅館に泊まり、夕食のごちそうを食べた。

次の日、両親は帰っていき、私は息子と京都の部屋に残った。

実は息子は肢体不自由なため、一人暮らしを始める前に、私が数日住み込みで生活スキルを教えることになったのだ。

洗濯・掃除・料理の他に、銀行口座の管理について、ATMの使い方、家賃の振り込み方、電気・ガス・水道の管理、ゴミの出し方、などなど。

公共交通機関の利用の仕方(市バスは一区間だけの利用だけど、足が悪いのでバスの定期券を購入)も調べて、息子に教え、いろいろ対処した。

初動にキチッと教えておけば、あとは自分で覚えて何とかするだろう・・・という期待のもと、入学式が始まるまでの数日間、息子とマンツーマンでいろいろ教えた。息子も初めての一人暮らしで不安があったのか、素直に私の教えを聞いてチャレンジしていた。

こうしてよく晴れた穏やかな良き日に入学式があり、桜が咲くなか、息子は大学生デビューを果たした。

大学から帰ってきた息子に話を聞くと、自分から積極的に声を掛け、同じ学科の友達が出来たとのこと。おお、良かった。さすがだわ。これでまた一つ母の心配が消えたわ・・・私はホッとした。

入学式のあとも、京都は毎日とても良いお天気で、桜も満開。私は居候している息子の部屋を拠点に京都市内の各地を市バスで回った。各地で満開の京の桜を見に出かけた。

一番心に残っているのは、京都府立植物園の桜だ。

たまたま朝の情報テレビで京都府立植物園の桜が満開だということを知り、市バス1本で直に行けるし、せっかくだからちょっと見てこようかな・・・と思った。

息子の部屋の近くのバス停でバスに乗り、植物園近くでバスを降りて鴨川の堤防を歩いた。川沿いの桜も満開でとてもきれいだった。

植物園の入り口の辺で、もうすでにすごい人だと分かった。でも、植物園は広いから、混んでいてもそれほど苦ではない。ここは観光客ではなく、ほとんどが京都の人たちみたいだ。多くの人がお花見に来ていて、どこを通っても、どの桜の下も、とても温かくて、穏やかで、賑やかで、明るくて、とても幸せそうだった。

この時、私は息子と共に京都に来て一週間ほどだったけど、自由気ままに行きたい所に出かけ、自分の時間を楽しみ、ウットリと花見をしている自分に少しビックリした。自由を満喫している自分がいる・・・。自由を感じたのは何年ぶりだろう。いや何十年ぶりか・・・。

ふと自分が大学生だった頃を思い出した。あのときの感覚を思い出す。

あのときの私は自由で無敵だったなぁ・・・と。

私ったら、どこでどう間違っちゃったんだろう。あら嫌だ。涙が出てきた。今まで感覚が麻痺していたけど、実は辛かったんだなぁ・・・。

京都府立植物園のベンチに座り、ボンヤリと木々とその間の空を眺めながら、神様は私の願いは聞いてくれないと思いつつ、でもダメ元で「私は自由に生きたい」と心の中で小さくつぶやいてみた。

息子が京都で一人暮らしをするのにも意見し干渉してきた義父母。私たち夫婦のことまで口を挟み、私の一挙一動まで管理しようとする義父母から、せめて息子だけでも自由に解き放ってあげたいと思い、私は盾となって息子を守るように生きてきたのだ。

ここから先は自由に生きろ。私が食い止めておくから、行けるところまでとにかく逃げろ。

・・・そんな気持ちで私は息子を送り出したのだ。

だから、息子の一人暮らしが落ち着いたら、私はまたもとの場所に戻らなくてはいけない。支配と干渉。本当に辛くて苦しいけど、私はまたあの場所(自宅)に帰らなくてはいけないのだ。

だから、今は束の間の「自由」。私の人生にはもう永久に来ないモノ・・・と思っていた。でも、神様のイタズラで、今、こうして自由を体感している。なんて幸せなんだろう。嬉しい。また涙が出た。

どうか、また、ここに来れますように・・・。

この自由をまたいつか味わえますように・・・。

そう私は心の中で神様に祈った。

あの桜の下での祈りが通じたのか、自宅に戻ってからの私は旅をするようになった。ひとり旅だ。

ここで「良い嫁」を無理して演じ続けていたら私の心は死んじゃうと思い、義父母から怒鳴られることも覚悟で、定期的に旅に出るようになった。息子は一人暮らししているのだし、もう良いでしょう?・・・と。

一ヶ月に1回。多いときは一ヶ月に2回。

私が水を得た魚のように楽しそうにしていたら、いつのまにか夫も仲間になっていた。夫のことは期待していなかったんだけど(笑)、今では良き理解者であり、私の同士である。

あの桜の下の誓いから4年の間に義父が亡くなったり等、いろいろあって大変だった。数々の修羅場もかいくぐり、夫婦の危機もあったけど、ふと気がついたら私は「自由」を得ていた。

義父とは生前、なぜか家族の中で私が一番たくさん話をした。夫も知らないことを義父は私に話してくれて、血が繋がっていない遠い存在なのに、魂は一番近かった。

義父が亡くなった後、干渉癖の強い義母とは一番激突したけど、これは義母と私の問題では無く、義母と夫の親子関係の問題だと確信し、人間関係の捻れと歪みを取り払うことに努力した。結果、義母と夫の関係が何でも言い合える普通の親子関係へと変化し、その中で義母もいろいろなことを経験し成長した。ツンツンしていたトゲが抜けていって、普通の穏やかなお婆さんになり今に至る。

こうして同じ家に居ながら、同じ家族と暮らしながら、今は私は「真の自由」を満喫している。

ちなみに、息子はあの部屋で4年間暮らした。すごく居心地が良かったみたいで、2年契約のあともそのまま更新したらしい。この4年の間に友達が泊まったり、息子が作ったご飯を皆が食べに来たり、泣いたり笑ったり、青春のキラキラした思い出がたくさんあの部屋で編み出されていったようである。

息子の口から詳しいことは聞かなかったけど(言えるわけ無いか・・・笑)、もしかしたら、ほろ苦い恋の思い出も多少はあったかもしれない。

こうして無事に4年が過ぎ、いよいよ大学を卒業することになり、あの部屋を引き払った。

また私の両親とトラックで息子の部屋に行き、荷物を運び出した。この時、息子の友人が引っ越しの手伝いに来てくれた。友人達にとっても、息子の部屋は青春の思い出がいっぱい詰まった場所だったようで、引っ越しの日が近づくにつれて、みんな淋しがっていたという。私たちがトラックで行く前に、部屋の荷物を段ボールに収める作業をしてくれていたのだけど、その時、息子の部屋を愛してくれた友達がたくさん来てくれて、皆で手分けしてやってくれたそうだ。高く積まれた段ボール箱には、そんな友人達の心のこもったメッセージや言葉がマジックで書かれてあった。

荷物を全て出し、掃除をして、部屋の中は空っぽになった。

穏やかな春の日。3月の午後。

がらんとした部屋の中に立ち、私は淋しさと切なさで胸が押しつぶされそうになった。

もう二度と戻ることがない青春の日々が、この部屋に染みこんでいた。

そうだ、ここからスタートしたんだ・・・。

4年前の春に、このガランとした何もない部屋から、私たち家族の「自由」を獲得する旅が始まったのだ。

京都の部屋を引き払ったあと、私たちは地元に戻った。

私が盾になって「ここから逃れて自由に生きてほしい!」と送り出した息子は、なんと地元で就職が決まり、こっちに帰ってきた。

なんとまぁ・・・である(汗)。

でも、一緒に暮らすことはしないで、職場の近くに部屋を借りて、そこで一人暮らしをすることになった。

実家があるけど、でも、一緒には暮らさない。息子も「実家には戻りたくない。もう少し一人暮らしを満喫したい。」と言っているし、離れて暮らした方が私も気楽だし。皆の利害が一致して、そういうことになった。せっかく自立して暮らせていたのだから、そのまま一人暮らしを続行した方が良い。

私たちの周りの人たちで、「息子・娘と一緒に暮らすのが当たり前」という固定観念の刷り込みがある人は、私たちの選択に非常に驚いていたけど、自立のために別に暮らすと説明すると「良い選択や」とたくさん褒められた。

この時、義母は私たちの選択に口を挟むことは無く、素直に純粋に息子の門出を喜んでいた。

こうして新しい部屋にまた荷物を運び込み、そこで息子は社会人生活をスタートさせた。

社会人になっても、息子は職場の新しい人間関係の中で、楽しく頑張っているようだ。そして、新しい部屋にも新旧様々な友達が訪れているようで、賑やかに過ごしているらしい。

息子の一人暮らしによって、私も一人暮らしを謳歌しているような不思議な開放感を味わっている。そして自由を楽しんでいる。

千本通近くの住宅街の一角にあった、京都の部屋。

あの部屋にまた新しい誰かが暮らし、そこで新たな生活が営まれているのだろう・・・。

切なくて愛しい。

懐かしい日々。

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