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思考整理の文章置き場

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日記ではない長文のエッセイや、もぐら会「書くことコース」の原稿などをまとめています。
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#もぐら会

わからない言語で繰り広げられる朗読。意味を見出さなくてもいい、その音を聞くと、わかることがあるから。

わからない言語で繰り広げられる朗読。意味を見出さなくてもいい、その音を聞くと、わかることがあるから。

静かな感動が全身にわきあがり、魂がふるえる。

その瞬間に聞こえてくるのは、都市部で交わされる忙しいコミュニケーションのための言語ではなく、昔からひっそりと続いていた伝統儀式のあいさつのようでありながら、真実の断片がぽつりぽつりと蛍のような光りを放つ、おだやかで暖かくてやさしい言の葉。ずっとずっと前から憧れていた景色はここにあった、そう確信せずにはいられないほどイタリア語が圧倒的だと感じたのは、コ

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それは風が強く吹く2月の、取るに足らない出来事だった

それは風が強く吹く2月の、取るに足らない出来事だった

別れを告げたのは、風が一段と強い日だった。

外の景色に鳴りひびくのは、大きなくじらの唸り声と、甲高い鳴き声のよう。だれにも制御できないその生き物は、ふいに海面から空中へとゆったり水しぶきをあげて飛び上がったようだ。木の葉が散って遠く向こうへ散らばる。空き缶は、コロンコロンと転がっていく。蔓の葉のからまる柵はいっせいに波を打つ。干しっぱなしの洗濯物はまるでおおぜいの注目を集めたいかのように旗を振っ

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見て見ぬふりはもういらない。誰かのために、ではなく、自分のために。

見て見ぬふりはもういらない。誰かのために、ではなく、自分のために。

パリの9区にある小さな劇場を囲ったアパルトマンで暮らしていた頃、門の左手にはギリシャ料理店があり、沿道にはウッドデッキ調の木材の枠組みではみ出すようにテラス席が設けられていた。その空間は新型コロナウィルスの影響で店内での営業が困難になり、テラス席であれば営業が可能だった時期の名残でもある。
現在フランスでは、全面的にレストランの営業が停止しているので、お店のオーナーや従業員が軽く打ち合わせをしたり

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気分転換のための引っ越しと、理想の居場所を求めることと。

気分転換のための引っ越しと、理想の居場所を求めることと。

自分の居場所を決めるひとは、いったい誰なのか。

心底望んだ場所にいる、と思えるひとは、この世の中にどのくらいいるのだろうか。必要に迫られてそこに暮らすひと。妥協し好きでもない街に滞在するひと。配偶者や家族の都合で、決定に関与することなく日々を送るひと。あるいは治安や安全上の理由から移動を余儀なくされたひと。はたまた居場所なんてどこでもよいと、無関心なひと。

ひとつの地点からもうひとつ別の地点に

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心のなかにある切実さと向き合う。もぐら会に入って1年が経ちました。

心のなかにある切実さと向き合う。もぐら会に入って1年が経ちました。

紫原明子さんが主催するサロン「もぐら会」に入って1年が経ちました。2019年6月の開催当初から参加していたひとりとして、ひとつの区切りでもあることからこの1年間で自身がどのように変化したか、何が起こったかなどを振り返ってみようと思います。

そもそも、「もぐら会」とはなにか。もぐら会は2019年6月に開始した約100名規模のオフラインサロンで、他者との会話を通して、自分と世界とを"自分自身で"掘り

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「話しことば」と「書きことば」の違い。そこに含まれる信頼度について

「話しことば」と「書きことば」の違い。そこに含まれる信頼度について

「あなたはたくさん本を読むし、日本語だけでなくフランス語も含めて多くの語彙を知っている。でも、同時にたくさん知っているからこそ、言葉で自分自身も騙すことができる。だからわたしはあなたの話を半分は嘘だと思って、残りの半分しか聞かないことにしているよ」。

先日、ひとからそう言われたとき、こんなふうにわたしを見抜いてくれるのか!という小気味好い嬉しさが胸いっぱいに満ちた。「こうである」と告げる発言の奥

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主体性と、個人主義と、相互作用。

主体性と、個人主義と、相互作用。

今日、渋谷の街を歩いていたら、百貨店の入口の扉に貼られた「当面の間」まで営業を中止するという案内を見かけた。シャッターは降ろされ内部の様子はうかがうことはできないが、いつもの賑やかさは遠く記憶の向こうに追いやられている。当面の間という言葉の解釈、その具体性、判断は各自に委ねられているのだろう。当面、当分、いつまでかはわからないけれど一定期間。

フランスのカフェやレストランでの張り紙では閉店を顧客

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うまくいくかどうか、パスカルの賭け。

うまくいくかどうか、パスカルの賭け。

2019年もそろそろ終わりに近づいて、あと30分ほどで2020年1月の幕が開けようとしている。今年の出来事をどうにか整理してみたいなという気持ちにかられて、いま勢いだけで思いつくままに総括をしてみよう。



そもそも年始にわたしは今年の目標を立てなかった。立てる必要性がなかったのかもしれないし、立てたところでそれは現実から遠く離れた場所にありすぎて手が届くなんておこがましいとも感じていたのかも

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『夜と霧』 "生きる意味を問う"意味についての結論とは。

『夜と霧』 "生きる意味を問う"意味についての結論とは。

ヴィクトール・E・フランクル著の「夜と霧」を読む。もぐら会の参加者が勧めていたもので、この本の前に心理士のエッセイを読んでいたから連続して読むと相乗効果がありそうだと、手に取った。

が、作品の中で書かれた現実はあまりにも深刻すぎて、わたしが想像するだけでは事実に到底及ばない。まったく補えない。苦しい、そして息がつまる。ただ心理学者がこのテキストを書いていることから、文章はどこか客観的でもある。そ

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自分自身で自分の傷を癒すことは可能か、ケアとセラピーを考える。

自分自身で自分の傷を癒すことは可能か、ケアとセラピーを考える。

最近エッセイスト紫原明子さん主催の「もぐら会」というコミュニティに参加することになった。今流行りのオンラインサロンみたいなものにはどちらかというと毛嫌いしていたし、性格としても優柔不断なわりにはピンときたものにはすぐ行動するので、参加してからじわじわと「コミュニティに参加したことの意味」を感じ入っているところである。

さて、その会で主催者の紫原さんがお勧めしていた本、「居るのはつらいよ: ケアと

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異国への愛着のわけを探す、途中経過。

異国への愛着のわけを探す、途中経過。

いつか昔の、深夜のテレビ番組で放送された女性の話が印象的で、いまでも内容を覚えている。

幼少期から使っていたタオルを彼女はとにかく気に入っていて、20年以上経過して大人になっても眠るときにそれを枕元に置いているという。実際、そのタオルは茶色くぼろぼろとした端切れとなっているのだが、彼女にとってはお守りのように大事にして幾千もの夜を共に過ごしてきたもの。容易には捨てられず、洗濯して綺麗にしておくこ

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