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気分転換のための引っ越しと、理想の居場所を求めることと。

自分の居場所を決めるひとは、いったい誰なのか。

心底望んだ場所にいる、と思えるひとは、この世の中にどのくらいいるのだろうか。必要に迫られてそこに暮らすひと。妥協し好きでもない街に滞在するひと。配偶者や家族の都合で、決定に関与することなく日々を送るひと。あるいは治安や安全上の理由から移動を余儀なくされたひと。はたまた居場所なんてどこでもよいと、無関心なひと。

ひとつの地点からもうひとつ別の地点に移動する。この行為の引き金になるものはどこからともなく聞こえてくる「声」なのかもしれない。移動をしてもよい、さあ今だ、と目の前の現実が予兆を告げる。もちろん具体的に行動に移すには個人の経済状況や職場環境が重要なファクターになるけれど、内なる声にしたがっていれば、きっと何もかもがうまくいく。わたし自身昔からそう信じていたのは、むしろ示唆を無視することが、なにか不吉なものをもたらすのではないかという心配性がゆえの思考がもとになっているせいもあるだろう。


実際声なんて存在するわけもなく、何気なくそういう気がするだけである。直接的に友人から、あるいは他者から、はたまた占い師から「あなたのいる場所には問題があります。いますぐ移動をするべきです」と明確に言及されるわけではないし、ひとりで勝手に思い込んだ勘違いのひとつ。気分を変えたい、今の居場所に飽きてしまった、さらには退屈をしのぐため、なんてあらゆる理由が、引っ越しをする動機でもあるはずだ。

目に見えない声の正体がどれほど曖昧だったとしても、そのメッセージを受け取ったなら目を背けることに抵抗感が生じる。すると興味本位から不動産情報を調べ、条件が合致する部屋、場所、そのための資金準備への手続きへと転換させる。コツコツと集めてきた荷物を整理し、何十回何百回も通ったスーパー、コンビニエンスストアやレストラン、近所の顔見知り、そこで過ごした時間、すべてを置き去りにして過去の街とさよならをする。そしてまだ知らない新しい日常へと溶け込んでいく。新たな街の空気を吸い込んでいく。

ある調査によれば、日本人が人生のうちに引っ越しをする平均回数は3、04回だそうだ。2021年に最新情報が公開されるけれど、今回の新型コロナウィルスによって、その数字にもわずかばかりでも変化は生まれるだろう。

リモートワークが推奨され、インターネットがあれば自宅で仕事ができる。職場から近いとか、便利だからといって高額な家賃を払いながら首都圏や都市部に住み、狭いアパートに居続ける必要性も薄れてきた。周囲でも、この機会に東京を離れるという話を耳にすることも多くなり、ウィルスが引っ越しの契機となった事実はよりリアルな感覚を以って増している。

ウィルスや社会の変化といった身の回りにある、外側の要因。個人の仕事や家庭環境の変化といった内的な要因。移動は常にそのふたつの理由がからみあう。

わたしが生まれ育った大阪、ニュータウンに近い分譲マンションから、仕事のために東京に出てきたのは2010年、22歳の春だった。引っ越し業者を使うほどでもないとわずかな衣類と仕事の書類と、大切に読みつづけた本をまとめて段ボール数箱を宅急便で送り、ベッドや冷蔵庫、テーブルなどの家具は東京に着いてから手配をした。すべてが新しく、真っ白で、これからどんなふうに自分らしく馴染んでいくのだろうと期待で胸が膨らんでいた。

この時にわたしは移動をうながす声を聞いていたのだろうか。「東京には働くために行くべきだ。好むか好まないかに関わらずそこで勝負をすべきだ」と強固な理想を思い描いていたから、そういう点では自分の内なる欲求の声を聞いていたといってもいいかもしれない。当時は大阪の空気があまりにも、狭く、息苦しかった。

友人も先輩も知り合いもいない東京で、せめて人情味がある下町に住みたいと、最初の街には葛飾区を選んだ。2011年、東日本大震災が起きて都心部から自宅まで歩いた時、ひどく孤独に感じられたから職場と近い世田谷区に引っ越した。ヒノキ材の床と広さ駅から近い理想の物件と出会い、中野区に住んだ。フランスから帰国後の住居のないわたしに友人が「住んでいいよ」と招いてくれたから、港区にいた。フランスでは、大阪という東京に次ぐ第二の都市で生まれ育ったから、大都市のリヨンを滞在先に選んだ。山と自然に囲まれて過ごしたかったからスイスの国境に近い、アルプスそばのアヌシーに住んだ。人や機会に恵まれる環境に身を置きたかったから、パリでアパルトマンを借りることにした。

ひとところに留まれない性分が、無意識のうちに新しい生活、出会い、刺激を求めてしまう。そして同じ場所に居続けたら、息苦しさがある。肩の力を抜いて、しっかりと肺の奥まで、その街の空気を吸い込み、馴染むということがうまくできないのだろう。どの引っ越しも理屈で固めた論理。自分の内側の声に耳を傾けるなどとしなくても、本来であればただ気分を変えたいからという素直な感情だけでいればいい。全ての行動を複雑にしているのは、自分自身にほかならない。

Changer de l'air。気分転換をすることをフランス語では「空気を変える」と表現する。新たな生活環境に身を置くこと、引っ越しをすることは、空気を変えることと同義だろう。見知らぬ街の空、風、土、建物の匂いを感じる。そこで料理をしたり日々を暮らしたりして思い出を作る。その果てに理想のすみかを見つけていく。

再びフランスに戻ってきた今もまた引っ越しを繰り返している。それでも心の奥底に願うことは単純なこと。次の街は爽やかで、心地がよくて、風が循環する場所でありますように、どうかその街の空気に馴染めますように、そう祈りながらわたしは安心できる居場所を求め、探し続けていく。

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