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それは風が強く吹く2月の、取るに足らない出来事だった

別れを告げたのは、風が一段と強い日だった。

外の景色に鳴りひびくのは、大きなくじらの唸り声と、甲高い鳴き声のよう。だれにも制御できないその生き物は、ふいに海面から空中へとゆったり水しぶきをあげて飛び上がったようだ。木の葉が散って遠く向こうへ散らばる。空き缶は、コロンコロンと転がっていく。蔓の葉のからまる柵はいっせいに波を打つ。干しっぱなしの洗濯物はまるでおおぜいの注目を集めたいかのように旗を振っている。色鮮やかに、かつ威風堂々と。その光景はまるで、見えない巨大な船が空気の海をゆったりと泳いでいるかのようで、わたしはというと、そんな荒々しい外の様子を、振動のかけらも感じない静かな船の中から覗いているかのようだった。この日は、なにかを決心することになるだろう。確かな覚悟は窓から風に乗って飛び込んできた。

カナダの映画監督グザヴィエ・ドランが手がけた「わたしはロランス」という映画がある。ラストシーンでは、秋風で木の葉が舞い散る街を、男女が一方はトイレ側の勝手口から、またもう一方はお店の正面出口から出て、別々に去っていくという象徴的な別れのシーンがある。国語教師をしていたロランスが「じぶんのこころは女性である」と恋人のフレッドにカミングアウトしたことによって関係性が徐々に変わりゆく様を描いた作品。当初は彼女も「彼がじぶんらしくあるために」とかつら選びや化粧を手伝うなどして側に寄り添い励ましていたが、ある時ついに「男が欲しい」と恋人に告げ、パーティで知り合った男性と結婚し子供をもうける。

じぶんの本当の姿を取り戻したいと訴えたロランスはフレッドとの関係を続けたかった。男女を超えた間柄だと信じていたし、ふたりなら乗り越えられると確信していたから。しかし彼はカミングアウトにより職場を離れざるをえなくなり、フレッドとは別のパートナーと出会い日々を暮らす。そして数年後、あるバルで再会したときに彼女に言うのだ。「もともとわたしたちの関係は壊れていたんだ、たとえじぶんが女性でなかったとしても」と。

トランスジェンダーをテーマにしている作品ではあるものの、ふたりの関係を見ればあらゆる関係性に普遍の愛とは何かを問いかけてくれる。この作品につけられたコピーはまさに「愛がすべてを変えてくれたらいいのに」である。バルのやりとりで、「一緒にいて幸せだった?」と尋ねるロランスと、「後悔をしている?」と尋ねるフレッド。対極な物事の捉え方も彼らの違いを顕著にあらわしている。愛を語り合った当初じぶんたちは特別だと言い続けていたにも関わらず、最後のやりとりは悲しいかな、一緒にいても同じ道を目指していけないことを物語る。

わたしはこのシーンを初めて見たとき、激しく泣いた。2014年、渋谷アップリンクの小さなスクリーンを前に木製のアウトドアチェアに深く腰をかけて、嗚咽をもらしながら、涙が止められることができなかった。泣き腫らして、帰り道はまるで放心状態で夜もずっとそのシーンを引きずり何も手につかなかった。別れを決意するのがどうしてこんなにも苦しくて悲しいのか。
それでも作品の中でふたりは清々しく、別の道を歩んでいく。過去を捨て去り互いがじぶんらしくいられる未来へと向かう希望と、いくら愛しあっていても決定的に分かり合えないことがあると証明する深い絶望が、そこにはあった。

ある日代官山をひとり歩いていたときに、風が突然吹いて、木の葉が舞い上がった。それは当時付き合っていた交際相手との関係をどのようにしていいのかわからずに悩んでいた頃だった。「あ、この景色を見たことがある」。映画の世界をまるで実際に体験したかのように勘違いをした。別れを決心しなくてはいけないのだろう、きっとこのままではいけないだろう。そんなことを考えあぐねては、答えを曖昧なまま先延ばしに、どこからの扉も開けずに閉じこもる。もしわたしたちも彼らのように過去と決別する勇気があったのなら。じぶんひとりの問題にせず、彼にも責任転嫁をした。別れられないのは相手が引き止めるからだ、彼がわたしを必要とするから断ち切れないのだと、じぶんの弱さと甘えを認めない癖を覚えたのはこの頃が始まりだったのかもしれない。

その関係は想像以上に長引いてしまい、互いに喧嘩も増えて、終わる頃のふたりは散々だった。数年間も共に暮らし、喜びも悲しみも共有して時間を過ごしたはずだったのに、一瞬で、電話越しの言葉で、わたしは彼に、もう恋人ではいられないと告げた。電話は出先で簡潔に済ませるつもりが1時間以上にわたってしまった。相手の声色を気にしすぎないように、涙を流す様も聞こえないふりをして、冷酷に。「これまでのことを反省している」そういう彼の言葉も残念ながら、もう胸には響いてこない。これまであらゆる恩もあり、助けてもらった事実もありながら最終的には冷たくあしらうなんて、なんて残忍な行為をしているのだろう、最低の人間だ。こころの中に映る自らの汚い部分はできるだけ手をかざして見えないように蓋をした。いい人であろうとし続けて、一方的に傷つけているのは結局誰だったのだろう。

くじらの声が湧き上がったのは、雲が空を覆って、風が強く吹きすさぶ2月のことだった。彼と出会ったのも、同じ2月。別れを決意した日は自宅を出る前、なにか特別なことが起こるだろうという予感がした。ふたりの会話を終えて、帰り道はアスファルトの上を歩くと髪の毛が揺れて目に砂埃が飛び込んできた。泣いているわけじゃない、ただ目にごみがはいっただけ。涙が勝手に浮かぶ。すべてが終わった。そしてまたすべてが始まる。これまでの過去を洗いざらい片付けるように風は無情にもあらゆる方向から打ち付ける。遠く向こうで木の葉が巻き上がり、あちらこちらにある見えない風の存在を感じる。別れたことにひとつも後悔をしていない。それでも一緒にいて幸せだった。些細な、とるにたらない恋愛の物語の幕が閉じた瞬間だった。

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