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異国への愛着のわけを探す、途中経過。

いつか昔の、深夜のテレビ番組で放送された女性の話が印象的で、いまでも内容を覚えている。

幼少期から使っていたタオルを彼女はとにかく気に入っていて、20年以上経過して大人になっても眠るときにそれを枕元に置いているという。実際、そのタオルは茶色くぼろぼろとした端切れとなっているのだが、彼女にとってはお守りのように大事にして幾千もの夜を共に過ごしてきたもの。容易には捨てられず、洗濯して綺麗にしておくことなどもできないまま、恋人ができても、住む場所が変わっても、洗われず常に枕のそばに置かれていた。パートナーの男性は呆れるように、それでも仕方がないなあと好きになった弱みと情けを顔に浮かべながら、どうしたら彼女がお気に入りのタオルから卒業してくれるのだろうと頭を抱えて番組に相談を持ちかけた、というのが一連の流れだったように記憶している。

そんな彼女のように「愛着」があるものが、わたしにはあるのだろうか。

悲しい時も嬉しい時も静かにひっそりとそばにいて、こちらの様子になにひとつ口出しせず、ながれゆく時間を共に過ごし、わたしの表情の変化をいちばん見届けてきたもの。風化したり汚れたりした姿もさらに愛おしく、手放すことが何よりも惜しいと感じられる存在。失ったときには、自分の一部が損なわれたと思うほどのアイデンティティをはらんだ対象。

身の回りを探してみる。たとえば子供の頃に亡くなった父親の愛用品を、遺品として受け継いで、娘のわたしが今でも大事に使っているといえばそれほどの美談はないだろう。「父が見ることのできなかった景色を見せるためにいつも持ち歩いています」「困ったときにはいつでも、語りかけるのです」・・・そのような泣けるストーリーは残念ながら持ち合わせておらず、彼の時計は亡くなった時刻から永遠に時を刻むことなく実家の守り神として佇んでいるし、複数の遺品は母が大切に扱っているおかげで、綺麗な状態で保管されている。振り返ってみると、小学生の頃に懸賞で当選し大喜びしたほどの大きなくまのぬいぐるみも、友人と絆の気持ちを深めるためにお揃いで買ったキーホルダーも、昔の恋人からプレゼントでもらったアクセサリーですらも、いまはどこにあるのかはっきり覚えていなかった。

探せばきっとある。しかし、愛着があるものは探して見つけるようなものでもないから、パッと浮かばない限り持ち合わせていないのだろう。

それではものに限らず、範囲を広げてみるとしたらどうだろう。心の拠り所となる存在。どんな時に頭にもちらついて、匂い、音、触り心地、温度を感じたくなる愛おしい対象。それは探さなくてもすぐに見つかる。たったひとつ。海外にあるフランスという国である。

フランスは大学の第二外国語で語学を選択した程度だし、初めて訪れたのは卒業して数年が経ってから。事前に聞いた噂では、英語が伝わりにくい国らしい。特に都会のひとは冷たいらしい。地下鉄は汚く、治安が悪いらしい。きらびやかな印象よりも、盗難や強奪被害にあわなければ十分だと気合いを入れて、たくさんのネガティブな印象とともに2015年、わたしはフランスに、ひとりで降り立った。

そこで見た光景、通り過ぎゆくひと、颯爽と歩く姿。石畳みの重厚感、白く洗練された建築、賑やかな市場、鮮やかな彩りの食材。どこを歩いても歴史の重みがあちらこちらに宿る。通りの名前一つ取っても著名人の名がついており、詳細をじっくり眺めようとすると、ふいに尋ねられる。

「タバコの火、持ってる?」

「駅までこの道であってるかしら?」

誰かれかまわず話しかけるフランス人たち。頼りにしたいのはこっちのほう、と言いたくもなるが、スーツケースを抱えていなければ、多くのひとが分け隔てなく現地人として捉えられる。欧米系、アフリカ系、中東系、アジア系。彼らからしても、わたしが今日初めてここに来たひとなのか、あるいは家族の都合で長い期間滞在しているひとなのかなど、判別するのは難しい。単純に、疑問や欲求に対して率直に、必要だから知りたいから、言葉を投げかける。そのほうがはやく解決するとわかっているのだ。

この国で異邦人としての存在を感じるよりも先に、現地のひととして認識される前提は、日本であれやこれや自分の存在価値などに頭を抱えるわたしからすると驚くほど嬉しい現実だった。石橋を叩いて渡る気持ちで歩いていたら、実は橋なんてどこにもなかった、という拍子抜けした感覚である。

フランスとの関係はそれからも続いて、現地で言語を習得しようと留学を決意。1年間のビザの有効期限が切れて、日本に帰ったのが2年前の2018年の1月。それから2018年の秋、2019年の秋と、遅めの夏休み休暇として毎年必ずフランスを訪れている。数週間という限られた期間でもわたしにとってはひとつの恒例儀式で、その国にいるとあるべき自分の姿を取り戻せるような気がして、現地に住む友人に会い語りあうことで、いるべき場所はここだと確認する作業をただひたすらに繰り返していた。

そしていま2020年現在は別のビザを取得して、フランスに滞在している。2年前に中断した学業を続けるために、あらたな仕事を探すために、自分らしくいられる環境で生きていくために。

なぜこれほどまでに愛着を覚えるのだろう。デモやストライキが多く、権利思考が強い階級社会。コネや関係性が社会をうまく渡り歩く重要な鍵となるが、当初この国に誰一人知り合いはいなかった。

単純に、観光客として訪れたなら経済効果を生み出して喜ばれるけれど、国民のひとりになるには複雑なステップと長い社会統合の時間が必要だ。日常では、電車が遅れたり運行中止になったりする、郵便物は届くまでに時間がかかる、役所の手続きは煩雑でややこしい。衛生観念が低くて、地面にバナナの皮やゴミが散らかっている。人と少しでも話をすれば社会に対する不満が驚くほどに溢れ出す。

これまでアメリカや東南アジア、スペインやドイツやポルトガルなど他のヨーロッパ諸国も旅をして文化や言語の違いにも触れてきたが、住みやすさという点でフランスに勝る国はいくつも思い浮かぶ。

あらゆる悪い面と問題点と課題、それに困難さを語らせたら、良い面をあっという間に数多く上回るだろう。そんなふうだから、声を大にしてフランスが好きだと言えるほどの自信はない。数年前に訪れたスウェーデンで、自然環境の素晴らしさにうっとりしながら友人にフランス社会の愚痴を話したら、そのときにかけられた言葉は、わたしが、まさに自身に問いかけたい質問だった。

「君はそんなふうにフランスの悪口を言うけれど、どうしてわざわざ選んでその国にいるの?」

理想の幻影みたいなものに心を奪われ、好きなのか嫌いなのか不明瞭なままどこか勘違いして「自分らしくいられる」と自己のアイデンティティを押し付けてしまう存在。言語をある程度理解しているくらいで、その国のルールや社会を知ったような気になって、考えてみればわたしは、幸せだったその国での時間を留学後も忘れられずに、しつこく未練を抱いているのではないだろうか。

だったら毎年規則的に訪れる観光客として、適度に文句を言いながら文化を享受すればいい、そうでいられない理由はなにか、つまりわたしはフランスに対して、「愛着」ではなく「執着」しているだけではないのだろうか。

それでもこの国で、良いことも悪いことも受け止めて生きていきたいと願う自分がいる。好き嫌いの二元論を超えて、複雑で入り混じったややこしい感情をこの国に持っている。20年間タオルを枕元に置くことで心の安寧を保つことができた彼女のように、簡単に捨てたり離れたりすることのできない場所であり、この先の人生においても何かしら縁があるのだろうと確信めいた希望的観測を抱えている。

目の前にいる人、景色、日常、すべてを判断材料にしながら、そのことについて今わたしはフランスで考えている。滞在を終える頃には愛着と執着の違いに気づくことができたならと願いながら、汚れてしまっても、綺麗な状態でなくてもいいから心底手放したくないと思える愛着をもてる何かを、この国で探し続けている。

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