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雑記集

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雑草という名前の草はない。 雑記という名前の記事もない。
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#コミュニケーション

スクリュードライバー

スクリュードライバー

「うまくやれよ」以外にあるだろうか。上手に立ち回り、情に身を任せず、知恵をつかって、的確に判断しなさい。そんな多くのことをひと言でいうなら、ほかにどんなことばが値するか。とらえようによっては、「がんばれ」だって「幸運(健闘)を祈る」だって、もっと無責任に響くかもしれないがひょっとしたら「神のご加護を」といったことばにだって、似たようなニュアンスを見出せるかもしれない。いや、それはだいぶ違うよと思う

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本質を伝えることば

本質を伝えることば

ひとこと多いのと少ないの、どちらがキドリか。
 つい、私はかっこつけちゃいます。といいますのも、「みなまでいわずともわかるだろう?」という姿勢をとりがちなのです。つまり、省ける言葉は省きがちなのです。

 そのことによって、「伝わったかもしれないこと」を、どんどん「伝わりにくく」してしまっているのかもしれません。それって、ほんとは「省いちゃいけないことば」を省いちゃっているんじゃないのかよ、私よ?

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いかに砂漠か?

いかに砂漠か?

距離が近すぎると見えないことってあるものです。見えなくて、判断に足るような質量の情報が得られずに、結局もたらされた「近すぎる」提案は無下にされがちです。

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昨日、お風呂に入っていました。3歳の息子のためにどこかから調達された、「お風呂の壁に貼付けられる、水濡れOKの世界地図」が、その名の通りお風呂の壁に貼付けられたまま残されていました(そんな名前の商品ではないと

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言葉の速度超過

言葉の速度超過

「何を考えているかわからない」と言われることがあります。

私は、相手を傷つけるかもしれないと肌で感じるような思いは、その場ですぐさま言葉として口に出すことはなるべくしないように心がけています。その心がけが態度としてあらわれ、相手に「何を考えているかわからない」という印象を与えることがあるようです。その態度を示しているとき、多くの場合、私は相手が傷つくかもしれない「ひどい」ことを考えているのか

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喃語の爆発

喃語の爆発

先日、下の息子が1歳になりました。昨年の1月2日に生まれた子でした。彼が生まれて、まだ1年くらいだというのが不思議でなりません。もうずっと彼のいる生活を続けてきているような気がしています。でも、まだ1年なのです。自分の端末のストレージメモリ一杯の写真をつらつらと眺めていると、確かに1年以上前の写真には、下の息子はまだ写っていません。私の気のせいではなく、まだせいぜい1年なのです。

1歳になっ

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会話と好意

会話と好意

私は、しゃべるのが苦手という意識を持っているときがあります。でも、なぁんだ俺、しゃべれるじゃないのと思えることもあります。その間をふらふら行ったり来たりしています。

話をすごい誰かに聞いてもらえると、嬉しくてもっと話すのが楽しくなってしまいます。そういうときは、時間も忘れて話に夢中になってしまいます。自分のことを認めてくれているがために、相手はこんなにも私の話を聞いてくれるのだなと信じられる

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微笑みの跳躍

微笑みの跳躍

新聞に折り込まれる、無料の地域紙があります。そこに、自身の戦争体験のこと、日々のくらしのこと、趣味のこと、地域や郷土の歴史のことなどについてのコラムを長いこと連載していた人がいます。長い期間に渡って紙面にのせて散らされた記事たちを、地域の図書館の「行政資料室」が収集し、保存しています。ぼくはそれを見て、地域紙に連載を持っていたその人の存在を知ったのです。その著者は、地域紙をとおしてその時代の人たち

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ピンボール・ゲーム

ピンボール・ゲーム

ぼくはほんとうにものを知りません。知ってもすぐ忘れてしまいます。記憶の容量がそこまで大きくないのかもしれません。

何か、あとになって振り返ることのできるかたちのものを残すことがあります。ネット上に書き散らした文かもしれませんし、紙の日記帳かもしれません。楽器の演奏や歌を録音したものかもしれませんし、漫画かそれ未満の絵かもしれません。どこどこの学校を卒業したとか、どこそこで働いていたといった事実

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舞い、歌い、匂い。

舞い、歌い、匂い。

文字の組み合わせによる「ことば」は、ぼくの伝えたいことのすべてをあらわしてはくれません。

「ことば」のようなものはいろいろあります。笑いかけること。手をにぎること。肩に触れること。顔を近づけること。おしりで押したり押し返したりすること。声や音を発すること。においを出すこと。飛んだり跳ねたり、ステップを踏んだり、手をあげたりすること。

「ことば」のようななにかとなにかの「間(ま)」によっ

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ツボ探偵・あんまちゃん

ツボ探偵・あんまちゃん

指示されたり命令にもとずいたりして仕事をすることがあります。工夫やアレンジの余地もなく、機械的にただこなしさえすればよい類の作業であることもありますし、工夫やアレンジ、発想することを含んだかたちでの指示や命令に端を発する作業である場合もあります。後者のほうがやっていて楽しかったり、充足感や達成感があることが多いような気がしますが、いっぽうで、前者のほうが、より競技的なたのしみといいますか、身体を動

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運命の主「体」性

運命の主「体」性

承認欲求なんてことばを、かつてこれほど聞くことはなかった。SNSに放り投げた一塊の情報のはしっこに設けられた「いいね」とかいうボタンにどれだけの人が触れたかということでその解決をはかるなんて、とても回りくどいことなんじゃないかと思う。

目と目が合う体験とは、強烈なものである。言葉の介在なんて要さずに、その場その瞬間でお互いの認知が成立する。対面を基本とした生活をしていたら、そもそも承認欲求な

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