#自分
暮らしの中に自分で選ばない部分をつくる
2024年6月4日(火)朝の6:00になりました。
どちらを選ぶか、その理由が考えられぬからこそ人は選ぶのである。
どうも、高倉大希です。
自分の人生は、自分で選ぶ。
とても立派な、考え方だと思います。
本当は選びたくても、選べない。
そんな不自由を、打開しようという心意気が見て取れます。
一方で全部を自分で選ぶのは、それはそれでまずいのではないかと思っています。
全部を自分で選ん
「自分がされて嫌なことは他人にもしない」は言うほど万能じゃないぞ
2024年3月20日(水)朝の6:00になりました。
みんなちがって、どうでもいい。
どうも、高倉大希です。
朝日を見て、新しい1日のはじまりを気持ちよく思う人がいます。
その一方で、朝日を見て新しい1日のはじまりを憂鬱だと思う人がいます。
ひとりでいることを、寂しいと思う人がいます。
その一方で、ひとりでいることを楽しいと思う人がいます。
罵声を浴びせられて、苦痛に思う人がいます。
いまだに折り合いをつけられないこと
2024年2月15日(木)朝の6:00になりました。
いろいろどうにか受け止めて、落書きのような夢を見る。
どうも、高倉大希です。
主観と客観を、切り分けて考えよう。
ここで言う客観は、その人の主観から生まれます。
事実と解釈を、切り分けて考えよう。
ここで言う事実は、その人の解釈から生まれます。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
哲学者、フリードリヒ・ニー