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暮らしの中に自分で選ばない部分をつくる


2024年6月4日(火)朝の6:00になりました。

どちらを選ぶか、その理由が考えられぬからこそ人は選ぶのである。

どうも、高倉大希です。




自分の人生は、自分で選ぶ。

とても立派な、考え方だと思います。


本当は選びたくても、選べない。

そんな不自由を、打開しようという心意気が見て取れます。


一方で全部を自分で選ぶのは、それはそれでまずいのではないかと思っています。

全部を自分で選んでしまったら、自分にとって都合のいい自分にしかなりません。


自分に都合が悪いことはすべて、「社会が悪い」「社会のせいだ」というあの態度だ。でも、社会が自分の外にあると思っているのは、ほかでもないその人だ。自分でそう思い込んでいるだけなのに、じゃあその人はいったい何を責め、誰が悪いと言ってることになるのだろう。

池田昌子(2003)「14歳からの哲学」トランスビュー


だからこそ自分で選び取りつつも、意図的に自分では選ばない部分をつくります。

興味の外にあるものを、取り入れるための間口を広げておくのです。


たとえば普段読む本は、できるだけ自分では選ばないようにしています。

信頼する人の紹介や、前に読んだ本の参考文献を頼りにします。


すこしでも今の自分から離れたものを、取り入れるようにしたいからです。

そうしなければ、いつまで経っても今の自分から繋がるものしか増えません。


「これは、.......試されてるのかもしれない」背後の蟹に似た男が続ける。声が唾液で濡れている。「この列から離れるきっかけ...、人生っていうか、そういう、生活に突然現れる、決断を誘うきっかけ。......あの中に何が入ってるのか、気になりませんか。私達にとって、何か大事なものが入っているかもしれない」

中村文則(2023)『列』講談社


自分では、選ばない。

言い換えるなら、他者に選んでもらうということです。


ジム・キャリー主演の映画、『イエスマン』と同じです。

今の自分から外れることを今の自分が決めるのは、至難の業だというわけです。


意図的につくろうとしなければ、自分で選ばない部分はなかなか生まれません。

思っているよりもわたしたちは、選びたがりだからです。


私は漫画家の岡崎京子さんよ言葉を思い出した。「ごらん、窓の外を。全てのことが起こりうるのを。」自分も部屋にこもりっぱなしではいけない。

穂村弘(2023)「蛸足ノート」中央公論新社


毎朝6:00に更新している、この文章も同じです。

読むことを選んだのはあなたですが、内容までは選べません。


違った内容の文章を、毎朝6:00にお届けします。

その中にはあなたの文脈にはないものも、きっとたくさんあるはずです。


暮らしの中に、自分で選ばない部分をつくる。

くり返しになりますが、意図してつくらなければ自然には生まれません。






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