akiko〜結果オーライの伏線〜

1987年生まれ/自営業 2020年9月noteでエッセイ執筆スタート 同い年の夫と…

akiko〜結果オーライの伏線〜

1987年生まれ/自営業 2020年9月noteでエッセイ執筆スタート 同い年の夫と娘と3人暮らし。 農家育ちの元ミスキャンパス/現在はモデル・ナレーター・MC・ハンドメイド作家 人生の目標は幸せなおばあちゃんになること。 今日もごきげんに、伏線ちりばめ隊!!

マガジン

  • サステナブルな夫婦関係

    夫とのサステナブルな関係を目指す私の考察×エッセイ。

  • ややクセのあるエッセイ

    クセの強い父とのエピソードや、二十歳で物心つくまでの恥ずかしい思い出など、ブログには書いてこなかった自身のエッセイをまとめました。今となっては笑えるネタが中心。

記事一覧

だから私はブリッコをする

タイトルと相反するが、私は昔からブリッコができない。そんな女である。 周囲に愛嬌を振りまくというのがどうも恥ずかしく、性に合わない。だが家庭内は例外である。 夫…

父の手品〜あの日のがっかり〜

私の父は一時期手品にハマっていた。 私が小学生の頃の話だ。 書籍とツルツルのトランプを購入し、熱心に研究していた。トランプ以外を使った手品も勉強していた。 隣町…

我が家に鉛筆削りが来た日〜ワイルド鉛筆物語〜

鉛筆削りを使ったことがあるかという問いには 大抵の人がイエスと答えるだろう。 では鉛筆削りを使わずに鉛筆を削ったことがある人はどれくらいいるだろうか。あまりいる…

桃を年間100個食べる女〜あの日の勘違い〜

私は桃農家に生まれ、物心ついた時から年間100個の桃を食べて育ってきた。 ジブリ映画「もののけ姫」が公開された年は、あの地域の農家の娘は「桃の毛姫」と呼ばれたが、…

就活やめてブックカバー職人になると言い張った話

「私、就活やめる」 内定ゼロの私は深夜の焼肉屋さんでこう言い放った。 「どうやって暮らしてくの?」と聞かれ 「ブックカバーを売って暮らす」と答えた。 今の私は、…

【夫婦】我慢よりも大切なスキル

痛みに強いと自負していた私は、出産により我慢できない痛みが存在することを知った。 そして我慢することにそれほどの価値はないということも。 それは産後のどうしよう…

ガラス張りのお風呂

我が家の浴室はガラス張り、脱衣場との仕切りは全面シースルーである。 我が家は建売の戸建てだ。 内見でガラス張りの浴室を見たとき、ガラス張りを経験したことがない私…

オーマイ早産!〜生命力のかたまりと本日のアイス〜

特に公にはしていなかったが、私の娘は34週と4日、いわゆる早産で生まれた。 早産とは22週〜36週6日までの出産を指す。 私の場合は27週から切迫早産で1ヶ月半入院し、娘…

妊娠中に盲腸になった話(後編)

(前編はこちら) 「今夜生まれるかもしれません。転院です。」 え?生まれるの?と心の準備が間に合わぬまま、あれよあれよという間に救急車が手配された。 27週で生ま…

妊娠中に盲腸になった話(前編)

私は6年ほど前に娘を出産したのだが、私のぽんぽこりんのおなかを見た者はほとんどいない。 安定期を過ぎてもおなかが目立たなかったせいもあるが、なにより27週から出産…

産後のブログ事情と、結果オーライな人生〜note で書くことにしました〜

独身時代、私はブログを書くのが好きだった。 思い返せば中学生か高校生あたりから簡単なHTMLタグで装飾ができるHPを作成しブログや詩のようなものを書いたり、かの有名な…

だから私はブリッコをする

だから私はブリッコをする

タイトルと相反するが、私は昔からブリッコができない。そんな女である。

周囲に愛嬌を振りまくというのがどうも恥ずかしく、性に合わない。だが家庭内は例外である。

夫と娘に対し、超〜積極的にブリッコをする。

それは彼らに対するブリッコがメリットしかないからだ。しかも今となってはそれが私にとって心地よく、一番自然で理想的な姿だからだ。

そんなわけで今回は、なぜ私が家庭内ブリッコをするようになったの

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父の手品〜あの日のがっかり〜

父の手品〜あの日のがっかり〜

私の父は一時期手品にハマっていた。

私が小学生の頃の話だ。

書籍とツルツルのトランプを購入し、熱心に研究していた。トランプ以外を使った手品も勉強していた。

隣町に手品の先生を見つけて毎週通っていたくらい、手品にのめり込んでいた。

そんな父がどこで手品を披露するかと言うと、私たち家族の前、そして父が営む観光農園だった。

桃ぶどうの観光農園で手品をする人は、私は父しか知らない。
他にもいたら

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我が家に鉛筆削りが来た日〜ワイルド鉛筆物語〜

我が家に鉛筆削りが来た日〜ワイルド鉛筆物語〜

鉛筆削りを使ったことがあるかという問いには

大抵の人がイエスと答えるだろう。

では鉛筆削りを使わずに鉛筆を削ったことがある人はどれくらいいるだろうか。あまりいる気はしない。

そして何を隠そう私は、小学校に入るまで鉛筆削りではないもので削られた鉛筆を使っていた1人だった。

うちの両親は2人揃って心配性だ。

そんな2人が揃ってしまったから、我が家では事あるごとに留まるところを知らない心配合戦

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桃を年間100個食べる女〜あの日の勘違い〜

桃を年間100個食べる女〜あの日の勘違い〜

私は桃農家に生まれ、物心ついた時から年間100個の桃を食べて育ってきた。

ジブリ映画「もののけ姫」が公開された年は、あの地域の農家の娘は「桃の毛姫」と呼ばれたが、私も御多分に漏れずその道を歩んできた1人だ。

自宅の道向こうには、私が生まれた年に植えられた桃の木もあった。

ある年突然、父がその木を切ったと事後報告をしてきた時は大変ショックだったのを覚えている。

記念樹ってそんな扱いを受けるも

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就活やめてブックカバー職人になると言い張った話

就活やめてブックカバー職人になると言い張った話

「私、就活やめる」

内定ゼロの私は深夜の焼肉屋さんでこう言い放った。

「どうやって暮らしてくの?」と聞かれ
「ブックカバーを売って暮らす」と答えた。

今の私は、あの日の自分のまじめな顔を思い出すと吹き出してしまう。

その頃の私はブックカバー作りにハマっていた。

そして大量に作ったそのブックカバーを友人にひとつずつプレゼントするという趣味を持っていたのだ。今考えるといい迷惑である。

高校

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【夫婦】我慢よりも大切なスキル

【夫婦】我慢よりも大切なスキル

痛みに強いと自負していた私は、出産により我慢できない痛みが存在することを知った。
そして我慢することにそれほどの価値はないということも。

それは産後のどうしようもなく手の回らない状況においても、ひしひしと感じたことである。

今回は、我慢についての考察ともっと重要なスキルについて私の考えをまとめた。

我慢強さは長所?私は長年、我慢強さが自分の長所だと思っていたところがある。

だが全てのことが

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ガラス張りのお風呂

ガラス張りのお風呂

我が家の浴室はガラス張り、脱衣場との仕切りは全面シースルーである。

我が家は建売の戸建てだ。
内見でガラス張りの浴室を見たとき、ガラス張りを経験したことがない私たちは「ほう…」好奇心をくすぐられつつもこれが吉と出るか凶と出るか一晩考えた。

結論からいうと、私たちは前述の通りガラス張りの浴室のある家で暮らすことにした。

使ってみなければ分からないし、明らかな不都合が見当たらない。
考えられるデ

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オーマイ早産!〜生命力のかたまりと本日のアイス〜

オーマイ早産!〜生命力のかたまりと本日のアイス〜

特に公にはしていなかったが、私の娘は34週と4日、いわゆる早産で生まれた。

早産とは22週〜36週6日までの出産を指す。

私の場合は27週から切迫早産で1ヶ月半入院し、娘を出産した。その時得た気付き、そして今の心境をまとめたいと思う。

(ちなみに入院のきっかけは妊娠中の盲腸だった。盲腸との出会いから別れまでのエッセイがこちらに綴ってあるので、気になる方は読んでいただきたい。)

入院生活にお

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妊娠中に盲腸になった話(後編)

妊娠中に盲腸になった話(後編)

(前編はこちら)

「今夜生まれるかもしれません。転院です。」

え?生まれるの?と心の準備が間に合わぬまま、あれよあれよという間に救急車が手配された。

27週で生まれた場合、この病院では受け入れができない。そのためNICUのある病院に母体搬送されるのだ。

人生初の救急車。
思えば今まで病気もけがもなく過ごしてきて、点滴さえしたことがなかった。中学時代は気合いの皆勤賞だ。人生最大のけがといえば

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妊娠中に盲腸になった話(前編)

妊娠中に盲腸になった話(前編)

私は6年ほど前に娘を出産したのだが、私のぽんぽこりんのおなかを見た者はほとんどいない。

安定期を過ぎてもおなかが目立たなかったせいもあるが、なにより27週から出産まで入院生活を送っていたからだ。いわゆる切迫早産の診断だった。

この話は切迫早産と妊娠中の盲腸という世にも珍しいダブルコンボを食らった時の話である。

入院前の私はマタニティーライフを楽しむ気満々でそれはそれはのんきなものだった。

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産後のブログ事情と、結果オーライな人生〜note で書くことにしました〜

産後のブログ事情と、結果オーライな人生〜note で書くことにしました〜

独身時代、私はブログを書くのが好きだった。

思い返せば中学生か高校生あたりから簡単なHTMLタグで装飾ができるHPを作成しブログや詩のようなものを書いたり、かの有名な前略プロフィールももちろん嗜んでいた。(心配ご無用。どちらも闇に葬り去られている。)さらに遡ると小学生の頃から作文や日記に自分の思いをつづるのが好きであったから、そうなるのは自然な流れだったのかもしれない。

当時はいわゆるブログを

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