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我が家に鉛筆削りが来た日〜ワイルド鉛筆物語〜

鉛筆削りを使ったことがあるかという問いには

大抵の人がイエスと答えるだろう。

では鉛筆削りを使わずに鉛筆を削ったことがある人はどれくらいいるだろうか。あまりいる気はしない。

そして何を隠そう私は、小学校に入るまで鉛筆削りではないもので削られた鉛筆を使っていた1人だった。



うちの両親は2人揃って心配性だ。

そんな2人が揃ってしまったから、我が家では事あるごとに留まるところを知らない心配合戦が繰り広げられていた。

それは主に父の心配性に母が賛同する形で、次から次へといろいろなものに対策が講じられていた。


例えばそれは、私が4歳の時に建てられた家にもよく表れていた。父が思い描くとにかく安全な注文住宅だった。

まずは、階段から落ちるといけないので階段がない。そのためにわざわざ平家を建てた。

玄関はデザイン上段差が発生するため、父が土を盛って玄関脇にお手製のスロープを作り、そこを通るよう教えられていた。

その段差となっている玄関のブロックタイルの縁は、もし子供が転んで頭を打って切り傷を作ってはいけないということで、父が全てヤスリで削った


またドアに指を挟むといけないので、実家にはドアがほとんどない
お手洗いと、お風呂場だけだ。
そんな理由と父の趣味が相まって、実家は純和風だった。
とにかくふすまふすまふすま。
しょうじしょうじしょうじ。
襖と障子だらけだ。

ちなみに父のこだわりで障子は雪見障子(下半分の障子がシャッターのように上に上がるようになっていてそこから外の雪を眺められる)だったのだが、障子を上げると下半分がはガラス版1枚になるということで、なかなかこの使い方はさせてもらえなかった。
ガラスは「危ない」からだ。

こうして挙げていけばキリがないくらい、住居についてだけでも山ほど心配性エピソードが出てくる。私はそんな家で育った。

父は男に二言はないタイプで、一度決めたら超〜頑なにそれを守る。そのため我が家には、今考えると吹き出してしまうようなルールがたくさんあったのだ。

そんな中私は鉛筆を使って文字を書いたり、絵を書いたりするようになった。小学校に上がる前の話だ。

鉛筆を使えば、当然鉛筆の先は丸くなり、そのうち書くことができなくなることは世の常識だろう。

すると必要なのが鉛筆削りなのだが、ここでまた父の心配性が発揮される。


鉛筆の形状をよく思い出して欲しい。

あれはちょうど幼児の指くらいの太さではないか!!!


私には弟が2人いる。

私も当時幼児の指をしていたが、当然弟は私より小さいから、もうちょっと鉛筆に近い細さの指をしていた。

そして下の弟はまだ母のお腹の中にいて、私が小一になる翌年誕生予定だった。

もうここまで読めば察していただけると思うが、父は我が子の指が鉛筆削りによって傷つけられることを心配し、鉛筆削りは出禁扱いとなった。

そこから我が家は鉛筆削りをどうにか使わずに鉛筆を削るという謎のフェーズに突入する。

父の心配性に慣れていた私たちは幼く純粋だったこともあり、当然のようにそれを受け入れた。

そうして私が使い倒して先が平らになった鉛筆たちは、父のマイ枝切りハサミによってこの地球上で最もワイルドな姿に削られ、幼い私の手でまた先を平らにされてを繰り返すこととなった。

そんな私たち家族だったが、とうとうそのワイルド鉛筆に終止符を打つ場面がやってきた。

私の小学校入学だ。


小学校の入学準備では両面がパカパカ開く小学生の証とも言える素敵な筆箱を買ってもらった。

そこには当然のように父の大嫌いな鉛筆削りが備え付けられていた。父の手前、使うことはなかったが。

だが小学生にとって鉛筆削りは、それほど切っても切れない関係なのだ。父も薄々それを理解しつつあった。


入学して間もない頃は、他にもワイルド鉛筆を使っている子がいると信じていたのだが、みんなの鉛筆の先はもれなく綺麗な円錐形だった。

私だけが、唯一にして超ヘビーなワイルド鉛筆ユーザーで、その頃には父の鉛筆削り技術はまさに職人級になっていた。

さすがに男の子にも鉛筆の形状を指摘され、私はワイルド鉛筆を使い続けるのが恥ずかしくなり、父に抗議した。
そこでようやく我が家にグルグルとレバーを回すタイプの鉛筆削りがやってきたのだった。

私は嬉しくて鉛筆を削って削って削りまくった。表面がボコボコしているワイルド鉛筆はおそろしく削り甲斐があった。


そうして鉛筆削りで楽しく安全に鉛筆を削る日々を過ごし数ヶ月。

下の弟が生まれた。

弟と母が退院したその日を私は今でも鮮明に覚えている。


小さくて可愛くて、家の中に入るのを待ち切れず玄関先でほっぺをツンツンさせてもらった。

そして無事部屋に寝かせられた弟を見て、この光景を絵に描きたくなった。円錐形に削られたご自慢の鉛筆で。


すると父が慌て出した。

「鉛筆の粉が舞う!!!!!」


なんと父は、退院したばかりの我が子に鉛筆の粉が降りかかることを心配しアタフタしたのだった。

そんな話聞いたことないよと思いながら、私は少し離れて絵を描いた。


今度は鉛筆すら危ない存在になるのかと思うと少々気が重かったが、ワイルド鉛筆からの脱却という偉業を成し遂げていた私は、以前にはない強さが自分の中に芽生えているのを感じていた。


そこからまだまだ父の心配性は続いたが、私はワイルド鉛筆をきっかけに、父に抗議することを学んだ。


荒削りのワイルド鉛筆が私を少しワイルドにしてくれた、そんな小一の夏であった。

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