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妊娠中に盲腸になった話(後編)

(前編はこちら

「今夜生まれるかもしれません。転院です。」

え?生まれるの?と心の準備が間に合わぬまま、あれよあれよという間に救急車が手配された。

27週で生まれた場合、この病院では受け入れができない。そのためNICUのある病院に母体搬送されるのだ。

人生初の救急車。
思えば今まで病気もけがもなく過ごしてきて、点滴さえしたことがなかった。中学時代は気合いの皆勤賞だ。人生最大のけがといえば、高校の文化祭のダンスの練習で両足捻挫をしたというなんともまぬけなものである。


救急車に乗り込むと、救急隊の方が意識レベルを確認するためか私にいくつか質問をした。

「おかあさん、生年月日を教えてください」

そう聞かれ「おかあさん」が誰を指すのかすぐに分からなかった。一瞬母の顔が浮かんだ後、自分のことだと理解した。

産後のママとパパとしての生活や子供にママと呼ばれる日を想像したことはあったが、生まれる前に「おかあさん」として声をかけられる場面は想像していなかったのだ。

母になるということがリアルになり、いよいよ出産が現実味を帯びてきた瞬間であった。

搬送先の病院では、引き続き切迫早産の治療とともに腹痛の原因を突き止めるための検査が行われた。

これまたさまざまな検査をした結果、診断は…
腎盂腎炎(じんうじんえん)。

初めて聞く病名だったため、あまりピンとこなかったが、右側の腎臓の炎症ではないかということだった。

ひとまず原因らしきものが分かり、引き続き投与していた抗生剤のおかげで炎症もおさまった。
ただ切迫早産なのは変わりない。
それからは私は純粋に「切迫早産」の妊婦として入院を継続したのであった。

そして季節は変わり、1ヶ月半の入院を経て私は娘を出産した。
生まれるかもしれないと覚悟したあの日からよく持ってくれた。

それでも34週と4日という早産であったため、娘はNICUへ入り、私は先に退院。毎日母乳を届ける日々となった。(早産の話はまたいつか。)


そんな生活が3週間ほど続き、めでたく娘が退院。
家に赤ちゃんがいるこの光景をどんなに夢見たことか。ドライブレコーダーのように全てを記録しておきたいと思った。

が、そんな生活に入り4日目。
私は腹痛に襲われた。
最初は気のせいかと思ったがどんどん明らかな痛みに変わってくる。

実はこの産後1ヶ月で私の身体にはいろいろなことが起こり、人生で1番ボロボロで常に体に異変がある状態だったのだが、それでも見逃しようのない痛みだった。

まるで陣痛を疑ったあの日のような…。


その日はたまたま夫が休みの日だったため、家で娘を見ていてもらい私は近くの内科へ行った。


今回はすぐに診断がついた。

診断は、ザ・盲腸!

ついに出ました盲腸!!!
紹介状を書いてもらい総合病院へ行くことに。

はっきり原因がわかるなんて、なんて気持ちがいいんだ。

紹介先の病院は割と近く、車で10分かからずに着いた。

これがまたトトロに出てくるような昭和な雰囲気の病院で、とにかくお年寄りが多いのが印象的だった。
(今考えると総合病院とはそういうもので、私が妊婦だらけの病棟に長期入院していたからそう感じただけかもしれない。)


手術のため、これまたいろいろな検査をして、バタバタと手術着に着替える。

同意書を書くため夫が呼ばれた。
退院したばかりの娘を病院に連れて来てほしくなかったがそうも言ってられず、夫と娘がやってきた。同意書だけ書いて、できるだけ早く帰ってもらった。

人生初の手術。人生初の全身麻酔。

この2ヶ月半、医療機関にお世話になりっぱなしだった私はいろんな検査や処置で身体を託すことが日常となっていたが、やはり手術となると直前になり怖さが出てきた。

手術室に入る瞬間がそのピークだったのだが、全身麻酔のマスクをしながらやっぱりこわいと呟いて私は一瞬で眠りに落ちた。

起きた時はやたら寒かった。
全身麻酔の後どうなるのか全く調べてなかったので、これが正常な反応なのか急に不安になった。今考えると当時の私はなされるがままだったなぁと思う。

そんな私でも麻酔から目覚めた瞬間の看護師さんの一言には度肝を抜かれた。

「搾乳しときましたよ〜キツそうだったんで」


え…!!!

ありがたいけど…つい先日乳腺炎にまでなったからありがたいんだけど…その可能性ひとこと教えといて欲しかった…いや、もはや私がどうして欲しいか伝えておくべきだった。それこそ同意書案件じゃないか。

産後というのは思いもよらないことが起こる。今考えると、産後1ヶ月私は相当頭が働いていなかった。

次にそんな機会があったら、充分な対策を講じて挑む予定である。このようなことは最初で最後にしたい。

麻酔中に搾乳されるという衝撃的な体験をして思考がそちらに持っていかれたが、手術は無事終わっていた。
今回私のおなかではおへそと脇腹に小さな穴を開けて腹腔鏡手術が行われた。傷口は驚くほど小さかった。
医療の発達とはありがたものである。今では手術痕がどこにあったか分からないほどだ。

そしてこの盲腸、やや癒着が進んでいたようである。
先生には、2〜3ヶ月前から発症してたんじゃないかな〜痛くなかったの?と言われた。

そうですとも。まさに2ヶ月半前私は凄まじい痛みを一度経験している。

抗生剤で一旦は姿を消した盲腸が今ここで再びお目見えしたということだ。
妊娠により臓器の場所が大幅に移動し医師にも分からずじまいだったあの腹痛の原因が、2ヶ月半の時を超えて分かった瞬間だった。

妊娠出産の経過は十人十色、100人いたら100パターンのお産があるとも言われるが、今回私は出産にまつわるあれこれの他に、発症した盲腸を一旦薬で散らして産後1ヶ月で再発及び手術というオプションを経験させていただいた。

そして原因の判断が難しいながらも、炎症に対して適切な処置をしていただいたおかげで無事山を越え、妊娠を継続できた。本当にありがたかった。

切迫早産の診断で入院した時から、最優先事項は少しでもお腹の中で娘を育て元気な姿で生まれてきてもらうことだったのだから。


(人生において優先事項を決めるというのは大変有用であるとつくづく思う。
長い入院生活で夫になかなか会えず、点滴の差し替えが怖い日も副作用にうなされた日も、この最優先事項がはっきりしていたからこんなのは大したことがないと思えたからだ。)

壮絶な2ヶ月半ではあったが、次回は盲腸になる心配がないのだからひとつリスクを潰せたことは大変喜ばしい。
それが盲腸のいいところだ。


私はこうして盲腸と出会いおさらばし、夫と娘と三人の生活をスタートさせたのであった。

(完)


※この記事は私の記憶に基づく6年前の出来事をまとめたものであり、私自身は医療に関して専門的な知識はありません。そのため間違っている部分があるかもしれません。
これを読んでくださった妊婦さん、心配事がある場合は主治医の先生の話をよ〜く聞き、少しでも安心して妊婦生活を送っていただけたらと思います。

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