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妊娠中に盲腸になった話(前編)

私は6年ほど前に娘を出産したのだが、私のぽんぽこりんのおなかを見た者はほとんどいない。

安定期を過ぎてもおなかが目立たなかったせいもあるが、なにより27週から出産まで入院生活を送っていたからだ。いわゆる切迫早産の診断だった。

この話は切迫早産と妊娠中の盲腸という世にも珍しいダブルコンボを食らった時の話である。


入院前の私はマタニティーライフを楽しむ気満々でそれはそれはのんきなものだった。

安定期のうちに夫の実家への帰省(という名の旅行)、フォトスタジオでの撮影、友人の結婚式への出席、仕事納めにヘアショーへの出演、そして締めくくりに渾身のディナーへ。しばらくお預けとなるであろう夫と二人きりの食事を楽しんだ。

それまで順調だった妊婦生活に異変が起こったのは、安定期も終わりに差し掛かった妊娠7か月、27週。まさにそのディナーの日だった。



デザート手前で突然の腹痛に襲われた私はお手洗いへ。きっと食べすぎだと思った。

この日のフルコースには大きなフォアグラソテーが出た。ド田舎で育ち、きゅうりの漬物と炊き立てご飯があれば幸せだった私は、大きなフォアグラを許容する胃など持ち合わせていなかったんだな。そう思った。

そうして席に戻るとウエイターの方が素敵なデザートとともにお祝いの写真を撮ってくださった。私は腹痛の向こう側へ足を踏み入れながらも、夫と堪能したこの日の素晴らしいサービスとおいしい料理に田舎娘ながら幸せを感じ、もはや仏の表情でフィルムに記録されたのであった。


そのレストランから駅までは徒歩5分ほどだっただろうか。やはりおなかが痛く、そろりそろりと移動した。途中のコンビニで水を買ったのだが、コンビニのゆるい冷房がやけにおなかに来る。

電車内では運よく座ることができたが、痛みが減るわけでもない。

気付くと「陣痛ってこれより痛いよね?」と目の前の夫に謎の質問をしていた。痛みのレベルが客観的数字になって表れているわけでもなく、ましてや陣痛の痛みなど想像もつかぬ代物だ。私のコレと陣痛を比べられる人間など存在しないというのに完全に血迷っている。

だが夫は「そんなに痛いの!?」と、とにかく陣痛を疑うレベルの痛みが来ていることを理解してくれた。そうそう、そういうことがいいたかったんだ。この察しの良さ、惚れ直したで候。


無事伝わったで候、という安堵の後、私はその謎の痛み(妊婦にとって謎の腹痛は本当に恐怖である)とともになんとか帰宅した。駅に着いてからは夫がタクシーを拾ってくれた気がするが、正直陣痛疑惑の会話から記憶がない。


この夜、なんやかんや食べすぎが原因だと踏んでいた私は、この腹痛がトイレに行けば解決するような気がしていた。つい先月も便秘によりひどい腹痛に襲われたことがあったのだ。


――だが何かが違う。水分を摂ってもお手洗いにこもっても、便秘君など知らんぷりをしている。それに痛みと連動しておなかが張っている、ような気がする。もはやそのころには私のスマホの検索ワード第一位は「陣痛」となっていた。

そしてようやくこれはおかしいぞと病院に行くことになったのだった。


病院に着くとまずは産科の診察で切迫早産と診断され、そのまま入院となった。

切迫あるあるなのだが、荷物を取りに帰るという選択肢はない。診察後すごいスピードで点滴のルートが確保され、子宮収縮を抑えるウテメリンの投与が始まった。

夫に荷物を取りに帰ってもらい、私は入院に際しいろいろな検査をすることとなった。
心電図をとったり胸部レントゲンを撮ったり、採血をしたり。総合病院だったので腹痛の原因究明のため内科の診察も予定に組み込まれた。

すると血液検査で大変な炎症反応が出た。抗生剤投与開始だ。
そして夕方夫が荷物を持ってやってきた際、私は顔を見るなりこの抗生剤の副反応で戻してしまった。

ああ、こうやってこの先長い結婚生活ありとあらゆる姿をさらしていくのだな。共有する思い出たちが愛の深さとなるのなら、これもいつかの結果オーライの伏線だ。

そんなことを思いながらも、謎の腹痛は依然おさまっていなかった。
再びお腹の張りは陣痛レベルになっており、夫が急いでナースコールを押してくれた。

この後私たちは数々の初体験をしていくこととなるのだった。

後編へ続く)

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