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オーマイ早産!〜生命力のかたまりと本日のアイス〜

特に公にはしていなかったが、私の娘は34週と4日、いわゆる早産で生まれた。

早産とは22週〜36週6日までの出産を指す。

私の場合は27週から切迫早産で1ヶ月半入院し、娘を出産した。その時得た気付き、そして今の心境をまとめたいと思う。

(ちなみに入院のきっかけは妊娠中の盲腸だった。盲腸との出会いから別れまでのエッセイがこちらに綴ってあるので、気になる方は読んでいただきたい。)


入院生活において、はたまた人生において大事なこと

入院中は、切迫早産を経験した方にはお馴染みの「ウテメリン」の点滴をし続けた。病棟内の歩行は許可されていた。

状態によっては病室内のみ歩行OKだったり、寝たきりであったり、シャワー禁止の場合もあるので、同じ切迫早産でも入院生活は人それぞれである。

そんな生活を1ヶ月半したわけだが、この入院生活を通して人生において大事なことを一つ痛感した。

最優先事項を決める事だ。

切迫早産の診断のその日、今夜生まれるかもしれませんと告げられ、私と夫は出産を覚悟した。27週だった。

今の医療では十分に生きられる週数と聞いてはいても、少しでも長い期間お腹で育ってから産んであげたい。この日からそれが妊娠期間における私たち夫婦の最優先事項となった。


そのような認識があったおかげで、24時間の点滴もその副作用も、毎週の針の差し替えも、痛いあれやこれやにも耐えられた。今生まれることを考えれば大したことがないと思えた。

(痛みに強いと自負している私だったが、正直点滴の針の差し替えは恐怖のロシアンルーレットで、失敗したら腫れたり内出血したりで痛いことになるし、ウテメリンの副作用は最初の数日は夜眠れないほどだった。少々大げさかもしれないが、点滴を投与し続ける生活は大きな目標があってこそ乗り越えられた。)

とはいえ今思い返すと、入院の後半はよく編み物をしていたので、点滴の針などへっちゃらという無双状態に入っていたようだ。人間の適応能力とは末恐ろしい。


出産≠カウントダウン

切迫早産での入院生活が始まると出産まであと何日という感覚は180度違ったものになった。

今は少しでもお腹にいて欲しい。今もし生まれたら、赤ちゃんにはどのようなリスクがあるのか?と、「今もし生まれたら?」という感覚になるのだ。

1日を無事終えるたび私たちは喜んだ。週数が一つ増えるたび称えあった。

私の腹部の炎症により27週でまさに生まれそうだったことを考えると、34週を超えるまでよくおなかにいてくれたと思う。


夫も私も何度も出産を覚悟し、新生児科の先生から週数ごとの胎児の成長について教えていただいたことで、妊娠から出産に至るまでがどんなに奇跡的なことであるかを2人して実感することができた。

私たち夫婦にとって、娘の誕生は「予定日まであと○日」というカウントダウンではなく、地道に1日1日を積み重ねた結果だった。


考えてみればどんな妊娠経過においてもゴールが必ずしも予定日である保証はない。
入院前までのんきに過ごしていた私にとって、これは大きな価値観の変容だった。


34週で産まれて、その後

34週というのは一通りの臓器が完成する時期と言われている。最後に肺が完成し、自発呼吸が可能となるのだ。

また今の医療ではそれより早く生まれて丈夫に生きる子供たちがたくさんいる。
私が入院しはじめた27週の場合でも、生存率は正産期に生まれた赤ちゃんとほぼ変わらない。

幸い娘は自発呼吸が可能な状態で生まれ、黄疸の治療を1〜2日し、最初の頃の栄養はチューブで与えてもらい、その後順調な経過をたどり予定より早い3週間後に無事退院を果たした。

その後はというと、これが拍子抜けするくらい健康そのもので風邪など滅多にひかない丈夫さだ。

身長体重は3ヶ月になる頃には平均どおりになった。今考えるとかなりのスピードである。
出生体重こそ2000gを切っていたが、生後3ヶ月から成長曲線はひたすら平均値を移動している。


ちなみに歩き出しは1歳半、よく喋るようになったのは2歳前だった。

歩くことになかなか興味が湧かなかったのと、お喋りに関してはひたすらインプットをしていたようだ。今ではコミュニケーション能力の高さは目を見張るものがある。
(子供の成長というのは、子供が興味を持たないことには進まないし、興味を持った途端凄まじいスピードで進むものである。)

そうしてこれまでの検診も何事もなく成長してきた。

このような凄まじい生命力があったからこそ、早く生まれたのだとすら思う。ただただありがたい。


私はここで娘の健康自慢をするつもりはない。

私が娘を産む時、早産で生まれた子が元気に暮らしているという例を一つでも多く知りたかったように、同じような立場にいる誰かに希望を持ってもらえたら嬉しいと思うのだ。

医師は最悪の事態を想定して説明を行う。
その可能性から目を背けるつもりはないし、可能性がある限り私たちはその都度いろいろな覚悟をすることとなった。

でもそんな時こそ心の中に何か希望が欲しいのだ。少なくとも私はそうだった。希望があるから覚悟ができたし頑張れた。

私の経験が誰かの希望になれば幸いである。


まとめ

娘の出産ではいろいろなことが起こったが、無事生まれてきてくれたことがなによりありがたい。それは今も変わらず、いつだってあの日に立ち返って娘の成長をありがたく見守ることができる。


生まれたからにはここから先は娘の人生だ。親にできることは娘が好きなことをたくさん見つけ幸せに生きる、そのサポートだと思っている。

いつか娘が「生まれてよかった」と言ったなら、私はきっとうれしくて泣いてしまうだろう。


今は、そう口にせずとも幸せそうにアイスをほおばる娘の姿を日々目に焼き付けながら、それだけで十分すぎる幸せを娘からもらっている。


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