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就活やめてブックカバー職人になると言い張った話

「私、就活やめる」

内定ゼロの私は深夜の焼肉屋さんでこう言い放った。

「どうやって暮らしてくの?」と聞かれ
「ブックカバーを売って暮らす」と答えた。

今の私は、あの日の自分のまじめな顔を思い出すと吹き出してしまう。



その頃の私はブックカバー作りにハマっていた。

そして大量に作ったそのブックカバーを友人にひとつずつプレゼントするという趣味を持っていたのだ。今考えるといい迷惑である。


高校時代は進学校の理数コースでみっちり受験勉強をし、国公立大学に現役で進み、卒業後はブックカバーを作って売る。
そんなイレギュラーをほいほい応援してくれる者はなかなかいない。身近な人にほどめちゃめちゃ心配された。

なぜ私がそんなことを言い出したかというと、サラリーマンになるということが想像できなかったのと、私が一番やりたかったのはモデルで、就職したらそれができなくなるのが嫌だったからだ。

モデルの仕事に関しては報酬が安価でもモデルの経験を積みたかったということもあり、他の収入減を確保しなければという頭があった。そして生活費をどのように稼ぐか考えた結果が、全く関係のない「ブックカバーを売る」だったのだ。

関係ないといっても、当時の私は大いに現実的な路線だと思っていた。モデルの仕事は不定期で突然入ることもあるため、スケジュールがある程度固定されてしまう「雇われる」働き方は避けたかった。副業を持つならスケジュールはできる限り自分で決められるものがいい。

その点自営業になればスケジュールは自分の思い通りだ。ブックカバーを作ることは大好きだし、仕事としてやっていくと考えるとワクワクした。

その後私は本当に就活を辞め、夢とミシンを抱え、より都心に引っ越して残りの大学生活を送った。


だがブックカバーはそれ以来作らなかった。自分でもどつきたくなる展開だ。

あれは結局とっさの思い付きだったのだ。そして私はブックカバー職人になることをそれほど望んではいなかったようだ。

私は結局アルバイトを始めた。今はなき目黒川沿いのカフェだ。生活費を稼ぐならせめてモデルの仕事に役立つものをと考えて、つまりそれは「笑顔で働ける場所」じゃないかという結論になり、月数万円をカフェで稼ぎながら暮らすこととした。

ありがたいことに、なんとか突然の仕事の際はバイトを変わってもらい、オーディションや仕事に行く事もできた。やはりやってみなければ分からない。私はモデルの仕事をいろいろとさせていただいた。大学在学中に期間限定でアイドルになって最初で最後か?と思われる歌にもチャレンジしたり、TV番組にレギュラーで出演したり、仕事で海外に行ったりもした。

卒業後は年間契約でサーキットのイメージガールの経験をさせていただいたり(まさかレースクイーンになるとは思いもよらなかったが、あの一年間は私の宝物だ)、イベントコンパニオンの仕事をきっかけにナレーターコンパニオンとしても活動を始め、ナレーター・司会等へと仕事の幅を広げ今に至る。


そして現在私はブックカバーこそ作っていないが、ハンドメイド作家としても生きている。

子供用の帽子とリュックを中心にオリジナル作品を製作・販売し、全国に届けている。ハンドメイドサイトでカテゴリーランキング1位も獲得した。
子育て中の働きやすさを考慮した結果でもあるが、実はこれは本業として取り組んできたモデルや司会業よりも大きな収入源になっているから、結果としてあの焼肉屋さんでの発言は言霊となり現実となったといっても過言ではない。


大学4年の当時、私は世間知らずで今思えば物心などついていない子供のようだった。

まじめに勉強して大学に入り、常識やマナーやルールを自分なりにわきまえ暮らしはしていたが、自分の人生に対してしたたかさがなかった。したたかという言葉の意味を就活中に知ったくらいだ。

今となっては、本気でブックカバー職人になると言った日のことを思い出すとつい吹き出してしまう。あの幼すぎる頃には戻りたくないが、脆く危うかったあの日の自分を愛おしく感じる。


まだまだ私は人生の途中だし、仕事についても発展途上だ。
だが、あの日のことを思い出して吹きだしてしまうほどに、私は大人になった。

大学4年当時、内定が結局ゼロだった私が就活で得たものをひとつ挙げるとしたら、「したたかさ」だ。
それは自分の人生をやりくりするのに超重要で、まじめに正直に生きるだけでは身につかなかった大切なスキルだった。

今ブックカバーではなく子供用の帽子とリュックを選んで作っていることも、思い付きではなく理由がある。「したたかさ」という、当時自分とは無縁にさえ思えたものを少しづつ身につけ、私は10年前より生きやすく身の周りを整えられるようになった。


それまで年相応のしたたかさを持ちあわせていなかった私は、その未知なるものが自分の中に入ってくるのが怖くもあった。したたかという言葉に、漠然とズルさに似たものすら感じていた。

だがしたたかさとは自分の人生をコントロールするための身支度だ。ズルをするかどうかは別問題。私はこれまで通りまじめに正直に暮らしていけばいい。そう考えると、堂々としたたかに生きることはなんて素敵なことなんだろうと思えた。


何が正解か分からない中進むのには勇気がいる。

そして勇気さえあれば物事は思わぬ速度で進むことがあるが、勇気だけでは人生をコントロールできない。

いざという時に力を発揮するため、進みたい方向から外れないために「したたかさ」を携えておくことが大切なのだ。

そうして当時勇気と希望しかなかった私は、人生をコントロールする楽しさを見出し、年々したたかさを増している。


私が就活について語れることはほとんどないが、私のように就活中に「本当にサラリーマンになりたいのだろうか?」と葛藤する人はきっといると思う。

とりあえず新卒入社をしてから考えるという手もあるし(会社という組織で働くメリットはめちゃめちゃあると思う。安定した給与や福利厚生面だけでなく、なによりこの国の大多数がサラリーマンで、会社に入ればその常識や働き方をリアルに知ることができるところがポイントだ。どんな仕事をしていても結局はサラリーマンとの接点が山ほどあるのだから、事業を起こす場合にも大いに役立つ気がしている。)、一方自分に正直にサラリーマン以外の道を選ぶという手もある。どちらが正解かなんて分からない。


結局は自分で決めて、進むのだ。

そしてその決断を結果オーライにすれば良い。

結果オーライになるまでやれば良い。



話は逸れるが、めちゃめちゃ美味しい肉を焼く焼肉奉行だってロースを焼きすぎた経験はあるだろう。

最初から塩梅なんて分からないのだ。

自分にとっての最高の焼き加減を見つけるため、一枚一枚慎重に、五感を使って肉を焼いていく。


あの日めちゃめちゃ心配してくれた同級生はめちゃめちゃ肉を焼くのが上手かった。

それは彼がしたたかに生きてきた結果だろう。

そんな所もしたたかさブームの20代を過ごした私にとって一つの魅力で、その同級生は私の夫となった。
もちろん我が家は焼肉が大好きだ。


私は焼肉屋さんに行くたびに、ブックカバー職人になると言い張った日のことをなんとなく思い出す。


そして良い塩梅に焼けたロースを吹き出さないようニヤニヤ頬張りながら、結果オーライ、明日もしたたかに生きていこうと思うのであった。




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