MM(まみーた)

超ネガティブ思考だった私。35年をかけて脱却し、今はポジティブに生きています。note…

MM(まみーた)

超ネガティブ思考だった私。35年をかけて脱却し、今はポジティブに生きています。noteでは、過去と向き合う作業が多くてメンタルやられ気味です。が、バランスをとっていきたいと思います!

マガジン

  • ふと思ったこと

  • エピソード

    このマガジンは、私の夫、息子達、それから愛犬等々から感じたことについてまとめています。

  • 写真

    何となく目に留まったもの、自分が美しいと感じたものを、その瞬間を納めていきます。

  • 自分史

    昔の私から今の私を紐解く出来事を綴ります。昔の私を知る人は、「何かあったの?」と聞くことでしょう。そして、今の私を知る人は「何があったの?」と聞くことでしょう。自分で自分をもっと理解するために、書いていきます。

記事一覧

大切なものを守りたい人を応援したいのです。。。

 あなたにとって、大切なものはなんですか? 10年前の鬱の経験 2011年、私は鬱になりました。きっかけは、東日本大震災・・・当時、私達家族は岩手県に住んでいま…

「やられたら、やりかえせ!」が教えだった・・・。

 前回の投稿に書いた通り、私は悔し泣きしかしてこなかった。その場ではなく、帰宅してから泣いていたため、家族からはよく泣く子どもだと認識されていた。 「やられたら…

母の教えは……外で泣くな!家で泣け!

 私には、4歳離れた兄がいる。とても賢くて、礼儀正しくて、勉強もできて、けれど運動音痴という一面を持つ兄が。 女子と遊びたかった小2時代 いつも兄の跡を追いかけ…

親友の形見をいただけることとなり、ブレスレットを頂戴いたしました。

 昨年10月に、親友が無くなった。享年50歳という若さ。あまりに突然のこと過ぎて受け入れられずにいた私。でも、葬儀に参列したことにより少しは認められるようになっ…

命懸けだよ、木登りは。

 これは、私が小学校2年生の時の話。  この頃、私は東京の官舎に住んでいた。庭のようなところには、たくさんの木々が植えられていて、そこは子ども達の格好の遊び場だ…

テス勉せずに挑んだ英検…そりゃ、そうなるよね~!という話。

 人生を楽しみたい。そう考えている私は、様々なことにチャレンジすることにしている。チャレンジするのに手っ取り早いのは、学習だろう。資格試験などは、もってこいの分…

私は、困っている人に手を差し伸べる仕事がしたい・・・ただそれだけなのだ。

 主婦で保育士で、通信制の大学生でもある私。「日本語教師資格」と「認定心理士」が欲しくて学修しているのだ。それに加えて長年働いてきた「保育士」という資格・・・一…

契約終了と告げられて、ほっとしたのと心配なのと・・・保育理念の相違の末。

 保育士(派遣)として勤務している保育園の園長から、「3月一杯で契約は終了でお願いします」と、本日、告げられました。  その瞬間、肩の荷が下りた感じがして「ほっ…

何度でも見たい【えんとつ町のプペル】を2プペした感想!

巷では、 2回目の「えんとつ町のプペル」鑑賞を「2プペ」と言うそうです。 今日は家族を置いて、独りで「2プペ」してきました。 副音声という選択肢もありましたが、「…

私の致命的な・・・

 幼少期から、私は好奇心旺盛なタイプでした。右を向いても左を向いても、やってみたいことだらけで毎日がキラキラ輝いていました。  でも、引っ込み思案で臆病だったり…

もう四十九日なんだね・・・まだまだ心が落ち着かいよ。元気にしてる?

 親友の死を、すっかり受け入れることができた……と思っていたのに。四十九日を前にして、突然、悲しみが込み上げてきた。  理由は分かっている。なぜか、無性に聴きた…

「嫌い」という感情を認めるところから、全ては始まるのかもしれない。

 私はいつの頃からか、ずっと「いい人」をやっている。今でも、もちろん抜かりなくやっている。が、それは演技ではなく本心であり、そうすることで周りの人が喜んでくれる…

トラウマと向き合うために

 高校時代、私は弓道部に所属し部長を務めた。弐段も取得し、関東大会にも出場した。予選で敗退してしまったものの、とても充実した試合だった。  高校を卒業し、社会人…

先日のnoteの補足・・・「友達の定義」と「女性の集団が苦手」の真相。

 先日、大切な友達が亡くなった話を書いた。そこに、「心を許せる友達は3人しかいない」という話を書いたのだが、思わぬ反響を呼んでいるので改めて書きたいと思う。  …

愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。③

 私と友人(Kちゃん)の出会いは、USJだ。ユニバーサルモンスターライブロックンロールショー(略:ユニモン)の公演の待ち列で出会った。私は当時、KENJIという名前のド…

愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。②

 告別式開始の40分も前に到着してしまいそうになった。あまりにも早すぎると思い、近隣の空き地で空を眺めて時間を潰した。秋の空は高く、晴れ渡り、どこまでも透き通って…

大切なものを守りたい人を応援したいのです。。。

大切なものを守りたい人を応援したいのです。。。

 あなたにとって、大切なものはなんですか?

10年前の鬱の経験 2011年、私は鬱になりました。きっかけは、東日本大震災・・・当時、私達家族は岩手県に住んでいました。生きることの意味、生かされていることの意味を深く考える日々を送りました。

 私が地べたから這い上がるまで、家族は私を温かく見守ってくれました。家事もできない、食事もままならない私を、励ますことなく、ただ見守り続けてくれました。

もっとみる
「やられたら、やりかえせ!」が教えだった・・・。

「やられたら、やりかえせ!」が教えだった・・・。

 前回の投稿に書いた通り、私は悔し泣きしかしてこなかった。その場ではなく、帰宅してから泣いていたため、家族からはよく泣く子どもだと認識されていた。

「やられたら、やりかえせ!」は父の教え 私が自宅で泣いてばかりいたので、その理由を問われることが多かった。そんな時、私はいつも似たようなセリフを吐く。

「○○ちゃんに、髪の毛を引っ張られた・・・」とか

「△△くんに、叩かれた・・・」とか。

まぁ

もっとみる
母の教えは……外で泣くな!家で泣け!

母の教えは……外で泣くな!家で泣け!

 私には、4歳離れた兄がいる。とても賢くて、礼儀正しくて、勉強もできて、けれど運動音痴という一面を持つ兄が。

女子と遊びたかった小2時代 いつも兄の跡を追いかけて遊んでいたため、いつしか私の周りは男子ばかりになっていた。

 女子の友達といえば、同じ官舎に住む幼稚園児くらいだった。そんなこともあり、私は末っ子ながら姉のような振る舞いを覚えたのだった。

 私はよくその子達の家に招かれた。面倒見が

もっとみる
親友の形見をいただけることとなり、ブレスレットを頂戴いたしました。

親友の形見をいただけることとなり、ブレスレットを頂戴いたしました。

 昨年10月に、親友が無くなった。享年50歳という若さ。あまりに突然のこと過ぎて受け入れられずにいた私。でも、葬儀に参列したことにより少しは認められるようになっていた。

 しばらくの間は、ユニバで流れているような洋楽を聴くと激しく涙が溢れた。なぜなら、私と親友の出会いはユニバで、毎週末のようにユニバで遊んでいたからだった。あれほどまでに心躍らせていた曲の数々に、つい先日まで涙していた。やはり、親

もっとみる
命懸けだよ、木登りは。

命懸けだよ、木登りは。

 これは、私が小学校2年生の時の話。

 この頃、私は東京の官舎に住んでいた。庭のようなところには、たくさんの木々が植えられていて、そこは子ども達の格好の遊び場だった。

 極度の人見知りだった私も、この庭の中では違った。「超」が付くほどのおてんば娘。木登りをしてはターザンごっこをしたし、隣の家の塀に上ってはザクロの実を取って食べた。今思えば、こんな遊びができたのも昭和ならではだったのかもしれない

もっとみる
テス勉せずに挑んだ英検…そりゃ、そうなるよね~!という話。

テス勉せずに挑んだ英検…そりゃ、そうなるよね~!という話。

 人生を楽しみたい。そう考えている私は、様々なことにチャレンジすることにしている。チャレンジするのに手っ取り早いのは、学習だろう。資格試験などは、もってこいの分野だと思う。

1年前に英検準2級を取得した 当時、私は分け合って英会話スクールに通っていた。そこで、講師から「英検とか受けてみたら?モチベーション上がるし!」というようなことを言われて受けてみることにした。

 中学3年生の時に取得した英

もっとみる
私は、困っている人に手を差し伸べる仕事がしたい・・・ただそれだけなのだ。

私は、困っている人に手を差し伸べる仕事がしたい・・・ただそれだけなのだ。

 主婦で保育士で、通信制の大学生でもある私。「日本語教師資格」と「認定心理士」が欲しくて学修しているのだ。それに加えて長年働いてきた「保育士」という資格・・・一見、全く違う分野に感じるかもしれない。けれど、私の中には共通項があって、全ては一本道で繋がっているのだ。

これまでしてきた仕事 私はこれまで、幼稚園教諭・保育士(療育含む)・特別支援学習支援員・学習塾講師をしてきた。「福祉」「教育」の分野

もっとみる
契約終了と告げられて、ほっとしたのと心配なのと・・・保育理念の相違の末。

契約終了と告げられて、ほっとしたのと心配なのと・・・保育理念の相違の末。

 保育士(派遣)として勤務している保育園の園長から、「3月一杯で契約は終了でお願いします」と、本日、告げられました。

 その瞬間、肩の荷が下りた感じがして「ほっ」としたのが正直な感想です。なぜなら、保育園の保育方針と私の保育理念にはかなりのずれがあり、私はどうしても自分の信念を曲げることができなかったからです。確実に、園内で浮いていたと思います。

鬼のように厳しい母だった私 以前書いたこともあ

もっとみる
何度でも見たい【えんとつ町のプペル】を2プペした感想!

何度でも見たい【えんとつ町のプペル】を2プペした感想!

巷では、
2回目の「えんとつ町のプペル」鑑賞を「2プペ」と言うそうです。

今日は家族を置いて、独りで「2プペ」してきました。

副音声という選択肢もありましたが、「えんとつ町のプペルができるまで展」の余韻を胸に、もう1度まっさらな状態で見たくて。

前回は「親として子供に恥じない姿が見せられているか?」という視点でぼろ泣きでした。

今回は、何も考えずに見たはずが、「友達として何ができるか?」と

もっとみる
私の致命的な・・・

私の致命的な・・・

 幼少期から、私は好奇心旺盛なタイプでした。右を向いても左を向いても、やってみたいことだらけで毎日がキラキラ輝いていました。
 でも、引っ込み思案で臆病だったり、親が厳しくて許可が貰えなかったり。結局、ほとんどのことをやらずに大人になってしまいました。

32歳くらいの時、大病を患いました。
それを機に、「やりたいことは全てやる」と決意して、気になるもの(仕事も趣味も)はとことんチャレンジしてきま

もっとみる
もう四十九日なんだね・・・まだまだ心が落ち着かいよ。元気にしてる?

もう四十九日なんだね・・・まだまだ心が落ち着かいよ。元気にしてる?

 親友の死を、すっかり受け入れることができた……と思っていたのに。四十九日を前にして、突然、悲しみが込み上げてきた。

 理由は分かっている。なぜか、無性に聴きたくなった2016年のUSJのBGM集を、今、ふと、聴いてしまったからだ。

 彼女とは、USJで出会い、一緒に週末を過ごした仲だった。だから、この2016年に流れていた曲の数々には、彼女との思い出が詰まっている。一つ一つの曲に、あの日、あ

もっとみる
「嫌い」という感情を認めるところから、全ては始まるのかもしれない。

「嫌い」という感情を認めるところから、全ては始まるのかもしれない。

 私はいつの頃からか、ずっと「いい人」をやっている。今でも、もちろん抜かりなくやっている。が、それは演技ではなく本心であり、そうすることで周りの人が喜んでくれることが嬉しくてたまらない。それは私にとって、この上ない喜びであることに間違いはないのだ。

 どんなに嫌な目に遭わされたとしても、私はその相手に対して挨拶を欠かさない。その人物がどうあれ、私は私が正しいと思うことをするまでだ。それを見た人々

もっとみる
トラウマと向き合うために

トラウマと向き合うために

 高校時代、私は弓道部に所属し部長を務めた。弐段も取得し、関東大会にも出場した。予選で敗退してしまったものの、とても充実した試合だった。

 高校を卒業し、社会人になってから2年間ほどは弓道を続けたが、会社の先輩方との遊びが忙しく、徐々にフェードアウトしてしまった。

 そして、結婚、出産をし、長男が中学生になった時のこと。卓球部か弓道部かで迷う長男に、何の気なしに弓道を勧めた。長男はのめり込んだ

もっとみる
先日のnoteの補足・・・「友達の定義」と「女性の集団が苦手」の真相。

先日のnoteの補足・・・「友達の定義」と「女性の集団が苦手」の真相。

 先日、大切な友達が亡くなった話を書いた。そこに、「心を許せる友達は3人しかいない」という話を書いたのだが、思わぬ反響を呼んでいるので改めて書きたいと思う。

 そもそも、「友達」って何だろうか?Googleで検索してみると、次のような文章に巡り合った。

 勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として関わっている人。友人。

 おや?私の定義と大分違っているなぁ・・・というのが、印象

もっとみる
愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。③

愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。③

 私と友人(Kちゃん)の出会いは、USJだ。ユニバーサルモンスターライブロックンロールショー(略:ユニモン)の公演の待ち列で出会った。私は当時、KENJIという名前のドラキュラのファンで、毎週末のようにUSJに通ってはユニモンを鑑賞し、写真撮影をしていた。(巻き添えを食っていた息子達には感謝しかない。)

 ユニモンには、それぞれのパフォーマーに熱烈なファンがついており(ユニモン自体のファンの方も

もっとみる
愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。②

愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。②

 告別式開始の40分も前に到着してしまいそうになった。あまりにも早すぎると思い、近隣の空き地で空を眺めて時間を潰した。秋の空は高く、晴れ渡り、どこまでも透き通って見えた。

 5分前になり会場の前に到着すると、葬儀関係者の方が中に案内してくれた。すると、娘さんのYちゃんが駆け寄ってきてくれた。目に涙を一杯浮かべて「来てくださって、ありがとうございます。母も喜んでいます。」と。私は込み上げてくる感情

もっとみる