見出し画像

契約終了と告げられて、ほっとしたのと心配なのと・・・保育理念の相違の末。

 保育士(派遣)として勤務している保育園の園長から、「3月一杯で契約は終了でお願いします」と、本日、告げられました。

 その瞬間、肩の荷が下りた感じがして「ほっ」としたのが正直な感想です。なぜなら、保育園の保育方針と私の保育理念にはかなりのずれがあり、私はどうしても自分の信念を曲げることができなかったからです。確実に、園内で浮いていたと思います。

鬼のように厳しい母だった私

 以前書いたこともありましたが、私は鬼のように厳しい母(男児3人)でした。どのように厳しかったかと言えば・・・今思えば、子どもをコントロールしようとしていた・・・それだけのことだったのかもしれません。

 時間を守る、約束を守る・・・等々、とにかく大人になるまでに身に付けて欲しいことは厳しく言い付けました。げんこつをして言うことを聴かせた時代もありました。

 時間に余裕を持ったはずが、言うことを聴かない我が子に振り回されているうちに時間が足りなくなり、我が子らをせかすことは日常茶飯事。何事も我が子らのせいにして、「約束」で縛り付けていたと思います。

 長男の友達から、「○○君のママは、怖いね!」と笑顔で言われて傷ついた時もありました。保育士として働くときも、きっと怖い先生だったと思います。

保育士感を変えてくださったB先生

 そんな私の育児・保育士感を変えてくださった先生が、岩手県にいらっしゃいました。小さな小さな公立の幼稚園で担任をされていた先生で、子ども達がどんなことをしても「かわいいねぇ~」と受け止める姿勢を示してくださる50代の先生でした。

 B先生は、とにかく「経験させること」に重きを置き、「上手くいかないことから何を学ぶか」を大切にされていました。時間が守れないとどういうことになるか、約束を守らないとどういうことになるか・・・体験を通して学ばせる先生でいらっしゃいました。

 その姿を見た時、私は自分が「失敗させないために、躾けと称して先回りしていた」ことに気付きました。「こうしなければならない」「こうでなければならない」という観念に囚われて、子どもの気持ちを無視していたと分かりました。

 ある日、B先生が私におっしゃいました。

「あなたは、生きているのが苦しそうに見えるわ。もっと、肩の力を抜いて大丈夫よ。失敗したっていいの。後から、何とでもなるわ!」

 私は、その日、この言葉を思い出して帰りの車内で泣きました。自分でも薄々「生きることが苦しい」と感じていながら、上手い表現が見つからずに言葉にできなかった・・・それを、改めて言葉にされて、ずっと苦しかった気持ちを解放できたような、そんな感覚に陥ったからでした。

 その日から、私の育児と保育は劇的に変わりました。加えて、東日本大震災の経験が、大きく影響したと思います。

それをしないと、死んじゃうの?

 私の価値観は、大きく変わりました。「死なないこと」が最重要課題で、それ以外は「どうでも良い」「どうにでもなる」に変換されました。

 私自身が厳しく躾けられてきたこともあり、縦のものを横に置くなど以ての外だと考えていましたが、そんな自分がウソのように変わったのです。

「縦のものを横においたの?なかなか考えたね!で、どう感じた?」という具合です。「引き出しにぎゅうぎゅうに詰めたんだね。使いやすい?自分が使いやすければ、いいと思うよ。」という具合です。

 人に迷惑がかかる公共の場、公共のものに関してはしっかり管理しなければならないと考えていますが、自分自身の場・ものであれば、自分の好きにして良いと考えています。迷惑が掛からなければ、誰も死ななければ、OKみたいな感覚です。

 これによって、心にとてつもない余裕が生まれ、ゆったりのんびり育児・保育ができるようになりました。

 まずは、子どもの気持ちを受け止める。その後、アプローチする。ゆっくり関わるためには、時間がたっぷり必要で、そのためには余裕を持って設定する必要があります。私はそうするように、常に心掛けてきました。

時間とルールに縛られる子ども達

 話を冒頭に戻します。

 現在働かせていただいている保育園は、私の理念とは真逆を行く保育方針でした。一言で言うと「昭和のスパルタ保育園」といった感じです。時間とルールに縛れて、自由が利かない空間。遊びも制限され、ストレスもたまり、友達との喧嘩が絶えない。「ダメ」「ダメ」「ダメ」で抑制される生活・・・。

 それが悪いという訳ではありません。しっかりと理念があって、それに基づいた保育であれば、それはそれでありだと思います。

 が、私の理念とは全く違ったのです。

 働く中で、心苦しいシーンをたくさん目撃してきました(ここでは割愛させてください)。そして、一人心を痛めてきました。けれど、辞められない私がいたのです。それは、3人の気になる子ども達の存在でした。

 その子達は、明らかに「愛」を求めていました。家庭環境に問題があったのです。けれど、保育園は保育園なりの「愛」は与えているものの、その「愛」の形は3人の子ども達が望む形ではありませんでした。「愛」が一方通行の中で、子ども達は苦しんでいました。そんな姿を目の当たりにしては、「私しか救ってあげられない」と感じずにはいられなかったのです。

 自分にどれだけのことができるのか?と自問自答もあります。自分に溺れているだけなのかも?と感じるときもあります。けれど、その子達の心のよりどころになれるのは私しかいないと自負ていたのです。

残り2か月で何ができるのか?

 私に残された時間は、2ヶ月しかありません。この2か月の間に、何ができるかを必死に考えてみました。

 結論、「自分を出す」ということでした。今までは、自分を出し切れず、力も発揮しきれず、保育園に遠慮しながら仕事をしてきました。けれど、残された期間は、自分を出し切り、愛を与え続け、思う存分保育を楽しもうと思います。

 もう退職することは決まっていますので、何かをしでかして期日が早まっても構いません。とにかく、「愛を欲する子ども達には愛」を、「やりたいことがある子ども達にはやれること」をさせてあげたいと思います。

 その姿勢を通して、若い先生方が何かを感じ、保育を真剣に考え、自分の理念を持って保育するきっかけになってくれたら。それはまそれで嬉しいなという期待を込めて・・・。

 残り2か月、思い切り楽しみたいと思います!最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。