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愛すべき友よ、安らかに眠れ。。。③

 私と友人(Kちゃん)の出会いは、USJだ。ユニバーサルモンスターライブロックンロールショー(略:ユニモン)の公演の待ち列で出会った。私は当時、KENJIという名前のドラキュラのファンで、毎週末のようにUSJに通ってはユニモンを鑑賞し、写真撮影をしていた。(巻き添えを食っていた息子達には感謝しかない。)

 ユニモンには、それぞれのパフォーマーに熱烈なファンがついており(ユニモン自体のファンの方もいらっしゃるようだが)、1日5回ほどの公演を良い席で鑑賞しようとする人々が毎回のように並んでいた。並ぶ際も我先にと割り込んでくる輩が多数おり、その度にルールが課せられ、水面下ではファン同士のバトルもあったようだ。私も何度となく順番を抜かされ、嫌な思いをしてきた一人だった。

 その日、私は一番乗りで待っていた。順番待ちの列を作る前段階での一番乗りだ。だから、後から来たファンが、列に並ぶときに私を追い越して一番になることもできる。いつもこの瞬間は緊張するけれど、大体私は半ば諦めて待つことにしていた。「〇時公演をお待ちのお客様~」とクルー(係員)が声をかけると、後方から物凄い勢いで割り込んでくる子供がいた。私は、やっぱりか・・・と諦めた。すると、私の前を横切り、入り口と子供との間に黒い影が割り込んだ。何が起きたのか分からなかった。一瞬足を止めて見上げてみると、40歳くらいの男性が子共の前に立ちはだかり、子供の行く手を阻んでくれていた。「あなたが先に待っていたでしょ。さぁ、進んで。」その男性は、そう言って私を一番にしてくれた。そして、その男性と奥さんも私の後に続いた。大阪に住んで1年半ほどが経った時の、大阪で初めて人情に触れた瞬間だった。

 「先ほどは、ありがとうございました。」と伝えると、そのご夫婦は「いえいえ、当たり前のことをしたまでですから。ここの輩ときたら、ルールを守らんと自分の思い通りに動くから、頭に来とったんですわ。」「ほんまやぁ。」と笑顔で話してくださった。これが、旦那さん(Dちゃん)とKちゃんと私、3人の出会いだった。

 週末、一緒に鑑賞できる時は一緒に並び、パフォーマーの話などで盛り上がり、互いにお気に入りの席で鑑賞しては、次回の約束をして帰っていくという暮らしをした。ちょうど2016年はUSJの15周年記念でパーティ三昧だった。パレードもいつもよりも豪華で、何もかもが賑わっていた。

 2人のお気に入りのパフォーマーが契約を満了して海外へ行くことになった。旦那さんのDちゃんは、落胆した。本当かどうか本人の口から聴かないと納得できないと言って、Dちゃんはメッセージを送ったが返信が来なかった。更に落胆した日々を送っていた。が、ついに返信が来た。解答はとある国へ行くことになったという内容だったが、事実を本人から聴くことができてDちゃんは号泣して喜んだ。私は泣いて喜ぶDちゃんを抱きしめながら、もらい泣きしそうになっていた。

 そのパフォーマーの最後のパレードの前日、私達はホテルに泊まり込み、パフォーマーの衣装を手作りした。そして、睡眠時間2時間弱の寝不足状態でパレードを鑑賞し、無事にそのコスプレ姿をそのパフォーマーに披露することができた。彼女は驚きながらも、飛び切りの笑顔で手を振ってくれた。

 「次はいつ会おうか?」「年末は厳しいかな?」「GWあたりが良いかな?」と、3人で話していた。

 年が明け、春が訪れる頃。Dちゃんは、亡くなった。45歳だったと思う。

 その時も信じられなくて、この目で確かめるまではと思い、慌てて飛行機で大阪へ飛んだ。やっぱり横たわっていたのは、Dちゃんだった。Kちゃんは気丈に振舞っていた。その姿は、残された子ども達を守る決意をした、強い母の姿だった。

 Kちゃんとは、シンガポールへ行ったこともあった。2人のファンだったパフォーマーが、USS(ユニバーサルスタジオシンガポール)でパフォーマンスしているのを見るためだった。一緒に関空から飛行機に乗るはずだったのに、私が乗る予定だった関空着の飛行機が2時間遅れてしまい、一緒にシンガポールへ行けなかった。つまり、Kちゃんだけが一人で先にシンガポール入りをする羽目になったのだった。しかも、Kちゃんの人生初の海外旅行だった。私が22時間後に入国し、無事に行き会うことができた時の喜びはひとしおだった。その後、一緒に旅行を満喫した。二人で見たマーライオン。「あれか?小ぃさない?」と言って、笑いあったっけ。

 つい1ヶ月ほど前、Kちゃんと久々にUSJへ行った。コロナ禍のパークは規制が多く、ハロウィーンシーズンだったけれどゾンビもおらず。とても淋しい雰囲気だった。混雑しているときは、「空いていればよいのに」と思っていたけれど、空いているパークは「淋しい」と感じてしまうのだった。そんな中、モンスターデダンスというイベントが開催されていた。昨年流行した❝ラタタダンス❞のソーシャルディスタンスver.が行われていたのだ。私達は、モンスターのシールの貼ってある場所に立ち、モンスターを見ながら見様見真似で踊った。張り切って踊った。狂ったように踊った。踊り終わった時、Kちゃんは楽しそうに言った。「全力で踊る50歳、ええやろ?」と。

 その更に1ヶ月ほど前、Kちゃんから電話があった。将来の夢について、相談と言うよりも報告といった感じの内容だった。その話を聴いた時、私もずっと昔から抱いていた夢を再び追おうと決意した。それは、「学士を取得する」ことだった。Kちゃんのやりたい夢は、通信教育でも学習できるものだった。私も興味のある分野だったので、一緒に学習したいと思った。そこで、私は夢であった「学士を取得する」道も選択し、通信制大学に進学しつつ、同じ道を歩んでみようと思ったのだった。

 私の誕生日の2週間前、電話があった。「やりたいことがまだあんねん!」・・・生きることに貪欲でありたい。Kちゃんも私も、同じ考えだった。私はKちゃんの夢を全力で応援する約束をした。

 私の誕生日には、お祝いのメッセージをくれた。「誕生日、うちら近いねんな。」と、笑顔のスタンプも一緒に押されていた。

 次の日の朝、意識不明で発見された。そして、翌日に亡くなった。

 

 

 私は、私なりの弔いの儀式を行うことにしていた。葬儀に参列する前から決めていたこと。それは、一人でUSJへ行き、二人で乗ったパークのアトラクションを全て巡り、最後は全力で❝ラタタダンス❞を踊ることだった。けれど、収骨まで一緒にいさていただいたことにより、時間が無くなった。そこで、私は考えた。「ラタタダンスだけでも、全力で踊って来よう!」と。

 搭乗手続きまでの時間や移動時間などを逆算すると、1時間ほどしかパークにはいられなかった。けれど、それでも行こうと思った。そうしなければ、私の中で受け入れきれないと思たからだった。

 夕方のUSJへ向かう電車内は、とても空いていた。パークのゲート下では、検温担当のクルーが待機していた。「検温させていただきますね。」という声と、ピピッという音に次いで発せられた言葉は、「今からご入場ですか?」というものだった。そうか、今から行く人はほぼいないのか・・・と思いながら、私は笑顔で「はい。」と言って、エントランス方面へ進んだ。ユニモンの近くにあるステージ(メルズ前)へ向かって一目散に歩く。平日の夕方ではあったが、恐らくマリオショップOPENの影響で前回よりも混んでいた。けれど、何とかシールを見つけて場所を取ることができた。

 35分ほど待ち、ビートルジュース(司会のモンスター)が登場し、ステージがスタートした。モンスター達の歌とダンスが始まった。そうそう、これも一緒に見たな・・・。そして、クライマックス。Kちゃんと一緒に踊った「ソーシャルディスタンスver.のラタタダンス」が始まった。私の周りは、カップルや家族連れで前方の常連さん(撮影者)以外一人でいるのは私くらいだったと思う。けれど、私は全力で踊った。モンスター達のダンスを模範に、必死に踊った。涙で視界がぼやけたが、泣くまいと思いながら懸命に踊った。キレッキレに踊った。

 数十分のステージは、大盛り上がりで終了した。大阪の秋の夕方はちょっと冷える。けれど、一生懸命踊ったおかげで、心も体もほかほかしていた。そして、やり切ったという達成感を感じずにはいられなかった。Kちゃんの死を受け入れ、自分なりの弔いの儀式を行い、それをやり遂げた達成感で、私の心は満ち溢れていた。Kちゃんが、すぐ隣で「全力で踊る50歳、ええやろ?」と言って笑ってくれている気がしてならなかった。私の心は、穏やかだった。

 翌々日、娘のYちゃんからLINEが送られてきた。形見分けをしてくれる約束をしていたので、それを画像で送ってくれたのだった。Kちゃんと1ヶ月前にUSJで遊んだ時に身に付けていた天然石のブレスレットだった。それは、一緒に写真を撮った時、確かにKちゃんが身に付けていたもので、写真にも写っているものだった。そんな思い出深いものを譲り受けることができる私は、本当に幸せ者だと思う。

 「大阪に来る予定があればその時にお渡しします。もしも、予定が無ければ送らせて頂きます。」とのことだった。今のところ、大阪へ行く予定は立っていなかったが、私は「年末に行く予定なので、預かっていてください。」とお願いした。Kちゃんのいない大阪へは、なかなか足を運ばなくなるかもしれないが、ブレスレットを迎えに行くという予定があれば、少なくとも1回は行くことになる。それに、何よりも息子のSくんと娘のYちゃんの様子も見に行けるから。葬儀の時は不謹慎かなと思って言わなかったけれど、結婚式には私も呼んで欲しいくらいに思っているのも事実で。まぁ、それは余りにも傲慢な夢なのかもしれないが、顔を見に行くことは許して欲しい訳で。

 GO TO トラベルとやらで、一家揃って遊びに行くのもありだなと思っている。ちょっと迷惑かもしれないけれど、きっとDちゃんもKちゃんも傍らで、「ほんま、大所帯やな!」と言って笑ってくれると思うから。

 

 正直、まだちょっと悲しいし、淋しい。ふと気を緩めると、涙も溢れ出すけれど、それも許しつつ、しっかりと2人の死を見つめ、受け入れ、それを胸に前へ進んでいこうと思う。自分の死がいつ訪れるかは分からないけれど、少しでも後悔の種を残さないように、全力で、前向きに、精いっぱい自分らしく生き抜くことを、今夜の満月(ブルームーン)に誓うことにする。

 あ、そうか、今夜はハロウィーンだ。DちゃんとKちゃんが、会いに来てくれるかも?今夜も全力で、ラタタダンスを踊らなきゃな。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。