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トラウマと向き合うために

 高校時代、私は弓道部に所属し部長を務めた。弐段も取得し、関東大会にも出場した。予選で敗退してしまったものの、とても充実した試合だった。

 高校を卒業し、社会人になってから2年間ほどは弓道を続けたが、会社の先輩方との遊びが忙しく、徐々にフェードアウトしてしまった。

 そして、結婚、出産をし、長男が中学生になった時のこと。卓球部か弓道部かで迷う長男に、何の気なしに弓道を勧めた。長男はのめり込んだ。

弓道の再開

 新しく顧問をしてくださった先生が弓道未経験であることから、上級生が部活動を真面目に行わなくなった。部活動の時間、どうどうと宿題をしたり、射場の中で弓を引きながら歌っていたり・・・。部活動が崩壊していた。真面目な長男はそれが嫌でたまらなく、部活動を止めたいと言い出した。また、同級生だけでなく、その保護者の方々もこの件を問題視していた。そこで、私は立ち上がる決断をした。

 弓道経験者として、顧問をサポートしながら子ども達を指導する立場に立ったのだった。長男が嫌がるかと思っていたが、意外にもすんなり受け入れた。やっと弓を引く環境が整ったことが、余ほど嬉しかったのだと思う。私は指導にあたる上で、再び道連盟に所属し、一から弓道を学び直した。そして、弐段から参段に昇段し、より一層子ども達の指導に励んだ。

 保護者の方々からは、感謝のお言葉を頂戴した。しかし、実を言えば私は自分が誰よりも楽しんでいた。だから、本当に勿体ないお言葉の数々だった。「青春をもう一度体験している」そんな感覚だった。子ども達もとても可愛かった。思春期真っ盛りの子ども達と関わるのは、とても気を遣ったけれど、皆素直でとてもよく話を聴き、とてもよく指導を受け入れて行動してくれた。

役目を終えて

 私自身ももっともっと上達したいと思い、2人の師匠に付いて学んでいた。しかし、いつのころからか射形が乱れ始め、スランプに陥ってしまった。全く中らず、射形も乱れに乱れ、本当に無様な姿だった。子ども達にカッコいい姿を見せてきただけに、実に惨めだった。

 そんな頃、弓道経験者の先生が顧問を引き受けてくださることになり、私は身を引くことにした。指導者は、2人も要らない。しっかりとした指導者が1人いれば、部はまとまるからだ。代が変わっていたこともあり、実によくまとまった部になっていた。本当に安堵したし、達成した喜びがあった。

 けれど、自分の射における課題だけが残り、私を苦しめていた。そんなある日、弓道仲間のお師匠さんに射形を直された。手の内から、何から何まで直された。本当は嫌だったが、嫌というと角が立つという思いがあり、受け入れざるを得なかった。また、抱えているジレンマから逃れたいという思いもあった。

ジレンマと闘った結果

 指導を受けて3日目、私の射形は崩壊した。手の内が悪い時(ほかにも原因があるだろうが)に起こることが多いとされる、弓の反り返り(正式名称が分からないが、離れた瞬間に弓が裏返ってしまう現象)が起き始めた。二手に1本は必ず裏返った。私はそれを直すために、指導されるがままに受け入れ、修正を加えていった。

 5日目、矢が安土に届かなくなった。矢道に刺さることもしばしば。左手首付近は、弦が当たりすぎて擦り切れ、血が滲んだ。涙が出た。痛みで涙を流したわけではない。より一層悪くなる射形と自分でも原因が分からない辛さ、終わりが分からない苦しさ、もどかしさ、やるせなさ・・・上げたらきりがない感情に襲われ、私は涙したのだった。2人の師匠以外の人に、教わらなければ良かった・・・後悔しかなかった。

弓道からの離脱

 その頃、ちょうど引っ越し&コロナがあり、必然的に弓が引けない環境になった。私は、どこかほっとしていたと思う。苦しみから解放され、悩む必要がなくなったからだ。もう、弓道は辞めよう・・・そう思った。

 長男は高校生になった。コロナで休校していたが、学校が再開すると再び弓道部に入部した。部活動の様子は、中学時代の悪い環境に似ているらしく、イライラが止まらない様子だった。毎日のように不満を漏らしていた。

 「お母さんに、また指導に来てもらいたいよ。」という言葉が、私の胸に鋭く突き刺さった。

トラウマ

 弓を引く者が皆抱く苦しみから逃げた私には、もう弓を引く権利が無いと思っている。長男の希望には応えられないし、応えるつもりもない。

 長男が試合に行くために送迎するが、車内で1人になる度に、嫌な思い出が蘇ってくる。射形が崩壊したまま出場した大会で、何度も弓が裏返る。長男の同級生やその保護者の方々が、「どうしたんだろう?」とどよめく。その空気の中、礼儀作法も忘れ、ただただ立ち尽くすしかない自分。その記憶が、何度もフラッシュバックするのだ。

 そして、最後は1人きりの車内で「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」と叫ぶ。心のモヤモヤを晴らしたい一心で叫ぶ。けれど、その感情は晴れることもなく、ずっと胸の中をぐるぐる回る。後悔しないように生きている。けれど、死ぬ時に唯一心の頃になるのが、弓道のことだろうな・・・などと考えて、もやもやから目を(気を)逸らすのだった。

トラウマを克服するために

 自分でも分かっていた。逃げてはダメだということ。一旦距離を置いて、落ち着いたら、再トライする・・・そして、記憶を上書きしていく・・・。そういう工程が、自分には必要だと分かっていた。が、勇気が出ずにいた。

 今日、私は初めて、夫に話した。自分がなぜ弓道を再開しないのかという話を・・・。夫は、一言だけ言った。

 「また、やってみたら良いじゃん。」

 分かっている。自分でも、分かっている。ただ、その一歩が踏み出せないのだ。あの、弦が自分の左手を打つ、あの痛みと恐怖が蘇ってきて、怖いのだ。分かっているのに、足が前に進まないのだ。

 師匠の1人と連絡を取ってみた。事情も説明して、回答を待った。

 「また、お会いできるのを楽しみにしていますね。」

 お叱りでも励ましでもなく、ただ一言頂いた言葉だった。無性にお会いしたくなった。一緒に弓を引きたくなった。試合で戦いたくなった。そのためには、弓を引かなくてはならない・・・。

だから私は・・・

 すぐには無理かもしれない。けれど、再び弓を引こうと思う。新天地で、知り合いもいない弓道場へ足を運ぶのには勇気が要る。こういう時は、誰かと一緒に行くのが良いだろう。そうだ、長男に付き添ってもらおう。長男の試合がひと段落したら、一緒に弓を引きに行ってもらおう。

 また、楽しい日々が戻ってくることを信じて。トラウマを良い思い出に塗り替えるために。

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