見出し画像

先日のnoteの補足・・・「友達の定義」と「女性の集団が苦手」の真相。

 先日、大切な友達が亡くなった話を書いた。そこに、「心を許せる友達は3人しかいない」という話を書いたのだが、思わぬ反響を呼んでいるので改めて書きたいと思う。

 そもそも、「友達」って何だろうか?Googleで検索してみると、次のような文章に巡り合った。

 勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として関わっている人。友人。

 おや?私の定義と大分違っているなぁ・・・というのが、印象だ。ちなみに、私の中にある定義と言うのは次の通り。

 自分の抱える悩み等を、素直に相談できる相手。また、価値観や世界観が同じ(似ている)と感じられる相手。信じ合い、成長し合い、高め合える相手。同士・戦友と似ている感覚。

 Googleの検索結果をもとに考えると、私は友達だらけだ。転勤する地において様々な取り組み(ボランティアや有志の活動等)に参加してきた私にとって、それに関わった方々は皆志が同じということになる。つまりは「友達」という定義に当てはまる。改めて調べてみると、私はありがたいことに友達だらけの人生だ。感謝しかない。ありがとう、友達。

 説明しておくと、以前、私もこのような感覚で生きていた。けれど、10年くらい前になるだろうか。子ども同士も仲が良く、行き会った時はよく話をしていたし、軽く仕事の相談もされたことがあった方を、私は友達と思っていた。しかし、その方に言われた言葉で、かなりトラウマというか、ショックを受けたことがあった。

 「友達じゃないのに、こんなに良くしてもらって申し訳ないです。」

 子ども達の運動会の時、その方の娘さんの写真を撮ってみたら凄く美しい表情で撮れたことがあった。手紙を添えて写真をプレゼントした時に言われた言葉がこれだった。衝撃的だった。

 私は、私に関わってくださる方全てに心を開いて関わっていた。けれど、その方は私に心を開いていてくれたわけではなく、友達とも思ってくれていなかったようだ。これがきっかけで、私の人との関わり方が変わった。人は、そうそう簡単には友達にはなれないのだと知ったからだった。30歳くらいの頃のことだった。

 それでも尚、私はオープンマインドは変えずに生きてきたが、あまり人に深入りすることはしなくなった。もちろん、一緒に遊んだり相談されたりすることはあるが、自分の抱いている本当の気持ちを打ち明けても良い相手かどうか、実に慎重に相手を選ぶようになった。

 もしかしたら、友達と呼べる人は3人だけではなく、もっとたくさんいるかもしれない。私が見抜けないだけで、実は私を理解してくれるような人物が他にもいるのかもしれない。けれど、私が認識できているのが3人なのである。だから、先日のnoteに「3人」と書いたのだ。

 「3人」と書かなくてもよかったのかもしれない。「友達のうちの1人」とだけ書けばよかったのかもしれない。けれど、その表現は「大勢の中の1人」になってしまいそうで、嫌だった。私の定義に合った友達の中の1人であることを、亡き友達に知らせたかった。だから、あえて書いた。

 しかしながら、ふと思ったこともある。「友達ではなく、【親友】という表現の方が良いのか?」と。けれど、この表現には苦い思い出があるのでできるだけ使いたくないのが正直なところだ。中学生時代の部活仲間Aさんは、しきりに私に対して「私達、親友だよね?」と言っていた。私は言われ続けることで「そうなのかな?そうなのかも。」と考えるようになり、自分を犠牲にしてまで献身的に尽くしたり守ったりした。けれど、最終的には裏切られた(と私は感じた)。その時から、「親友という言葉ほど胡散臭いものは無い。」と思って生きてきたのである。

 ちなみに、「親友」について調べてみた。広辞苑では、次の通り。

 信頼できる親しい友。仲の良い友人。

 なるほど、私の言う「友達」は「親友」なのだということが分かった。つまり、私には「親友が3人いる。」ということになる。あまり使いたくない言葉だが、定義としてはこちらが合っているから仕方がない。

 けれど、調べていくうちに素敵な文章と出会ったので紹介しておきたい。

 親友とは、とても仲がいい友人を差す。同音をもじった派生語に、心から理解し合える友人のことを「心友」、信じあえる友人のことを「信友」、真摯に向き合っている真実の友人を「真友」という。

  なんて素敵な言葉達なのだろうか。「しんゆう」という響きが、この上なく清い言葉に聞こえてくるではないか。でも、困った。私のいう「友達」は全て「心友」であり、「信友」であり、「真友」であるからだ。3人を「しんゆう」という響きで分類するには、種類がありすぎた。

 やっぱり、「友達」という言葉に落ち着きたくなる。だから、「友達」と「特別な友達」にしようと思う。

 そうそう、もう一つ書いておかなければならないことがあった。先日書いたnoteの「女性の集団が苦手」という記述について。私は女子高出身で、女子の卑劣さや陰湿さ等を目の当たりにしてきた。人間不信にも陥ったし、人類が滅べばよいのにとさえ思った。その経験から、苦手意識が消えないのである。かといって、全ての女性がそうではないことも分っている。だから、「女性が嫌い」なのではなく、「女性の集団が苦手」という表現をしている。そこのところ、ご理解いただければ幸いだ。

 今回は、まるで特定の人へ向けたような内容になってしまっているが、先日のnoteを読んだ「友達」に変に誤解されていることがあっては困ると思って書いた。誤解が解けていたら嬉しい。

 私は、私に関わってくださった方々に感謝をしているし、それぞれにリスペクトもしている。私は大好きな人としか関わらない。だから、皆が大好きなことは分かってほしい・・・ただ、昔のトラウマから、正直な気持ちを語るまで時間がかかるという話である。なんだか、書けば書くほどドツボにはまりそうなので、そろそろ終わろうと思う。

 とりあえず、最後に伝えたい言葉は・・・

私に関わって下さった皆様、本当にありがとう!

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。