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私の致命的な・・・

 幼少期から、私は好奇心旺盛なタイプでした。右を向いても左を向いても、やってみたいことだらけで毎日がキラキラ輝いていました。
 でも、引っ込み思案で臆病だったり、親が厳しくて許可が貰えなかったり。結局、ほとんどのことをやらずに大人になってしまいました。

32歳くらいの時、大病を患いました。
それを機に、「やりたいことは全てやる」と決意して、気になるもの(仕事も趣味も)はとことんチャレンジしてきました。

ある時、職場の上司から、
「あなたは、1つのことを長く続けられる力をつけた方がいい」
と言われました。
その時、
「やりたいことがいっぱいあるのに、なぜ1つに絞らなければならないのだろうか?」と率直に思いました。

それから、数日間考えました。そして、更なる疑問が浮かびました。

「やりたいことに挑戦もしないで、1ミリの後悔もなく死ねるのか?」

答えは、もちろんNOでした。

ご指摘のお陰で、私はますます「やりたいことは全てやる」という信念を貫く気持ちが強くなりました。

そして、最近気付いたのですが、私の「やりたいこと」のベースには、いつだって「困っている人」の存在があり、「その人」の力になりたくてチャレンジしているのです。
自分の取り分などに本当に関心がなくて、仕事をするにしても、そこで自分に何ができるか、更なる学びはあるのか(何を得られるか)が大切であって、給与は二の次なのです。

もちろん、これは仕事を給与で選ぶ人をバッシングしているわけではありません。
人には、生きていく上で優先しなければならないことがあることも理解しています。
私には、しっかり稼いでくれるパートナーがいる。
だから、時給を気にしなくても良い環境があるのです。そこも理解し、感謝しています。

話を戻します。
今回、私は私の中の「困っている人」のために大学で学修を始めました。
これは、私に大きな力を与えてくれています。
そして、1日も早くその職に就きたいと思っています。

すると、私の中で不協和音が鳴り始めたのです。
「やりたいこと(夢)と違う仕事をしている」ことは、許されることなのだろうか?と。

今の職場に不満はありません。
むしろ、短時間勤務を許して下さり、毎日仕事を与えて下さり、契約も更新して下さったことに、感謝しかないのです。

だからこそ、『心ここにあらず』な私が、今の職場に居ても良いのだろうかと悩み始めるのです。

私の持っているスキルを提供し、その見返りにお給料を頂戴する。
たったこれだけのこと。
何の問題もないはず。

なのに、私の心には不協和音が鳴り響くのです。

これは、きっと私が生まれつき持ち合わせている【致命的な欠陥】なのだと思います。
『いい大人』なら、今ある幸せに感謝して、大学卒業まで今の職場に勤務することでしょう。

私も、こんなことを書きながら、数日後には心境が変化し、現状維持をするかもしれません。
が、今の私は、とにかく模索し始めてしまったのです。
資格取得前に、どうにか見習いとしてでもその道で働けないか?と。

そして、見つけてしまいました。経験が無くても、資格が無くてもお手伝いさせていただけるという職場を・・・。勤務場所は少々遠いのですが、やりたいことに近づけるのであれば、そんなことはどうでも良くて。

ただ、このまま応募してしまって良いのだろうか?と、モヤモヤし始めたのです。今日も今の職場で働いてきましたが、とても楽しく仕事ができました。だから、とても苦しいのです。

自分でも、言っていることが支離滅裂なことは分かっています。が、感情の整理がつかないのです。私は一体何をどうしたいのでしょう?とてもモヤモヤしています。

とりあえず、夢に近い職場へ伺い、お話だけでも聞いてきたいと思っています。悩むのはその後からでも良いかな?と。

一度きりの人生ですもの。やりたいことにはどんどんチャレンジしたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。