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母の教えは……外で泣くな!家で泣け!

 私には、4歳離れた兄がいる。とても賢くて、礼儀正しくて、勉強もできて、けれど運動音痴という一面を持つ兄が。

女子と遊びたかった小2時代

 いつも兄の跡を追いかけて遊んでいたため、いつしか私の周りは男子ばかりになっていた。

 女子の友達といえば、同じ官舎に住む幼稚園児くらいだった。そんなこともあり、私は末っ子ながら姉のような振る舞いを覚えたのだった。

 私はよくその子達の家に招かれた。面倒見が良かったため、親達からの信頼もあつく、子守を任されたり留守番を任されたりした。

 私はその事実も嬉しかったが、もっと嬉しいことがあった。それは、その子達の家に行くと、お人形やおままごとなどの玩具で遊ぶことができたことだ。私はそういった類のおもちゃをあまり持っていなかった。兄のプラモデルなどで遊ぶタイプの女の子だったため、その子達が持っている玩具が物珍しくて楽しかったのだった。

「生意気なんだよ!」「目障りなんだよ!」

 そんな私を快く思わない人々もいた。兄のクラスメイトの女子達だった。同じ官舎に住む彼女達は、勉強で敵わない憂さ晴らしに、運動音痴だと言って兄をからかっていた。

 そんな兄の妹である私も、またターゲットになるのだった。おそらく、官舎の中で評判が良かった私が鼻についたのだろう。無関心を決め込んでいた6年生女子の集団が私の前に現れたのだ。

 私は、幼稚園児たちと滑り台で遊んでいた。するとそこへ集団がやってきた。10人弱はいだだろうか。私を滑り台から引きずり下ろし、私の周りをぐるりと囲んだ。

 上から見下ろしながら、彼女達は私に向かってありとあらゆる表現で悪口を言い放った。

「生意気なんだよ!」「目障りなんだよ!」「調子に乗るなよ!」

 私は何が何やら分からず、涙をこらえて自宅に走った。その場で泣かなかったのには理由がある。母親の教えお守るためだった。

「外で泣くな!家で泣け!」

 私は自宅に戻ると、ボロボロと泣き出した。そこへ兄がやってきて、理由を尋ねた。私は、今あった出来事を全て話した。

「待ってろ!俺が敵を討ってやる!」

 そう言って、兄は家を飛び出して行った。しばらくして帰って来た兄は、笑いながら言った。

「俺がやっつけてきたから、もう安心しろ!」

 その時の私は、その言葉を信じた。(今となっては、兄の気遣いだったと感じている。)

今でも悔し涙を見せられない私

 母の教えは、紛れもなく【昭和の教え】だ。外で泣いてばかりいると、ナメられてますますいじめられる。だから、泣かずに立ち向かえ。泣くなら家で泣け。そういう教えだった。

 その教えが身にしみこんでいる私。嬉しかったり悲しかったりした時には人前でも泣けるのに、悔し涙だけは人に見せられない人間に成長した。

 よく、人からは「プライドが高いからじゃない?」と言われる。

 プライド?プライドって何だ?

 人に弱みを見せられない性分であることは確かである。それを指して、「プライドが高い」というのであれば・・・私はプライドが高いのかもしれない。

 私は悔しい思いをした時、決して人の前では泣かずに生きてきた。泣き虫だった私が、母の教えを守ってここまでやってきたことに誇りを持っているのも事実である。

 けれど、もう疲れ始めているのも確かだ。弱さとは、人間味なのではないかと思っている。弱みを見せない私は、皆の目にどう映っているのだろうか。そろそろ、自分の意志で泣くことを決めても良いのではないか?

 母のことは好きだ。嫌いなところもあるが、好きだ。けれど、そろそろ解放されても良い気がしている。笑いたい時に笑って、泣きたい時に泣く。感受性の強い本来の私を、皆に見せることができた時に成長できる気がする。

 家族しか知らない涙を、外でもいっぱい流してみよう。この先、悔しい思いをどれだけするかは分からないけれど……。

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