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エッセイ・コラム

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2023年5月の記事一覧

おじさんはちゃんと見ているよ

おじさんはちゃんと見ているよ

覗きをはたらく変態みたいなタイトルになってしまったのだが、ところで(?)おじさんというともはや何しても許される風潮が現代社会に蔓延している。
奥さんからは「ATM」とこき下ろされ、娘からは「臭い」と煙たがられ、部下からは「現場のことがわかってない」と愚痴を吐かれ、上司からは「何をやっているんだ」などと責任を押し付けられる。
それでもおじさんはおじさんとして生きる宿命にあり、時に同僚との飲み会で憂さ

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ChatGPT隆盛でも「筋肉は裏切らない」

ChatGPT隆盛でも「筋肉は裏切らない」

かつてNHKの「みんなで筋肉体操」という番組の中で、インストラクターの先生が「筋肉は裏切らない」という名言を残した。

知的労働者が跋扈するいま、多くの人は座ってばかりいる。そんな現代社会では肉体の衰えが活躍に先立ち、そして人からも時に裏切られ自身の肉体は思うように動かなくなっていき、一種の絶望の中に生きることを余儀なくされる。
そこに光を当てるのが筋肉なのだという「メシア」としての筋肉の意義を指

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しんどい営業マン

しんどい営業マン

世の中にある仕事の多くは「営業」である。
それだけに営業をめぐる名言や志を語る人はたくさんいるわけだが、結局のところ営業は数字を作る仕事である。

ビジネスの基本は人が欲しいものを作り、それを人に売るということにある。ビジネスはお金が必要なので営業は必要であり重要な仕事である。

とはいえ、営業として人に売るもののすべてが顧客から求められているわけではない。私自身、銀行にいたころになかなか嫌な営業

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「ガチャ」のあふれる現代社会へ

「ガチャ」のあふれる現代社会へ

スマホゲームでは「ガチャ」というシステムが導入されていることがある。
ゲームショップの前にあるガシャポンよろしく、金を入れてカプセル(というかアイテム)が出てくる仕組みらしい。
何が出るかわからない運ゲーではあるため、パチンコのような射幸心をあおりつつゲームへの課金を促す仕組みになっている。

いま、人生のいろんな出来事をガチャにたとえることがある。
「親ガチャ」とか「上司ガチャ」とかそういう類で

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「お前の人生をドラマにして誰が見る?」

「お前の人生をドラマにして誰が見る?」

以前、だれから言われたのかは忘れてしまったのだが、「世の中に人をテーマにしたドラマなんかがあって結構面白いのが多いけれど、お前の人生をドラマにしたら誰が見るんだろうな」みたいな話をされたことがあった。

相手方の物言いは失礼なのだがまったく持ってその通りである。
私の人生をドラマにしても、大して面白くはない。

世の中も決して安泰で過ごしやすい…というわけでもないなかで、とかく目の前の一瞬を生きる

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「妙だな」と思える感性を求めて

「妙だな」と思える感性を求めて

かの有名な金子みすゞは「みんなちがって、みんないい」という言葉を残した。
各々が個性を持てて、違いを尊重して、という考え方は非常に美しい。個人的にも好きな言葉のひとつだ。
本来、人なんて自分が考えたいことを考えたらいいし、やりたいことをやったらいいはずだ。人間は自由である。

しかし「みんなちがって、みんないい」という言葉をそのままの意味でとらえると、自由は途端に放縦になる。「何やってもいいんだろ

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己に不足している「神は細部に宿る」のこころ

己に不足している「神は細部に宿る」のこころ

仕事においては、スピードと質の両方を高めることが重要だ。

かつて勤めていた銀行は「ミスをしたらいけない」という仕事であるので、仕事(特に紙の事務作業)の質は100%であることが最低条件である。
スピードはもちろんだが、それ以上にミスをしないことのほうが重要だった。

記者となると日々時間に追われ続ける仕事の特性もあり、ミスをしないのはもちろんだがスピードのほうが重要になる。ミスをしそうであれば、

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人はみんな神様になりたくて

ネット世論なんて言葉がでてきてしばらくになる。
インターネット上で意見表明をすることが非常に簡単になったことで、ひとりひとりが考えていること・思っていることを言葉にしたり、表現したりする機会が増えた。

ヤフーではニュースのコメントや、アンケートの機能なんかがついていて結構面白い。
アンケートではだいぶ前の話だが、緊急事態宣言を延長した方がいい、という意見が多くありながらも、緊急事態宣言には効果が

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言葉という「記号」の組み合わせで人は美しさに酔える

言葉という「記号」の組み合わせで人は美しさに酔える

高校生のころ、現代文の先生が突如、ソシュールという言語学者の話を始めたことがあった。

その際に「言葉とは記号である」という話をしてくれたのを今でも覚えている。
簡単に言うと、日本語でいう「リンゴ」が「リンゴ」という3文字によって表現される必然性などどこにもなく、”apple”でも"alma"でも、なんなら「めきぁてっふぴぴょ」みたいな名前だっていいじゃん、という話である。

要はある事象に対して

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固まりゆく人生へ

固まりゆく人生へ

結婚をすることを「身を固める」なんて言い方をするけれど、私たちの人生は時とともに「固まっていくもの」なのだと思う。

小さなころ、人生は無限の可能性に満ちていた。
いわば拡大に向けた人生とも言っていい。何者にでもなれるし、どんな人生を歩むのかの選択肢は選びきれないほどに無限大だ。

年を重ねると少しずつ、選択の中でちょっとずつ可能性は絞られ、小さくなっていく。わかりやすいところでいえば文系と理系の

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私たちは演劇の中に生きている――たぶん、夢以外は。

私たちは演劇の中に生きている――たぶん、夢以外は。

夢を見ることを愚かだとする風潮が、何となくある気がする。大人も大人で若者に「お前たちは若いから現実が見えていない」などと言う。

若者は夢を見ているから現実を見ていないのは至極当然である。しかし現実が見えているからといって何なのだろう、とも思う。

人はなぜ夢を諦めるのだろうか。それは、そこに現実があるからである。

夢ばかりを追っていたらそこには現実的なものが喪われる。
結婚とか育児とか介護など

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