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おじさんはちゃんと見ているよ

覗きをはたらく変態みたいなタイトルになってしまったのだが、ところで(?)おじさんというともはや何しても許される風潮が現代社会に蔓延している。
奥さんからは「ATM」とこき下ろされ、娘からは「臭い」と煙たがられ、部下からは「現場のことがわかってない」と愚痴を吐かれ、上司からは「何をやっているんだ」などと責任を押し付けられる。
それでもおじさんはおじさんとして生きる宿命にあり、時に同僚との飲み会で憂さ晴らしをしながら地道にがんばり続けるその姿に、懐の深さとでも言おうか一言では言い表せない人間的な深みを感じるものである。

私が勤める会社にもおじさんがたくさんいて、今回はその中でも割と偉いおじさん社員の話である。彼は会社でも有数の面白おじさんの1人(もう1人似たような人もいる)で、例えば「××は額に傷があるが、人を3人殺したことがあるらしく、そのときの傷らしい」などと、およそ記者とは思えないほど真偽不明の話を連発するため、酒の勢いもあって場が盛り上がる。

かたや仕事では真面目で実力も確かなのだが、かなり細かいところもあるので一部の若手社員から「話が長い」とか「面倒くさい」という話を聞いたのも一度や二度ではない。

そのおじさん社員が、酒の勢いかわからないが突如各社員の傾向みたいなものを話し始めたのである。「△△は基本褒めた方がいい、原稿は大したことを書いていないが自由にやらせたほうが光る」とか「⚫︎⚫︎は割と根性あるから詰めた方がいいよ、叩けば伸びるタイプだ」とか「⭐︎⭐︎は力あるけど仕事を流してるんだよな」とか、あれやこれやと言い始めたのである。

意外な一面だなと思いつつ、私はふと、力のあるおじさんは良くも悪くも結構人を見ているのだと感じた。
会社の人に限らずできるおじさんは目下の人の教育に対してアンテナがあるような気がするのだ。

とかくなめられがちなおじさんではあるが、真っ当なおじさんは表向き言葉にしなくても「わかっている」ことって結構たくさんあるのだろうと思う。
きっと我々若者があーだこーだ愚痴を吐いていることもよくわかっているのだろう。

おじさんとして、愚痴を吐かれたり批判をされたりすることを恐れてはならない。それを恐れるのは保身のおじさんである。むしろ、愚痴を言って働き続けてくれるなら、どんどん言ったらいいくらいに思うのがまともな感性なのだろう。

その代わり、人を見て人を見抜き適切に人を育てる力がなくてはならない。教えられた側が数十年して「そういえばあの人からこんなことを言われたな」と思い出され、そして同じように教育を施すことができれば御の字である。

会社のおじさんとして、人を育て上げるリーダーシップは養っておかねばならない。人と関わる中で教育を体で学ぶ価値はそこにある。

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