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「ガチャ」のあふれる現代社会へ

スマホゲームでは「ガチャ」というシステムが導入されていることがある。
ゲームショップの前にあるガシャポンよろしく、金を入れてカプセル(というかアイテム)が出てくる仕組みらしい。
何が出るかわからない運ゲーではあるため、パチンコのような射幸心をあおりつつゲームへの課金を促す仕組みになっている。

いま、人生のいろんな出来事をガチャにたとえることがある。
「親ガチャ」とか「上司ガチャ」とかそういう類である。往々にして力のない側が「どうにもできない現状」を嘆くようなニュアンスで「〇〇ガチャ」という言葉が使われることが多い。

ただよく考えてみると、これは力のある側からしても「どうにもならない現状」ではある。親から見れば「子供ガチャ」(まあ絶対に腹を痛めて子供を産んだ親の口からそんな言葉が出ることはないし、どんな子供でも親からすれば可愛いものだ)、上司から見れば「新卒ガチャ」である。

そもそも論だが、人生はガチャみたいなものである。人との出会いはすべてがガチャであり、より風流な言い方をすれば「縁」と呼ぶ。
物事との出会いはだいたいガチャであるから、重要なのはその運に出会う行動であると思う。

例えば「出会いがほしい」という人がよくいる。それなのにぼーっとしていたら何も起こらない。人に会いたいのなら人がいるコミュニティにいかないと当然ながら人と出会えない。行動しないとガチャでいいアイテム(この場合は人)に出会えないのである。

ことわざで「待てば海路の日和あり」という言葉があるが、あれはあくまで自然の世界の話である。海は大きすぎて人間ごときの力でどうにかなるものでもないから待っていればそのうち――とせざるを得ないだけであり、我々の人生とは少し風合いが違う。
当たり前だが、世界は自分が中心に回っているわけではない。待っていればそのうちめぐってくる、なんてことは滅多にない。地道でも小さくても、行動することが大事だ。

「夢を叶えたいならいろんな人に発信したほうがいいぞ」と言われたことがある。それはその通りで、自分が行動して発信していくと良い運に出会うことがある。それで思いがけないチャンスに出会えるのだ。
人生はガチャでもあるが、ゲームのそれのようにあらがえないものではない。人生というガチャのルールを作るのは行動を続ける私たち自身である。

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