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エッセイ・コラム

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自分との対話って大事よね

自分との対話って大事よね

「内省」ということばがある。自分自身の考え方や思い、哲学と向き合うことを指している。もっといえば、自己対話という言い方をしてもいいかもしれない。

内省ができるのは、ある程度の時間がある時である。時間があって特に何もやることがない時に「そういえば自分って…」などとふと考えるものだ。
子育てなんかをしていると一生懸命子どもの世話をするので、その間に「自分の人生って…」などと考えることはまずない。子供

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オレンジジュース「なっちゃん」の思い出

オレンジジュース「なっちゃん」の思い出

サントリーの飲料で「なっちゃん」というオレンジジュースがある。この「なっちゃん」をめぐって、私にはちょっとした思い出がある。

3歳くらいのころから私には顎に腫瘍があり、腫瘍が膨らんでくると切除する手術を受けるため都心の病院に入院することがあった。
当時の私は何が起きているのかもよく分からず、ちゃんとした服を着てどこに行くのだろうと思いながら、実家から一時間半くらいかけて、いつの間にか小児科の病棟

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弱さのマウント

弱さのマウント

大学には様々な地域から人がやってくる。初対面となると話をするのは大概地元の話なんかが多い。
大学1年生だった頃「地元が田舎である」と言っていた九州のほうからきた人がいた。
その根拠として「コンビニにいくために車で30分くらいかかる」と頑強に主張されたのだが、個人的には「知らんがな」状態でその人の話を聞いていたものである。

人はマウントを取り合う生き物である。
多くの場合はひとを蔑んだり馬鹿にした

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無駄な時間だったって言うけどそれも込みで自分だからしゃあない

無駄な時間だったって言うけどそれも込みで自分だからしゃあない

誰しも無駄なことをしたいとは思わない。
でも人生を振り返ると、不思議と無駄なことばかりしているものだ。
毎日を振り返ってみても「なんでこんなことしてたんだろう」とか「変な暇つぶしをしてしまったな」とか、いろんな後悔があるものだ。

仮に、理想の境地に一切寄り道せずに至ることができていたら、と考えてみる。
それは非常に無駄がなくて、いろんなことに使う時間ができそうな人生ではある。でも、どこか味気なく

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人生は短い(多分)

人生は短い(多分)

「人生の主役は自分自身である」ということばがある。考え方はいろいろあろうが、人生の捉え方は往々にして自分中心のものになりやすく、利己的で視野狭窄に陥りやすい。
私自身はその傾向が顕著で、20代は「自分が人生をどう作るのか」という視点しか持ち合わせていなかったし、他人との関係性のなかで自分を捉える努力を怠ってきた。結婚願望もなく、子供がほしいと思ったこともなかったというのは、その証左といえるかもしれ

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白米のような毎日を

白米のような毎日を

この間銀座に行った時、「名探偵コナン」のオープニングなどで知られる倉木麻衣さんのデビュー25周年を記念した展示会がやっていた。

デビュー25周年ということは、当たり前だが歌を歌い続けて25年ということでもある。「歌う」という、同じことを繰り返してきたのだ。クリエイティブな世界に長らく身を置き活躍を続けるのはそれだけですごいことである。

翻って私たちの人生を考えてみると、同じことをただ機械のよう

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一人一人が決断して世の中変わるって話

一人一人が決断して世の中変わるって話

人生は決断の連続であるという意見がある。まったくもってその通りだ。
決断とは「決めて断つ」と書く。要は、何かをすると決めて、他の可能性をその瞬間に捨象する行為が決断なわけだ。

たとえば、今日何を食べるかも決断である。カレーを食べると決めれば、おそらく大概の人はラーメンやかつ丼を食べることをその瞬間は諦めることになる。ほかにも「いまから『いちご100%』を読もう」と決めれば、その瞬間は「めぞん一刻

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「エアコンが効いているところでだらだらしていればお金がもらえる仕事」で満足できるのか

「エアコンが効いているところでだらだらしていればお金がもらえる仕事」で満足できるのか

中学生のころにあるおじさんが、学校でキャリア教育に関する講演をしてくれたことがあった。
そのおじさんは「キシさん」という人で、もったりとした不思議な話し方をするおじさんだった。
講演後にはその人の物まねが一瞬流行するくらい妙な話し方ではあったのだが、肝心かなめのキシさんが一体何者であったのかはよくわかっていない。

そのキシさんが言っていたことは断片的にいくつか覚えている。「生涯賃金が全然違うから

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若いころと年を重ねた時とで夢の重みは違う

若いころと年を重ねた時とで夢の重みは違う

以前も取り上げた、お世話になっていた先生の話である。
先生に感謝の手紙をお送りしたとき、私は誤って便箋を2枚重ねずに送ってしまったことがあった。目上の人に対する手紙では失礼な行為のひとつだが、その際に先生からの手紙でお叱りを受けたことがあった。
そのとき、「君は記者であるから言っておくが、社会常識を知ってあえて踏み越えるのと、知らずに踏み越えるのとでは大きな違いがある。記者という仕事は社会常識を知

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小説みたいな現実って本当にある

小説みたいな現実って本当にある

「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、人生を振り返るとごくまれに「事実が小説より奇」だったことがある。

いまでも「こんなことあるのか」と思ったのは、2006年の夏の甲子園の決勝戦である。
端正な顔立ちで「ハンカチ王子」として一躍有名になった斎藤佑樹擁する早稲田実業と、夏の甲子園三連覇のかかる田中将大擁する駒大苫小牧の試合だ。
もとよりメディアの報道が過熱して盛り上がっていたのだが、決勝戦は

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志ある方が「行政手続き」に苦労しているのは社会にとって損失が大きすぎる

志ある方が「行政手続き」に苦労しているのは社会にとって損失が大きすぎる

手術の練習に使うための子供の心臓の模型を作る会社の社長さんからお話を伺う機会があった。もともとものづくりを手掛けていた会社だったが、ひょんなことから心臓の模型を作ることになったという。

日本で様々な規制が多いことはよく知られているが、医療の分野ではとりわけ規制が多い。
医療者が手術の練習をするためのものであるため、国に「販売してもよいか」という薬事承認を得なくてはならない。
この薬事承認を得ると

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取材を受けてもらえるのは会社の看板のおかげである

取材を受けてもらえるのは会社の看板のおかげである

ふと思ったのだが、大手メディアの記者は、基本的に断られる経験をあまりしていない。
取材を申し込めば「ぜひ」と相手も乗り気であることも多い。いうまでもないが、それは当然取材先もパブリシティという形で利用できると考えるからである。都合が悪いものではない限り、基本的にウェルカムな状態で受け入れてくれる。そうでなくともとりあえず相手にしてもらえることは多い。

断られたり無下にされる経験を知らないと、人は

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鈴鹿サーキットに行ってF1生観戦をしてみた〜後編〜

鈴鹿サーキットに行ってF1生観戦をしてみた〜後編〜

鈴鹿サーキットは三重県の「稲生」という駅の近くにある。降り立ってみると結構な田舎だ。
駅から20分ほど歩くと鈴鹿サーキットが突如あらわれる。レースを控えてか露店やショップが並んでおり、余裕で2時間くらいの暇つぶしができる。
円安の時代だからなのかモータースポーツだからなのか、外国人がやけに多い。日本人があまり目につかないくらいであった。余談だが、トイレが異常に混むので名古屋などでトイレを済ませてお

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鈴鹿サーキットに行ってF1生観戦をしてみた〜前編〜

鈴鹿サーキットに行ってF1生観戦をしてみた〜前編〜

私にはいくつかの夢がある。
大小様々あるのだが、そのなかに「生でF1を見る」というものがあった。

私は運転は下手なのだが自動車がまあまあ好きで、「グランツーリスモ(GT)」というプレイステーションのゲームにハマったのが契機である。
他の自動車ゲームでは架空の車で架空のコースを走るものがほとんどだが、そうしたなかでGTは実在する車で実在するコースを走ることができることが幼心に実に感動的で、どっぷり

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