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無駄な時間だったって言うけどそれも込みで自分だからしゃあない

誰しも無駄なことをしたいとは思わない。
でも人生を振り返ると、不思議と無駄なことばかりしているものだ。
毎日を振り返ってみても「なんでこんなことしてたんだろう」とか「変な暇つぶしをしてしまったな」とか、いろんな後悔があるものだ。

仮に、理想の境地に一切寄り道せずに至ることができていたら、と考えてみる。
それは非常に無駄がなくて、いろんなことに使う時間ができそうな人生ではある。でも、どこか味気なく感じることがある。

努力をして、まっしぐらに一つの目標に向かい続けられる人というのは本当に立派だ。今に不満を感じ、努力を続けて成長するのは良いことであるし、基本的にはそれを目指すべきなのだろうが、だからといって「無駄」な努力や「無駄」な時間をことさらに捨象して「いらないもの」としてしまうのは、途端に人生の奥行きのようなものがなくなってしまうように思ってしまう。

目標を達成できることもあれば達成できないこともあるが、結局「無駄」な時間があってもなお今に至っているのである。今に対してそれなりに満足できているのであれば、無駄な日々も含めてそれはそれで幸せなものだった、ともいえそうだ。

少なくとも自分にとってはそういう「無駄」が必要だったのであり、その意味では「無駄」な時間は無駄では無かったのであろう。「無駄」も含めていまを幸福と感じるために必要な過程が、かつて無駄だと思われた日々なのかもしれない。

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