人はみんな神様になりたくて

ネット世論なんて言葉がでてきてしばらくになる。
インターネット上で意見表明をすることが非常に簡単になったことで、ひとりひとりが考えていること・思っていることを言葉にしたり、表現したりする機会が増えた。

ヤフーではニュースのコメントや、アンケートの機能なんかがついていて結構面白い。
アンケートではだいぶ前の話だが、緊急事態宣言を延長した方がいい、という意見が多くありながらも、緊急事態宣言には効果がない、という意見が多いという結果もあった。私たちの非論理的な、矛盾した思考回路を象徴したものだと思う。

【参考リンク】
https://news.yahoo.co.jp/polls/domestic/42335/result
https://news.yahoo.co.jp/polls/domestic/42300/result

ツイッターにもユーザーがたくさんいる。毒にも薬にもならぬどうでもいいつぶやきがほとんどだが、思想や意見を表明している人も多い。

そしてこのnoteだって、そうした意見表明のひとつでもある。

ネット上では名前を出さずに意見を言える。それを利用して、好き勝手言う人もたくさんいる。極論・暴論をふりかざすひともいる。ツイッター上なんか特にひどいが、有名なひとのツイートに匿名でいろいろと批判をぶつけたりしているひとも目につく。

以前、『電通と博報堂は何をしているのか』 という本を読んだときに、こんな一文があった。

ネットは上質なサロンで展開される馴れ合いではなく、一言一言に対し揚げ足を取り、発言者が実名であれば、職場にまで電話突撃を仕掛け、そいつの社会的地位を毀損するまで追い込もうと暇人が努力と時間を費やす世界なのである(p.83)

要は、ネット上で活発に表現を続けている人は、それを生業にしているわけでもない限りはだいたい暇である。

批判することは別に悪いことではないが、匿名で時に乱暴なほど好き勝手いうというのは、単に安全地帯からものを言っているだけである。自分は批判されない立場から、偉そうに批判しているにすぎない。

なぜなのだろう。
思うに、それは批判されない立場にみな立っていたいからだ。要は、世界を超越した神様のような存在になりたいのである。
神様がもし間違っていれば消せばいいし、アカウントを消して逃げればいい。匿名だから足はつかない(調べればわかるけど)。

もっといえば、言葉に責任がなくなっているのだ。さんざん自分が批判を繰り広げてきた政治家なんかを前において、ネット上で批判を繰り広げている人に「じゃあ、前に出てきて意見を言ってください」というと、おそらく多くの人が座ったまま下を向いてしまうだろう。
自分の顔をさらし、自分が矢面に立って言葉を発するということはそれだけで緊張感のある行為だし、簡単にできることではない。

だからネットはそういうプレッシャーから逃げられる空間でもある。現実から離れた、天界にいる神様と同じだ。
ネットを天界よろしく現実から隔絶した世界のように思い込んで、一定の偏った思想を持つに至った「カミサマ」が、ふとした瞬間に現実に姿を現したとき、身の毛がよだつような気になるのは私だけだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?