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#カイロ
もうひとつのアレクサンドリア・国際都市ポートサイード〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーⅶ〜LOLOのチェコ編⑮
ヘッダー画像は1938年の映画「スエズ」より。宝塚っぽいですが、宝塚ではありません。
時は1860年代。紙芝居のようなテロップが画面に流れます。
「オスマン帝国のプロヴァンス(州)・エジプト」
往年の大スター、タイロン・パワーがフランス人外交官のフェルディナン・ド・レセップス役です。ばりばりの米語を話し、ものの見事にフランス語は口にしないフランス人外交官です。
ナポレオン三世もウジェ
1905年のカイロ〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅵ〜LOLOのチェコ編⑭
昨年の2023年のラマダンの時です。
カイロのアブディーン宮殿では初の「ロイヤル・ダイニング」イベントが開催されました。
宮殿の壮大なダイニングホールで生演奏のオーケストラとともに豪華なイフタールとスフール(ラマダン中の食事)が提供、イベント参加者は断食明けには宮殿見学ツアーにも案内されました。初めての試みです。
何度も恐縮ですが、1952年のエジプト革命でこの宮殿は大統領官邸にな
見よ!これぞ万博パビリオン。オーストリア人とハンガリー人建築家が生んだ「伝説のカイロストリート」(シカゴ万博(1892))〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅴ〜LOLOのチェコ編⑬
〜最初に
今回の記事後半の「1893年シカゴ万博」における、オーストリア・ハンガリー帝国の建築家の二名、マックス(ミクサ)・ヘルツとエドゥアルト・マタセクの手掛けた「エジプト・カイロストリート」にかなり力を入れて書きました。
よってどうか後半のその部分だけでも、読んで欲しいなあと思います。
エジプト君主もスポンサーも現場には一切口を挟まず、二人の建築家を信じすべて任せました。これこそ、
世界初のエジプトパッケージツアー物語〜シェファードホテル物語編〜・トーマス・クック シリーズ⑤
なかなか行けないエジプトですが、ISOISOさんが最近、なんとエジプトの旅をして来られました。
ご出発前でのコメントでのやり取りの時、
「(時期が時期なので)ああ学生バックパッカーに違いない」
と思い(内定が決まり卒業旅行に行く大学四年生の旅シーズンなので)、なんだかえらそうにあれこれアドバイスしちゃったら
投稿記事を拝見し、AF✈のゴージャスシートの旅から始まるという
ブルジョアご夫婦で、
エジプトのホテル王だったスイス人実業家
エジプト観光に行くと、数千年前の神殿と墓の説明ばかりですが、実は近代の建物も非常に興味深く、特にチャールズ・ベーラーの名前をぜひ知っておくといいと思います。
スイス実業家チャールズ・ベーラー(1868 - 1937、 Charles Baehler )はエジプトのホテルと不動産チェーンの創設者兼所有者、国の中心部にある最も有名な回廊、建物、ホテルの所有者でした。この人物のおかげでエジプトで
カイロの伝説のカクテル
土曜日です。今宵はSuffering Bastardのカクテルでもいかがでしょうか?
レシピはブランディーコニャック、ジンジャーエール、ジン、ライムジュース、黒砂糖シロップか白砂糖、アロマティックビター、ジンジャービアー。
このカクテルは第二次大戦中にカイロの英軍にいたイギリス人老人たちが
「ああSuffering Bastardが飲みたい、懐かしい」
というようなことを呟いていたものです