ローロー(白川雅)

エジプト、他中東、ヨーロッパ、インドにも在住。渡航国は南米以外行ける国はほぼ制覇。現在…

ローロー(白川雅)

エジプト、他中東、ヨーロッパ、インドにも在住。渡航国は南米以外行ける国はほぼ制覇。現在東京。先祖は江戸大名の一人、先祖数名はちょこっと有名。noteで過去の記憶が蘇ると不思議と現在未来へ繋がり、新たな出会いにオオッ😆!https://twitter.com/miyabilolo

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新しいアイコンです。ヨロシクね!

現代のピカソこと、けんいちパンダさん が描いてくれました😆 せっかくなので、新しいLOLO(ローロー)アイコンにします✨。 今までの(若い時の)私のおじいさんアイコン↓、さようなら👋 ちなみにけんいちパンダさんは上海在住。この写真の私のおじいさんも駐在員としてずっと中国(北京)に住んでいました。 戦後すぐに肺炎で亡くなりましたが、おじいさんの生まれ変わりがけんいちパンダさんだったりして😆😉 アカウント名はLoloだったのですが、ロロ/ローローで読み方が何気にややこし

    • Nice to meet you in 道玄坂

       Ryéさんに初めてお会いしました。 最初のやり取りは、吉穂みらいさんのとある記事のコメント上でした笑。  Ryéさんは一言でいえば仏語・文学・歴史・美術に長けた方です。私の密かなニックネームは「女史」です。  先日、お仕事の関係で「女史」が東京に来られた時、たまたまのタイミングが合ったのがラッキーでした。  場所は(元々ヤ〇ザが抗争ばかりしていたラブホ街近くの)道玄坂のカフェで、シャンポリオンやコプト語等について熱く議論を交わしていたのは、私たちぐらいだったでしょう。

      • 麻酔なしで縫われちゃった!プラハの病院~LOLOのチェコ編㉓

        「直径15㎝以上にもなっている。よくまあここまで放置し生活できていたものだ。緊急入院し即、手術だ」  私を診察したチェコ人医師が、片方の卵巣に大きな囊腫ができていると説明しました。  確かに激痛で眠れないことがあったり、仰向けや嚢腫のある側を上にした横向きで寝そべることもできないとか、背筋を伸ばすのも辛い、月のお客様の訪問も滅茶苦茶になっていたなど心当たりがありまくりでしたが、ここまでおおごととは。  最初に「おかしい」と感じたのはエジプトに渡って一年目ぐらいの時でした

        • 読書の秋なので…(宣伝)

          (ヘッダー画像:うちの猫と、猫の「枕」のスターリンの伝記。高さ(分厚さ)がちょうど顎を乗せる枕にいいらしい)  本日、渋谷のテレビ局の前では久しぶりに大規模な右翼?のデモ隊が来ていました。久しぶりです。コロナ騒動以来の大規模?一応、公安もいました。    今回は 「あ、あの件かな?」  案の定でした。尖閣の件でした。でも社員があまり出勤していない日曜にデモって…。  それはそうと、九月に入りました。九月といえば秋の気配。(実際はまだまだですが)  秋といえば、読書の秋。

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          マジャール人カップル、そして私の緊急入院~LOLOのチェコ編㉒

           それにしてもミロシュ氏はどんな高度な医学通訳、法律専門用語通訳、政治の議会の通訳もこなし見事でした。  多分、ここまでのレベルの日本語通訳は当時のチェコではほかにいなかったのではないかな?と思います。  ただし会社の共同経営者の若いジョディー(仮名)と一緒に同時通訳のブースに入り、英語通訳を交互に十分おきぐらいに行うのを見ていると、明らかに彼女に負けていました。  やはりジョディはまだ二十代で若いので活舌が良い上、アメリカで学んでいるため英語力のレベルも高い。  一方

          マジャール人カップル、そして私の緊急入院~LOLOのチェコ編㉒

          プラハの犬と新メンバーのリンリンさん「プラハの高級住宅街に朝っぱらから餃子を炒める匂いがするよ」~LOLOのチェコ編㉑

          (ヘッダー画像は「写ルンです」で撮った写真:))  朝、起きて紙の山や衣服の山で散乱した居間へ降りて行くと、ソファーの裏から何やら荒い息遣いが聞こえてきます。何だろう?犬のジェームズボンドです。 「ぎょっ」  ボンドはくしゃくしゃになった私のストッキングに乗っかり、腰を振りながらゼーゼーハアハア言っているではないですか。  このストッキングは前日の夜に洗面室のかごに入れていたはずなのに、発見して口で咥えて持って来たのでしょう。確かに日本製のストッキングは質感がいいので、

          プラハの犬と新メンバーのリンリンさん「プラハの高級住宅街に朝っぱらから餃子を炒める匂いがするよ」~LOLOのチェコ編㉑

          「女房が戻って来る!」逮捕されたドン・ジョヴァンニこと、プラハの色男~LOLOのチェコ編⑳

          「CZECH(チェク)じゃなくてCheck(チェック)を頼むよ」  プラハのど真ん中にある居酒屋「ゴーレム」にはアメリカ人たちの姿が目立っていました。英語がよく通じてアメリカのヒットソングを流し、アメリカのバドワイザービールの提供もあったからです。  そのせいか、その後わりとすぐに潰れましたが、彼らの多くは米兵たちでした。  みんな揃いもそろって野球チームのキャップをかぶり、Tシャツとジーンズ、そして紐のシューズ、時にはリュックサック。  なお「ゴーレム」とはユダヤの伝

          「女房が戻って来る!」逮捕されたドン・ジョヴァンニこと、プラハの色男~LOLOのチェコ編⑳

          享楽のアル中ドン・ジョヴァンニ・ウォッカが止まらないプラハの色男~LOLOのチェコ編⑲

           憧れのエステート劇場でモーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」のチケットを購入した時、流石に感動でちょっと手が震えました。まさか世界初上演された劇場(*他国の劇場だった説もあり)で、このオペラを直に見れるなんて。  ノートではずっとエジプトの思い出ばかり書いていたので奇妙に聞こえますが、私はオペラやクラシックにはまあまあ慣れ親しんだ家庭環境育ちでして、だからプラハでは気軽に足を運べる教会のミニコンサートや劇場が沢山あってワクワクしました。  それはさておき、オペラ「ドン・ジ

          享楽のアル中ドン・ジョヴァンニ・ウォッカが止まらないプラハの色男~LOLOのチェコ編⑲

          私の出逢った日本語を話すチェコの女たち〜LOLOのチェコ編⑱

          「現役時代、オリンピックも含めて数々の国際大会に出ました。だけども東京オリンピックが一番心に残っています。いい思い出しかありません。人々はみんな親切で、私は日本が大好きです」  大きな瞳でしっかりと私の顔を見て、そのように言い放ったのは『東京オリンピックの名花』の異名を持ったというベラ・チャスラフスカさんでした。  チャスラフスカさんに私がお目にかかったのは1998年。一時帰国するために、プラハの繁華街にある日本のお土産を買おうとボヘミアンガラスの店に寄った時でした。

          私の出逢った日本語を話すチェコの女たち〜LOLOのチェコ編⑱

          NOTE創作大賞エントリー作品のご紹介

           NOTE創作大賞エントリーされた作品で、面白い!お勧め!と私が感じた作品をいくつかご紹介致します。  他にももちろんたくさんあったのですが、今回はこれらの作品です。 見えなくても愛(笑) 特別NOTE版 かわい いねこ 作学び度:★★★★★ ユーモラス度:★★★★★ ノンフィクション度:★★★★★ 学校図書にすべき度:★★★★★  かわいいねこさんのこの記事は、私も投稿にご協力させてもらったので、お勧めのトップバッターに持ってきました。笑  かわいさんはもともと目が

          NOTE創作大賞エントリー作品のご紹介

          「国籍が修正されました」*ボヘミアの輪舞*最終回〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅨ〜LOLOのチェコ編⑰

            ~1952年7月23日のエジプト革命から72年後の日の投稿にて~ 今年2024年は、ユダヤ系チェコ人カフカの死後百年目を迎える年です。エジプトのチェコ大使館では、外壁にカフカの絵いくつもが飾られました。(2024年3月6日から5月3日)  北京のチェコ大使館では、カフカ死後百年を記念するイベントにイスラエル大使館とオーストリア大使館も協力しました。  チェコ大使館単独でやるよりも、予算や宣伝の上でもメリットがあると判断し、カフカがオーストリア・ハンガリー帝国(AH)

          「国籍が修正されました」*ボヘミアの輪舞*最終回〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅨ〜LOLOのチェコ編⑰

          チェコ(ボヘミア)の赤いトルコ帽子〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅧ〜LOLOのチェコ編⑯

           ウィーンの街を初めて歩いていた時、貴族のようなクラシカルな帽子がショーウィンドウに陳列された帽子屋が多いことに、目が留まりました。 ボヘミアの赤いトルコ帽 帽子といえばですが、オスマン帝国トルコとその領土ではおなじみの赤いトルコ帽子の生産地は、AH(オーストリア=ハンガリー帝国)のボヘミア地方でした。  この帽子が生まれたのには、こんないきさつがありました。  1826 年、スルタンのマフムード 2 世は「帽子」についてどうしたものだが、と考えていました。  当時、

          チェコ(ボヘミア)の赤いトルコ帽子〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅧ〜LOLOのチェコ編⑯

          もうひとつのアレクサンドリア・国際都市ポートサイード〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーⅶ〜LOLOのチェコ編⑮

           ヘッダー画像は1938年の映画「スエズ」より。宝塚っぽいですが、宝塚ではありません。  時は1860年代。紙芝居のようなテロップが画面に流れます。 「オスマン帝国のプロヴァンス(州)・エジプト」  往年の大スター、タイロン・パワーがフランス人外交官のフェルディナン・ド・レセップス役です。ばりばりの米語を話し、ものの見事にフランス語は口にしないフランス人外交官です。  ナポレオン三世もウジェニー・ド・モンティジョも登場しますが、やはり二人共ともくちゃくちゃの米語です。そ

          もうひとつのアレクサンドリア・国際都市ポートサイード〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーⅶ〜LOLOのチェコ編⑮

          1905年のカイロ〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅵ〜LOLOのチェコ編⑭

            昨年の2023年のラマダンの時です。  カイロのアブディーン宮殿では初の「ロイヤル・ダイニング」イベントが開催されました。  宮殿の壮大なダイニングホールで生演奏のオーケストラとともに豪華なイフタールとスフール(ラマダン中の食事)が提供、イベント参加者は断食明けには宮殿見学ツアーにも案内されました。初めての試みです。  何度も恐縮ですが、1952年のエジプト革命でこの宮殿は大統領官邸になり(現在は博物館も併設)、一般には公開されていませんでした。  ところがムバラ

          1905年のカイロ〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅵ〜LOLOのチェコ編⑭

          見よ!これぞ万博パビリオン。オーストリア人とハンガリー人建築家が生んだ「伝説のカイロストリート」(シカゴ万博(1892))〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅴ〜LOLOのチェコ編⑬

          〜最初に  今回の記事後半の「1893年シカゴ万博」における、オーストリア・ハンガリー帝国の建築家の二名、マックス(ミクサ)・ヘルツとエドゥアルト・マタセクの手掛けた「エジプト・カイロストリート」にかなり力を入れて書きました。  よってどうか後半のその部分だけでも、読んで欲しいなあと思います。  エジプト君主もスポンサーも現場には一切口を挟まず、二人の建築家を信じすべて任せました。これこそ、本当の万博パビリオンです。拍手です。 オーストリア領事、イギリス支配のエジプト

          見よ!これぞ万博パビリオン。オーストリア人とハンガリー人建築家が生んだ「伝説のカイロストリート」(シカゴ万博(1892))〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅴ〜LOLOのチェコ編⑬

          「ハプスブルク家のエジプト」〜チェコ人建築家ヤン・レッツェル(原爆ドーム)シリーズⅣ〜LOLOのチェコ編⑫

           1991年の冬ー  都内の大使館の多い地域を歩いていると、否応なしに気がつきました。様々な大使館に掲げられている国旗や看板の名称が変わり、大使館が多いエリアにはそれまでと違い、機動隊や警官の警備が強化されていたことです。  そして、間もなくゴルバチョフがソ連連邦の解体を宣言しました。 「ソ連解体!Lolo,これは凄いことだよ!」    天安門失敗で号泣した、台湾人と中国人の両親を持つ友人が興奮しました。  麻布台にはすでにあの大きなソ連(現ロシア)の大使館がありまし

          「ハプスブルク家のエジプト」〜チェコ人建築家ヤン・レッツェル(原爆ドーム)シリーズⅣ〜LOLOのチェコ編⑫