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「どうせ私は選ばれない」から「選ぶのは私です」へ
かつて、選ばれないことがあった。
その傷あとをどうやらまだ大切に守っているようで、ふと気づくと「また私は選ばれなかった」という現実を作り出しているように思う。
だけどこれ、本当はもう要らないんだよなあ。もう、充分なんです。
選ばれることだけに心を染めるのではなくて、私自身が責任を持って選んでいくことにそろそろ本腰を入れていきなさいよと、星になったおばあちゃんが言ってるのかもしれないなあ。
抜け出さなくてもいいような日常がいい
抜け出したい気持ちなら、桜が咲く頃だけじゃなくていつも持ってる。
こんな夜はとくに。行くあてはなくても。
でもせっかくなら、どこかへ抜け出さなくてもいいような日常がいい。
そのくらい、日常に浸かって満足してみたい。
心の底からしあわせって、ありがとうって、言ってみたい。
どうしてだろうか、ないものにばかり目がいって、また繰り返している。
遠くにあるんじゃなくて、私のなかに。心の奥に。
「もう大丈夫」って言われたら、確かに泣いちゃうね
いろいろなことがあった。
でも、そこでやめなかった。
そして今、こうして生きている。
ただの大丈夫じゃなくて「もう大丈夫」なのは、
「(これまでの諸々を経てやっとここまで来た、こうなった今ここから先は)もう大丈夫」という意味であって、
そこには「今まで」と「今」、そして「これから先の未来」のすべての時間軸を含んでいるから。
そのすべてを肯定してくれるから、泣いちゃうんだと思う。
青天井のクラウンー豊かな哀しみと、哀しみのなかにある光
子どもの頃に聴いて、今も鮮やかに記憶に残っている歌がある。NHK「みんなのうた」で流れていた、「青天井のクラウン」という歌。ご存知の方もいるだろうか。
出だしが「道化師は踊る」という歌詞になっているので、いつも「道化師のソネット」と混同してしまうんだけど、楽曲名は「青天井のクラウン」なんですよね。
明らかにただ者ではないような、この世界の酸いも甘いも幼い頃から見つめてきたような特徴的な男性の声