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現実を拡張して生きる

平日の休みの朝はいつも、息子を送り出してからもう一度寝たい。

けれども息子はまだ小学生なもので、うっかりしているとあっという間に「ただいまー」と帰ってくる。月間の予定表に時折散りばめられている「短縮⚪︎時間授業」なるものが訪れる場合はなおさらだ。だからこそ、自宅で1人過ごす時間はまだまだ大変貴重である。

そういう時に私は、「現実を拡張する」と決めている。そう、自分がもう一度眠るその間に有能なハウスキーパーが働いてくれるかのごとく、自動化でき得るあらゆる家事を自動化し、目を覚ますその時には家の中がひととおり整った状態となるよう、手配するのだ。

朝、「いってらっしゃい」と息子を送り出したその足でまずは洗面所へ直行し、カゴに溢るる洗濯物をすべて洗濯機に放り込み、スイッチオン。そのままリビング、息子の部屋の床などに散らばるものたちをとりあえず拾い上げ、我が家では理由もなく「はなちゃん」と名づけられたロボット掃除機の電源を入れる。

キッチンのシンクに昨晩から食器やコップが居座っているときはもちろん、それらを食洗機に移して洗剤を投入し、スイッチを入れて換気扇を回す。ついでに家中の窓を開けて空気を入れ替え、トイレや風呂場などの水回りにはただかけて放置するだけで汚れが落ちる系の洗剤をかけて終了。あとは寝室に直行するだけだ。

朝の一仕事を終え、まだ今朝までの温もりがかすかに残るベッドに潜り込んで目を閉じると、部屋中を動き回る掃除機の音、食洗機の水音、洗濯機の回る機械的な音が聴こえる。このとき、私は「ああ自分は今、現実を拡張している…!」と一人静かに感動するのだ。

もしも今がひと昔前だったら、食洗機も、ロボット掃除機も、洗濯機もない。もちろん、現代においてもそれが可能な状況かどうかという観点もあるが、生まれた時代や場所が少しでも違えば叶わなかった現実を今、こうして手に入れていると思うと、ただただ幸せでありがたく、満たされたような気持ちになる。そして何より、時間を最大限に合理的に使えているという思いで、とりわけ清々しく満足するのである。

たかだか数時間だけ。それでも、ちょっと先の未来の自分に贈り物をするような感覚で、今日も私は現実を拡張して生きている。
ああそうだ、今日は短縮4時間授業だ。束の間の1人時間にもうすぐ、にぎやかな子どもの声が重なる。


ありがとうございます!