見出し画像

6月/紫陽花の季節になると思い出すこと

ふと気づけばまた1つ季節が進み、紫陽花の季節になっていたので、6月に生まれ、そして6月に旅立っていった彼の話でもしてみようか。

私と彼は、幼稚園からの幼馴染みだった。幼い頃から10年ほど、私はずっと彼に恋をしていた。あいにく終始片思いだったけれど、あまりに彼が素敵だったのでなにもつらくはなかった。今も昔も変わらず内向的だった私は、颯爽と吹き抜ける陽気な風のような彼を通して、世界の広さと人間の誠実さを1つずつ知っていった。

彼は少し小柄で、特徴のある少しかすれた声を持つ、いたずら好きな明るい少年だった。頭の回転が速く、聡明で、理不尽な悪意には凛と立ち向かうさらりとした力強さもあった。素早い身のこなしは群を抜き、リレーのアンカーはいつも彼だった。

彼は、とても優しかった。決して人を傷つけることをしなかったし、そんな発想すら彼の中には一切なさそうだった。そして時折、ふと大人びた表情で社会の歪みをじっと見つめているような、深く澄んだ瞳を持った少年だった。

それはあくまでも「人間のどうしようもなさ」を肯定しながらいつも「本当に面白い」ことを探しているような瞳で、飽くなき好奇心に満ちた光を宿しているような、今ここに存在する人やあらゆる歴史、物事を純粋に信じきったような、そんな眼差しだったように思う。

彼はいつも、私をさりげなく助けてくれた。私にとって、彼とのすべての思い出は、雨上がりの水滴に光がキラッと反射するような、ビー玉のようにみずみずしくカラフルで、それでいて透き通るような潤いのある思い出だった。だからこそ、中学を卒業し、互いに別々の道を歩き出したときも、悲しくはなかった。「また会おうね」と約束しなくても、いつかまたどこかで彼と会えると信じきっていた。

彼は、宇宙が好きだった。いつかの卒業文集には、「自分はいつか絶対に宇宙へ行くつもりだ。じいさんになっても諦めずに待つつもりだ。」というような内容が書かれていた。遠い宇宙のこと、そしていつか地球をこの目で見るんだと話す彼のあの笑顔を、今もよく覚えている。

高校を卒業し、互いに大学生になった。この頃にはすでに連絡を取り合うような仲ではなかったけれど、私はかつて彼が憧れていた宇宙を学べる大学へと進学した。私自身がもともと星や宇宙が好きだったのはもちろんだけれど、心のどこか「この道にいれば、いつかまた彼と会って話せるはず」という淡い期待もどこかあったようにも思う。

元来学ぶことが好きな私にとって、好きなことを好きな時に、好きなだけ学べる大学生活はまさに水を得た魚のようで、学問への理解が全く追いつかないときも含めて、すべてが楽しくて仕方がなかった。

そんな折、突然彼の訃報を知らせる電話が鳴ったのは、6月も半ばを過ぎた頃だっただろうか。それは同級生の男の子からの電話で、ほぼ真夜中になろうとしていた時だった。

「○○が事故に遭ったらしい。助からなかった。」

この報せを聞いたときのことは今も鮮明に思い出せるけれど、いまだにうまく言葉にすることが難しい。

後日聞いた話によると。早朝、彼はひとり車を走らせ釣りに行く途中に、事故を起こしたようだった。高速道路のトンネルに差しかかる辺りで、正面からトンネルの入口に衝突したらしい。

時間帯も時間帯なので、瞬間的に眠ってしまったのか、たまたまハンドル操作を誤ったのか、突然飛び出してきた動物を避けようとしたのか。何があったのかは、今となっては分からない。しかしそれは奇しくも、彼が記念すべき二十歳になる数日前のことだった。

 *

あれから10年以上が経ち、日常的に彼を思い出すことは少なくなったけれど、この季節になるとこうしてふと思い出す。今もまだ、彼がもうすでにこの世界にいないことが時々どこか信じられないような気持ちになる。

あんなに素敵な人だから、彼にまだこの世界に居てほしかった人は私のほかに一体どれだけいることだろう。こういう時、「神様なんていないと思った」というフレーズがふと頭をよぎるけれど、もしも本当に神様がいるのなら、今の私はほんの少し神様の気持ちが分かるような気がする。

きっと神様も私たちと同じように、彼にそばにいて欲しかったんだろう。あれだけ気持ちのいい、素敵な人だったんだもの。私はよく、分かる。

もしもいつかまたどこかで会えたら、きっと彼は少しかすれたあの声で笑いながら「ごめん」と言うだろう。もちろん、あなたに会って話したかったことも、聞きたかったこともたくさんあるけれど、しかたないよね。6月の風がやわらかく吹き抜けていくように、本当に誰よりも先に宇宙に行ってしまったんだもの。かつてあなたが混じり気のない気持ちで望んだ、あの言葉どおりに。

 *

今私は、たまたま縁あって宇宙に関係するような仕事に就いている。もしかして彼が私に自分の夢を託したのかしら、なんて都合のいい解釈を被せたりしながら、こうして日々を生きている。拍子抜けするほどよく晴れた6月の空と風にゆれる洗たくものを眺めながら、そういえばどこか彼に似ているような少しかすれた声で「ただいま」とドアを開ける息子の帰りを待っている。





ありがとうございます!