むらさき納言

皆さん、初めまして😃 還暦過ぎのブロガー むらさき納言と申します。 専業主婦歴36年…

むらさき納言

皆さん、初めまして😃 還暦過ぎのブロガー むらさき納言と申します。 専業主婦歴36年、いまだ得意料理は ありません😆 某ブログサイトにて、これまでの人生に 出会った人々、出来事などを綴っていま した。  生来の引っ越し体質のため、こちらに移 転して来た次第です😊

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どうも。 幼少期に隣家の原木(はらき)商店に電話を取り次ぐパシリをやらされていた むらさき納言です 🙂 原木商店主を筆頭に、明治生まれのご老人達。 近所のそこかし…

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どうも。 悲しい関谷のおじさんの末路に、胸がどんよりしてしまった むらさき納言です 🙂 その後、引っ越しをしたわが家に、ある日電話がやって来た。 電話と言っても…

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いつも酔っていた関谷のおじさん。 平日の昼間には、そこいら辺をウロウロしていて、たまに大きな声で怒鳴ったりしていたので、幼児の私にとって とても怖い存在。 すぐ…

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どうも むらさき納言です(^^) 幼少期は1962年から1969年。 昭和で云えば、37年から44年です。 映画「三丁目の夕日」に なんとかまだ被ってる時代ですかね。 映画では…

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むらさき納言
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その2 真夏の恐怖腹黒い正男さん

その2 真夏の恐怖腹黒い正男さん

どうも。
石黒(腹黒)の正男さんに、声をかけ
られ、口車に乗ってしまった浅はかな むらさき納言です 🙂

キリカ山の裏側、断崖絶壁を眼前にして始まった、おどろおどろしい話しは、薄ら笑いを浮かべながら語り出す正男さんを、悪魔の化身のように思わせて行った 😨

「それでな、大っきい岩が落ちて来たもんだからよ、慌てて海に走る奴やら、逃げ遅れてしまう奴やら、そりゃあもう大パニックよ。
気の毒な事によ、

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真夏の恐怖 腹黒い正男さん

真夏の恐怖 腹黒い正男さん

どうも。
苅田燃料店のゴンに命を救って
もらったと、勝手に哀愁に浸っ
ていた むらさき納言です 🙂

居なくなったゴンに 傷心の日々だったが…😢

やっと 待望の夏が来た 😃

小学生の近所の子供たちは、一斉に 夏休みに入ったので、遊び友達のふみえちゃんと一日中、遊べる事に ワクワクしていた 😍

海がすぐ近くにあったので、海水浴場に行って泳いだり、浅瀬の岩場で 小魚やツブなんかを獲ったり

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その2 苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン

その2 苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン

どうも。
苅田燃料店のお兄さんが、数十年後には髪が無くなり、誰だかわからなくなった事に衝撃を受けた
むらさき納言です 🙂

前回のお話は、こちら

立ち上がったゴンに驚いて、国道に飛び出してしまった私…

その時ゴンは、確かに私を見た。
私もゴンと目が合って、一瞬喜びが走った。

も…束の間💦

気づいた時には、私は倒れていて
身体にタイヤが乗っていたのだ。

それから、少し記憶が飛んだ…

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苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン

苅田(かりた)燃料店フランダースのゴン

どうも。
幼稚園をサボり、ハードな昼ドラを見ては、胸をモヤらせていた
むらさき納言です 🙂

そんなこんなで (どんなこんなよ)

不登園で暇を持て余していた私にある日、事件が起きた。

いや 事故が起きたのだ。

当時わが家のガス、灯油などを配達してくれていたのが、国道を挟んだ向こう側に店を構えていた苅田(かりた)燃料店。

苅田燃料店には、店舗の横に古い倉庫があって、その中に大きな犬が1匹、

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脳裏に焼きつく 昔の昼ドラ

脳裏に焼きつく 昔の昼ドラ

どうも。
黒浜のママと庄野さんの不倫を、温かく見守っていた近隣の大人たちに
、あっぱれをあげたいと思う
むらさき納言です 🙂

私、むらさき納言は6歳の頃、徒歩20分の所にある幼稚園に、一応在籍はしていたのだが、殆ど不登園状態であり、家の中でゴロゴロしている毎日を送っていた 😗

悲しいかな、朝が起きれない💦

その当時『かよい』と呼ばれていた家計簿のような帳面があり、それを隣の原木(はらき

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その2 大正モダンな 黒浜のママ

その2 大正モダンな 黒浜のママ

どうも。黒浜のママの人形たちと一緒に、かっぱえびせんを食べていた
むらさき納言です 🙂

前回のお話は、こちら

その頃、黒浜のママのところに近所の人たちから庄野(しょうの)さんと
呼ばれていた男性が、足繁く通っていた。

庄野さんは、子供の目から見ても
ママより、ひと回り以上は若い感じだった。

彼は、ママの家の掃除をしたり、草むしりなど庭の手入れ、そして人形たちの小物などを作る木工作業をした

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大正モダンな 黒浜のママ

大正モダンな 黒浜のママ

どうも。
谷林(たにばやし)の婆さんの庭が、大変危険な場所である事を知らなかった むらさき納言です 🙂

わが家の右隣りが
原木(はらき)商店。

そして左隣りには、通称黒浜(くろはま)のママと呼ばれ、ご近所の皆さん方に、いちもく置かれていた
大正生まれのご婦人がいた。

黒浜のママは昔、飲み屋を経営していたらしく、いつもオシャレで粋な着物姿。

色白で恰幅が良く、ビジュアルから思い出してみる

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老人たちのトイレ事情

老人たちのトイレ事情

どうも。
幼少期に隣家の原木(はらき)商店に電話を取り次ぐパシリをやらされていた むらさき納言です 🙂

原木商店主を筆頭に、明治生まれのご老人達。

近所のそこかしこに(特に婆さんたち)点在していた。

日がな、家の前に椅子を置いて
ぼんやりしてる(ボケてはいない)
谷林(たにばやし)の婆さん。

自分の孫や、近所の子供らをうるさいと言っては叱りつけている
坂野(さかの)の婆さん。

原木商店

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公衆電話のわが家

公衆電話のわが家

どうも。
悲しい関谷のおじさんの末路に、胸がどんよりしてしまった むらさき納言です 🙂

その後、引っ越しをしたわが家に、ある日電話がやって来た。

電話と言っても 当然ながらスマホではない。
ガラケーでも、ポケベルでもない。

言うまでもなく 黒電話だ。

当時、近所に電話がある家は非常に
少なかった(昭和40年代前半)
私の親は、ちょっと鼻たかだかな様子だった👺

だもんだから、この黒電話

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いつも酔っ払っていた関谷(せきや)のおじさん その2

いつも酔っ払っていた関谷(せきや)のおじさん その2

いつも酔っていた関谷のおじさん。

平日の昼間には、そこいら辺をウロウロしていて、たまに大きな声で怒鳴ったりしていたので、幼児の私にとって とても怖い存在。

すぐ近くに海があって、夏の暑い日はパンツ姿で1人で海に入ってたりする関谷のおじさん。
私には不気味に見えていた。

関谷のおばさんはどこかに働きに出ていたので、関谷4姉弟は、おじさんを怒らせないように、腫れ物に触るように暮らしていた。

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いつも酔っ払っていた関谷(せきや)のおじさん

いつも酔っ払っていた関谷(せきや)のおじさん

 

どうも。
某ブログサイトから引っ越して来た
還暦過ぎの肥やしの効いた老女。
さすらいの むらさき納言です🙂

ぼっとんトイレから、見事に生還した私😆

その頃、幼なじみとは少し言い難いが、歳上の4人姉弟が近所に住んでいた。

上から 春美、夏枝、秋代、冬彦。

特に三女の秋代さんは、たまに私と遊んでくれた。
当時で10歳くらいだったと思う。
とても穏やかで優しいお姉さんだった。

そこの

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ディストピアな昭和

ディストピアな昭和

どうも むらさき納言です(^^)

幼少期は1962年から1969年。
昭和で云えば、37年から44年です。

映画「三丁目の夕日」に なんとかまだ被ってる時代ですかね。

映画では古き良きノスタルジーな時代っぽいですよね。
えぇ、それは確かな部分もあります。

なにせ、そこいらの路地という路地に子供達がたくさん遊んでいて、放課後や週末は田舎である地元も賑やかでしたから。

でも、ダークな部分もた

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62歳 還暦からブログ始めました^ ^

62歳 還暦からブログ始めました^ ^

どうも。
むらさき納言と申します。

還暦を過ぎると、ひょっとしたら、
長生きの入口にはいれたんじゃないかと、思い上がった気持ちがムクムクと湧き上がってしまったもんですから、某ブログサイトにて昨年から
ブログデビューを致しました(^^)

今まで出会った不思議な人々、出来事などを思い出しながら書いてみると、自分でも驚くほどにズルズルと
思い出の引き出しから、色んなゾンビが出て来てしまい、今のところ

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