むらさき納言

皆さん、初めまして😃 還暦過ぎのブロガー むらさき納言と申します。 専業主婦歴36年…

むらさき納言

皆さん、初めまして😃 還暦過ぎのブロガー むらさき納言と申します。 専業主婦歴36年、いまだ得意料理は ありません😆 某ブログサイトにて、これまでの人生に 出会った人々、出来事などを綴っていま した。  生来の引っ越し体質のため、こちらに移 転して来た次第です😊

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最近の記事

その2 大正モダンな 黒浜のママ

どうも。黒浜のママの人形たちと一緒に、かっぱえびせんを食べていた むらさき納言です 🙂 その頃、黒浜のママのところに近所の人たちから庄野(しょうの)さんと 呼ばれていた男性が、足繁く通っていた。 庄野さんは、子供の目から見ても ママより、ひと回り以上は若い感じだった。 彼は、ママの家の掃除をしたり、草むしりなど庭の手入れ、そして人形たちの小物などを作る木工作業をしたりしていた。  多分、人形たちのベッドや椅子も 庄野さんが作っていたと思われる。 庄野さんは、いつも黙

    • 大正モダンな 黒浜のママ

      どうも。 谷林(たにばやし)の婆さんの庭が、大変危険な場所である事を知らなかった むらさき納言です 🙂 わが家の右隣りが 原木(はらき)商店。 そして左隣りには、通称黒浜(くろはま)のママと呼ばれ、ご近所の皆さん方に、いちもく置かれていた 大正生まれのご婦人がいた。 黒浜のママは昔、飲み屋を経営していたらしく、いつもオシャレで粋な着物姿。 色白で恰幅が良く、ビジュアルから思い出してみると、マツコ・デラックスにそっくりな女性であった 🤔 黒浜のママは着物の腰に前掛け

      • 老人たちのトイレ事情

        どうも。 幼少期に隣家の原木(はらき)商店に電話を取り次ぐパシリをやらされていた むらさき納言です 🙂 原木商店主を筆頭に、明治生まれのご老人達。 近所のそこかしこに(特に婆さんたち)点在していた。 日がな、家の前に椅子を置いて ぼんやりしてる(ボケてはいない) 谷林(たにばやし)の婆さん。 自分の孫や、近所の子供らをうるさいと言っては叱りつけている 坂野(さかの)の婆さん。 原木商店の婆さんは、いつも店番。 私、納言も還暦になり、歳を取ったと実感する場面が多々あ

        • 公衆電話のわが家

          どうも。 悲しい関谷のおじさんの末路に、胸がどんよりしてしまった むらさき納言です 🙂 その後、引っ越しをしたわが家に、ある日電話がやって来た。 電話と言っても 当然ながらスマホではない。 ガラケーでも、ポケベルでもない。    言うまでもなく 黒電話だ。 当時、近所に電話がある家は非常に 少なかった(昭和40年代前半) 私の親は、ちょっと鼻たかだかな様子だった。 だもんだから、この黒電話は玄関近くに設置。 近所の人々が10円玉を持って 「むらさきさん、電話貸して

        その2 大正モダンな 黒浜のママ

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        記事

          いつも酔っ払っていた関谷(せきや)のおじさん その2

          いつも酔っていた関谷のおじさん。 平日の昼間には、そこいら辺をウロウロしていて、たまに大きな声で怒鳴ったりしていたので、幼児の私にとって とても怖い存在。 すぐ近くに海があって、夏の暑い日はパンツ姿で1人で海に入ってたりする関谷のおじさん。 私には不気味に見えていた。 関谷のおばさんはどこかに働きに出ていたので、関谷4姉弟は、おじさんを怒らせないように、腫れ物に触るように暮らしていた。 おじさんが居ない時に、家に招き入れてくれた事が何度かあって、一階の居間が10畳、2

          いつも酔っ払っていた関谷(せきや)のおじさん その2

          いつも酔っ払っていた関谷(せきや)のおじさん

            どうも。 某ブログサイトから引っ越して来た 還暦過ぎの肥やしの効いた老女。 さすらいの むらさき納言です🙂 ぼっとんトイレから、見事に生還した私😆 その頃、幼なじみとは少し言い難いが、歳上の4人姉弟が近所に住んでいた。 上から 春美、夏枝、秋代、冬彦。 特に三女の秋代さんは、たまに私と遊んでくれた。 当時で10歳くらいだったと思う。 とても穏やかで優しいお姉さんだった。 そこの家は関谷さんと言って、おばさんは細身の綺麗な人だった。 でも、幼心にも感じとれてい

          いつも酔っ払っていた関谷(せきや)のおじさん

          ディストピアな昭和

          どうも むらさき納言です(^^) 幼少期は1962年から1969年。 昭和で云えば、37年から44年です。 映画「三丁目の夕日」に なんとかまだ被ってる時代ですかね。 映画では古き良きノスタルジーな時代っぽいですよね。 えぇ、それは確かな部分もあります。 なにせ、そこいらの路地という路地に子供達がたくさん遊んでいて、放課後や週末は田舎である地元も賑やかでしたから。 でも、ダークな部分もたくさんあったんです。 あまり詳しくは語れませんが。。。 生まれて3歳くらいまで

          ディストピアな昭和

          62歳 還暦からブログ始めました^ ^

          どうも。 むらさき納言と申します。 還暦を過ぎると、ひょっとしたら、 長生きの入口にはいれたんじゃないかと、思い上がった気持ちがムクムクと湧き上がってしまったもんですから、某ブログサイトにて昨年から ブログデビューを致しました(^^) 今まで出会った不思議な人々、出来事などを思い出しながら書いてみると、自分でも驚くほどにズルズルと 思い出の引き出しから、色んなゾンビが出て来てしまい、今のところは ネタ切れせずに続いておる次第であります(^。^) たまに現在の出来事や思い

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