上場企業を辞めて一歩踏み出した結果
こんばんは、アドバイザーのこうたです。
頻繁に投稿コンテストに参加させていただいており、今回も『一歩踏み出した先に』に参加してみようと思った次第です。
私のnoteの主旨にも沿いますので、なかなかに良いお題です。
1.一部上場企業を辞めて独立する決心
何度か触れていますが、私は元々、一部上場企業に就職しておりました。
就活は失敗の連続だった中、採用された数少ない企業の一つ。
企業に対して不満がなかったわけではないものの、順調に実績を出していて出世の道も全く見えなかったわけでもありません。
しかしある日突然、非常に稀なご縁で独立への道が現れました。
今でもその企業は業績が右肩上がりなので、安定や無難という意味では従事していることが正しい選択だったと思います。
まだ10ヶ月しか在籍しておらず、転職するにしても3年は勤務することが推奨される世の中。
当時は本当に悩みました。
多くの大人に相談し、頭の中で選択肢が消えていた時間などなかったと思います。
単純に安定した収入を考えれば退職の選択肢などなかったのですが、チャンスでもあると思ったのです。
私の人生で唯一の、と。
私の学生時代は思い出したくもないほどにつまらなく、誇れるどころか思い出を語るものが皆無でした。
高校受験、大学受験は滑り止めしか受からず、友人も少ない。
彩りがなかったのです。
そんな中に舞い込んできた独立への道。
それまで起業を考えたことは一切なく、人生で触れない人のほうが多いもの。
まさか自分の人生で起業に触れる機会が訪れるなんてと、当時は戸惑いが大きかった記憶です。
起業自体はやろうと思えば誰でもできますし、実はそれほどハードルが高いものでもありません。
でもそれは経験したから今言えることであって、当時の私は東大を目指すくらいに難度の高いことだと思っていました。
にもかかわらず、そのハードルがだいぶ下がった状態で道が見えたものですから、大きなチャンスなのではないかと考えました。
自分を変えるチャンスなのではないか?
私が決心した最大の理由が、まさしくこれでした。
2.安定や無難とはとても言えない道のり
退社して準備期間から起業へ。
今に至るまで約7年でしょうか。
会社の業績自体は順調だったものの、内部はなかなかにドロドロでした。
友人と起業したがために、足を引っ張られる日々。
仕事上の人間関係を割り切っている人は大勢いると思いますが、そこに友情が介在するとそうはいきません。
だいぶ痛い目を見ました。
そしてコロナ期に入り、業績も怪しくなってきます。
当時も関連した記事をいくつか投稿しましたが、結果的には大きな被害を被ることなく耐えられました。
が、コロナ期の越え方で意見の違いが生じ、完全な停滞期に入ります。
上層部のモチベーションも下がり、私は未来がないことを悟ります。
しかし部下を守るため、それで良しとするわけにはいきません。
自分の人生は大事ですが、それ以上に代表として、部下の人生を守るのが義務です。
結果的にしっかりと話し合い、私は会社を譲る形式で退職することになりました。
なぜそれで部下を守ることに繋がるのか? という部分に関しては、話すととても長くなるので割愛します。
今は順調に成長していますよ。
なんだかんだ、私は外部の協力者として運営に携わっていますしね。
就職した企業で継続の道を選んでいたら、もしかしたら年収一千万の道が見えていたかもしれません。
逆に、変わらない自分を前に停滞して埋もれていたかもしれません。
果たして一歩踏み出した先は、失敗への道だったのでしょうか?
3.一歩踏み出した先にあったもの
まず真っ先に言えることは、noteで投稿していた人材管理に関する経験とノウハウです。
人材管理自体は起業しなくても携わっていたかもしれませんが、ここまで自由に一から確立させていくことはできなかったでしょう。
自分の考えに自信を持っていますし、そのノウハウを今では他者に提供することもできています。
起業は思ったほど自由ではないと感じている方が多いかもしれませんが、それでも企業に従事しているよりは遥かに自由です。
いわゆる上司の圧に潰されて自由を損なうことはないため、自分の信じたやり方を貫くことができます。
思考力を鍛えることも、そもそも思考力というワードを使ってnoteを始めることもなかったでしょう。
自信を失う外的要因がなかったことは、私にとって非常に大きなことだと思っています。
会社や部下を中心に動いていると、意外に心は折れません。
一方で、やはり失敗をすると次の道は不明瞭です。
今でも興した会社は順調に継続していますが、6年間赤字にならず続くのはわりとすごいこと。
とはいえ起業は失敗する人のほうが多く、私個人で言えば失敗だったと言えます。
再起可能とはいえ、現状は安定した人生の道を歩んでいるとは言えませんよね。
つまり一歩踏み出した結果は、まだ分かっていません。
得たものも失ったものも大きいのです。
今私は、二歩目をどう踏み出したものかと考えている段階です。
一歩目の踏み出して得たものを活用できてこそ、踏み出した先は良いものであったと言えましょう。
二歩目のお話を書ける機会があるように頑張ります。
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